2018年5月29日 第12回公判期日報告
作成 佐藤真弥
監修 海渡雄一
証人 島崎邦彦氏 反対尋問と再主尋問
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内容
- 長期評価の結論をまとめていった過程について
- 1677年延宝房総沖地震はどのプレートで起きたのか
- 1611年慶長三陸沖地震の震源は
- ハルマゲドン地震について
- 1677年延宝房総沖地震の震源について
- 歴史地震の研究について
- 1611佐竹千島起源説の扱いについて
- 1677延宝房総沖 石橋「陸より津波地震説」について
- 事務局の取りまとめについて
- 東北大学大竹政和教授や中央防災会議の見解について
- 津波地震の規模について
- ハルマゲドン地震について
- 歴史地震の評価
- 大竹政和教授の意見について
- まとめ
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弁護人7人 指定弁護士5人 被害者代理人3人
(凡例… 資料:指定弁護士資料 弁:弁護人資料)
開廷
裁判長:甲A246についての証拠申請は?
指定弁護士:明日にします。
証人入廷
裁判長:先日に引き続いて。宣誓はしませんが、効力は同じです。では。
(反対尋問)
1 長期評価の結論をまとめていった過程について
岸:三陸沖北部から房総沖の長期評価のことを単に長期評価と呼びます。分科会などの審議の様子について聞きます。先日の指定弁護士の尋問と違う角度で。【資料19 H13.12.14 第61回長期評価部会 議事要旨】3枚目
三陸沖、福島沖について
島崎発言「歴史的に1回の、1896、1933をどう評価したらいいか知恵を出してほしい」
岸:証人の発言か?
島崎:はい。
岸:過去1回の地震をどうするか、証人も悩んでいたんじゃないですかぁ?
島崎:私自身の考えはあるが、皆さんで議論したことは無かった。まず、皆さんの考えを出してもらった。
岸:その場で出たか?
島崎:私の考えを出した。手法を提案した。
岸:この段階ではアイデアは出ていない?
島崎:はい。
岸:アイデアが出たのはいつか?
島崎:(翌2002年)1月の議論で方向性が出た。決まったわけではないが、3月、4月と議論を繰り返していった。
【資料22 事務局メモ 三陸沖、茨城沖、房総沖長期評価の進め方】
869、1611、1896、1933
1933は正断層で個別に扱う。
1611、1896は1677とあわせて津波地震として扱う
岸:このようになった?
島崎:その前に(海溝型)分科会があって、議論した。
岸:事務局の資料作りには証人も関わったか?
島崎:打ち合わせで資料の相談を受けた。おかしいものはないか、方向性などについて相談した。
【資料21 第62回長期評価部会 議事要旨】2枚目
岸:証人の発言で、「1611、1896、1677は津波地震、1611ははっきりしない。場所は不定。」「分科会で確認を行っていない。」とあるが、先に部会に出したのか?
島崎:分科会で議論が収束する前だったが、部会で発言した。方向性はそうなっていたが、その時点では分科会で確認を取ってはいなかった。
岸:分科会で確認を取るように進めたのか?
島崎:はい。
2 1677年延宝房総沖地震はどのプレートで起きたのか
【資料23 H14.2.6 海溝型分科会】岸:地震のタイプは事務局が調べるのか?
島崎:そうとは限らない。表にあったものとか。
岸:「1677は日本海溝沿いのプレート間大地震に入れてしまったのか?これには非常に問題がある~石橋説なら400年に2回~」「明らかに太平洋プレートのものでフィリピン海プレートのものとは思えない」
ここのやり取りは、1677が太平洋プレートかフィリピン海プレートかという議論か?
島崎:はい。
岸:フィリピン海ではないと言った?
島崎:はい。
岸:1677は、だいたいこの辺りと?
島崎:正確に図示できるほどには震源はわからない。
岸:フィリピン海ではない決定的な理由はあるのか?
島崎:被害の分布から、明らかに違うといえる。
岸:近代的な観測が行われていなくても、津波被害の分布から、科学的根拠をもってフィリピン海ではなく、太平洋プレートだといえるのか?
島崎:はい。そのようにいえます。
3 1611年慶長三陸沖地震の震源は
岸:議事録の真ん中あたり、島崎証人の発言、「1611の場所はよく分からない。全体としてこうとする。」とある。科学的に言うなら、分からないことは分からないと言うべきなんじゃないですかぁ?島崎:「よくわからない」と「わからない」は違う。図示できるほどではないが、津波地震ではあるから、わからないと言っても程度がある。専門家として「わからない」と言っても、一般の人は「よくわかっているじゃないか」という場合もある。
(委員の中には)専門外の人もいる。それぞれ(知識の)バックグラウンドが違う。意見が出やすいよう、フランクな物言いに努めた。実際、都司先生の論文を知らない人の方が多かった。
岸:場所がわからないんだったら調べようとはならなかったんですかぁ?
島崎:(地震本部は)研究する場所ではない。研究結果を総合して判断する場だ。(1611は)千島(海溝沿いが震源)ではないかという議論もあったが。
岸:それは後で聞きます。
議事録の、「北海道の堆積物に若干見られる。」これは佐竹先生の発言か?
島崎:そうだと思う。
岸:それに対し、「データが集まったら、また考えたい」と。考え直すことはあったか?
島崎:北海道は調査中だった。データがだんだん集まっているので、新しいデータがそろえば議論しようと考えていた。
岸:「1611は~正断層ではないと思う。」これは都司先生の発言か?
島崎:都司先生だと思う。
岸:なぜ正断層ではないと?
島崎:(正断層型の)1933は、ゆれも大きく、津波もある。津波地震はゆれは小さい。1611の地震は、午前にゆれ、午後に津波が来た。正断層なら2回ゆれがあるはずだが、午後のゆれの記録がない。
4 ハルマゲドン地震について
【資料24 H14.3.8 海溝型分科会 議事要旨】3枚目岸:証人のご発言で、「伊豆マリアナでは大きな地震は過去一度も起きていないので発生しないと思われてたのに、そこにグアムのM8が起きた。これに似た稀な例として、茨城、福島沖に考えるのか? 天変地異になる。」とあるが?
島崎:ここで言っていることはハルマゲドン地震のことだと思う。
岸:ハルマゲドン地震とは?
島崎:東北地方は少しずつ地盤が上がっている。長期的には隆起するのだが、なぜか沈降が続いていた。上昇しなければならないところが沈降しているので、いつか帳尻を合わせないといけない。陸に近いところが揺れる、大変な地震になる、というのがハルマゲドン地震である。
岸:それを茨城沖、福島沖に考えるということか?
島崎:どこで起きても大変なものだ。
岸:「茨城、福島沖に」という趣旨は?
島崎:(茨城沖・福島沖は)津波地震がずっと起きていないけれど、いつか起きる。ハルマゲドンは評価できない。ハルマゲドン地震は起きたことがないから。福島沖や茨城沖でハルマゲドン地震が起きるという意見もある。
岸:ハルマゲドン発言の趣旨は、「考えすぎ」ということではないのか?
島崎:そこまではわからない。
岸:その数行下、「分からないことはこれだけあるのだから、具体的評価は困難。コメントだけに。」とある。分からないという意見があるが?
島崎:この意見は、ハルマゲドン地震のことである。その旨のコメントを(長期評価の説明文に)残してある。
「三陸沖から房総沖にかけての地震活動の長期評価について」22頁 |
島崎:いいえ。ハルマゲドンだけです。
岸:分科会での次のやり取りを見ると、ハルマゲドンとは違うように見えませんかぁ?
島崎:いいえ、沈み込みについてコメントとして残すだけで、ハルマゲドンは評価していない。
岸:そうですかぁ?
では戻って、「グアム近くの~アスペリティは必ず固着して動かないという可能性はどれほど高いのか。~確率まで扱ったらきりがない。」のところ。この、「アスペリティは必ず固着して動かない」という議論は?
島崎:カップリングをどう考えるか。東北地方は日本海溝沿いで年間8cm(ひずみが)たまるはず。しかし、実際はそんなにたまっていない。100年に8mずれるはずだが、5~6mしかずれていない。
東北はカップリング100%ではない。それをどう考えたらいいか。100%ではなくても少しでもあれば、最後にはずれる。グアムもそうだった。
アスペリティはよく固着しているからバリっと割れるか?カップリング100%になったらずれる、という人もいる。人によって意見が違う。
岸:これは、福島沖や茨城沖で地震が起こることの疑問を述べていたんじゃないですかぁ?
島崎:これはハルマゲドンのことだと思う。
岸:そうですかぁ?
5 1677年延宝房総沖地震の震源について
岸:下から2行目、「海溝沿いと陸地よりは分けている。決してこれが房総沖におきたものではない。中部と南部にもっていくことはできない。」これはどういう趣旨か?島崎:すぐには思い出せない。
岸:次のページもあわせて見てどうか?
島崎:これもカップリングの議論の続きか?図がないので。図を見て議論していたから。
岸:「海溝沿い」と「陸地より」を分けて、と言っているが?
島崎:ああ、そうか。図ができて、海溝と陸を分けていて、1677について、房総沖やフィリピン(海プレート)ではなくて、と。
岸:北の明治三陸や延宝房総沖ではない、という意味ではないか?
島崎:明治三陸は明らかに北だとわかっているので、そうではない。ちょっとわからない。
岸:1611や1896のことでは?
島崎:いいえ。「房総沖におきたものではない」というコメントがあるので。
6 歴史地震の研究について
【資料26 H14.4.10 地震調査委員会】3枚目岸:事務局の発言として、「分科会の報告、まだ固まっていないが紹介する。海溝沿いの領域が広い範囲だが質問はないか」と。
証人のご発言として「歴史地震の研究、不十分なところが~」とあるが?
島崎:「興味を持って、勉強してほしい」と思って言ったことである。
岸:証人もよく分らないんじゃないですかぁ?
島崎:一般の地震学者よりは分かります。
岸:「歴史地震の研究が不十分」だと?
島崎:そうでもあるが、(歴史地震の震源が)ここだ、と図に書けないと。そういう意味では不十分だと申し上げた。
岸:平成14年5月14日の海溝型分科会で、津波地震を(400年に)3回と2回で確率計算するとした?
島崎:はい。
岸:外した地震は何?
島崎:1677。
7 1611佐竹千島起源説の扱いについて
【資料27 H14.5.14 分科会議事要旨】7枚目佐竹「津波地震として1677年はいれるかいれないかだが、1611年の位置も本当にここなのか?」
島崎「ほとんど分からないでしょう。」
岸:ここは、1677は入れたものと外したものとで計算したが、1611は(海溝沿い津波地震と)分かっているものとして場合分けしていないことへの異論か?
島崎:はい。そういうことです。
岸:阿部先生が、1677は房総沖ではなくて陸地近くのM6クラスの地震かも、と言ったことに対し、証人が、1611年の地震についてもそういうものがあれば取り上げたい、と言っているが、異論があれば取り入れるとということか?
島崎:そうです。
岸:佐竹先生が、1611が千島の地震である可能性を示した?
島崎:はい。
岸:証人は「わからない」と。
島崎:わからないの程度による。
岸:証人は「次善の策として三陸に押し付けた」と発言されている。どういう意味か?
島崎:1611の議論は、佐竹さんが千島でものすごい地震が起きたものではないかと主張した。それが日本列島でも午前にゆれ、そして時間が掛かってはるばる三陸まで津波が来たとという説だ。(北海道釧路地方の)霧多布で17世紀の(津波)堆積物があった。学問的に興味ある見解だが、実際には(このような説が成り立つことは)難しい。
(400年に)3回の津波自体は事実である。
岸:減らすべきではない?
島崎:三陸を3回大きな津波が襲ったのは事実に基づいて動かすことができない重いものがある。起きた震源の場所が違うという意見があるからといって、これをデータから取って減らしてしまうと警告の意味がなくなる。
ここ(推本の長期評価)の議論は一般防災に役に立つための議論をしている。死者のほとんどは津波による。
佐竹先生の千島の説は、千島の議論が(三陸~房総のあとの長期評価で)始まりつつあるから、そこでやればいいと考えた。
岸:証人は千葉地裁での証人尋問で、「次善の策として」の発言について質問を受けましたね?
島崎:はい。事務局の発言だと思って、「よろしくないですね」と言った。「次善の策」が、今言ったような意味ではなくて、事務的な発言だと思ったからだ。
岸:「よろしくない。科学的でない。」と言った。事務局の発言であったとしても、好ましい発言でないなら、お認めになるべきではないですかぁ?
島崎:いいえ、今は、どういう意図で言ったか分かりますので、経緯を思い出したので。3回の津波は事実だと。取ってしまってはダメと考えました。
岸:証人が、千島で大きな地震があったという証拠はあるか、という質問に、笠原(稔)先生が、逆にそれがないと(霧多布の)津波堆積物の説明がつかない、と発言している。これは佐竹説の後押しか?
島崎:笠原さんは歴史地震の専門ではない。堆積物は17世紀前半のものというだけ。少し違う。
岸:1611について、地震被害がなく、宮古で音を聞いている、というところは、都司先生の新説か?
島崎:はい。
岸:証人は、「(1611の震源が千島だという)その可能性もあるというコメント残して、三陸にしよう。」と発言した。取りまとめのための発言か?
島崎:提案ですね。
岸:千島を残すと?
島崎:はい。
岸:公表された長期評価を見ると、1611は、千島のコメントはない。なぜ無くなったのか。
島崎:そこまで細かく覚えていない。
岸:阿部先生の発言、「あと2回しか議論する時間がない。」。急ぐ状況だったのか?
島崎:特にそうでもなかったが、事務局がそのようにスケジュールを設定した。
8 1677延宝房総沖 石橋「陸より津波地震説」について
岸:1677、延宝房総沖の議論について、石橋説は有力だったか?島崎:1677が津波地震であることは全員一致している。石橋さんは、ゆれから見て震源は陸寄りではないかという説だった。だから海溝沿いではおかしいのではという意見があった。しかし、(仙台の南の)岩沼でも被害があった。陸に近いところ(震源)からの津波は考えづらい。
議論が右に行ったり左に行ったりしながら収束していく場面だ。
岸:証人のご発言で、「1677年は海溝よりの津波地震として扱う。」とある。「として扱う」というのは、実際は分からないが、そうするという意味では?
島崎:そういう趣旨ではない。1677は海溝寄りの地震と判断できる。分科会で文書を読みながらなので扱うと言っている。
岸:その下、「いれておいてもいいような気がする。」と。「気がする」というのは感想めいた言い方だ。1677は(陸寄りの地震であることを)科学的、学術的に否定する根拠はお持ちでないのではないか?
島崎:私の発言の隅々まで問題になっているが、文字で読むと雑駁で不用意な発言に見えるかもしれないが、この場はそれでもいいからみんなの意見が出ることが大事だと考えたからだ。科学者としてもっと正確に言うべきかもしれないが、私としては、なるべくざっくばらんに話し合える場を作ることを心がけていた。みなさんに胸のものを出すように、飾らない場にしたいと考えていた。雑駁すぎると取られるかもしれないが、そんな雰囲気を作りたかった。
9 事務局の取りまとめについて
岸:そのあとの事務局の発言「合計3回とし、確率を計算し直す。」。これで決まったのか?島崎:その場の雰囲気をまとめたのが前田(憲二)さん。まとめないといけないので、よろしいでしょうかと。反論があれば出るが、みなさん納得された。
【資料31 長期評価部会 議事要旨?】4枚目
岸:吉田委員の発言で、海溝沿いで3回のうち、1611と1896が重なっていると。
重なっていたのか?
島崎:1611(の波源域の図)はおそらく相田(勇)論文から。1896は谷岡・佐竹論文。ほとんど重なるということはないと思う。
岸:長期評価では、重なるものはどうしたか?
島崎:1611年については、正確に図示するほどは分からない。南北はどのくらい確かか尋ねたが、佐竹先生も「ほとんど分からない」という意見だった。図がその通りとは言っていない。参考文献に図があったが。
岸:もし重なり合っていたら、まったくあり得ないと長期評価で考えたか?
島崎:分からない、と。
岸:(特定の領域では)530年に1回の地震だから、もし1896と1611が重なっていると、繰り返し間隔が285年に1回になる。これはいかがなものか?
島崎:分かっていればその方に進むのも一つの考えだが、分からないのだ。中央防災会議がとんでもないことをした。これから起こるべきところについて対策を放棄したことが問題だ。
岸:もし分からないのなら、重なっている可能性もあるのでは?
島崎:はい。
岸:長期評価(で決めた結論)ではなく、285年に1回と評価できるのでは?
島崎:もし重なっていれば。しかし、我々はそういう判断はできないとした。
岸:(1611が)1933と同じ、正断層という説は? 1933は正断層型で、1611が同じという説もある。都司説で、正断層説が無くなったというが、正断層という考えもあると思ったか?
島崎:相田先生が、1933を1611に置いて計算した論文があった。
岸:島崎証人の発言、「400年に3回とわりきった」という趣旨は?
島崎:1611について、千島沖の説があったと説明した。三陸沖だとは思うが、しかし万が一、可能性はゼロではない。問題が残っていると。
この年の11月、佐竹先生が、根室と釧路の領域が同時にすべれば(霧多布の堆積物の原因となる津波が)有り得るとして、決着がついた。
この時点では、ひょっとして、可能性はゼロではないと考えていた。
岸:「一様に起こるとした」については?
島崎:前の(1611の)地震がどこか分からないので、次も(どこで起こるか)分からないと考えた。
岸:問題にしたと?証人も問題だと思ったか?
島崎:1611はどこか分からない。千島だったとひっくり返れば、「三陸沖から房総沖どこでも」を見直さないといけない。
岸:分からないことを分かったように確率計算したことが問題だったのでは?
島崎:ここでは問題ない。3回(大きな津波が)起きたことは事実だから。
10 東北大学大竹政和教授や中央防災会議の見解について
岸:東北大の大竹政和教授から質問状が来たと、証人の論文にも記載がある。【弁1 岩波『科学』2011年10月号】3枚目
岸:公表直後の8月8日に、「1611は正断層ではないか」「今回の評価は信頼度が低い」などの意見が寄せられたと?
島崎:いろいろ書いてあったが、そのうちの2つだ。
岸:信頼度についてはどんな内容か?
島崎:個別にどうこうではないような、漠とした内容で、具体的には思い出せない。
岸:阿部先生の(「防災対策側との『フリクションの原因となっている』」)発言の趣旨は?
島崎:2002年7月26日、公表前の金曜日に、内閣府参事官補佐からのメールが添付されて(前田憲二氏から)送られてきた。内閣府で何が問題になっているか、4点にわたって批判が書かれていた。三陸沖から房総沖どこでも津波地震が起こりうるとしたことの批判。ポアソンで(確率計算を)やっていることや、福島沖など起きていないところで起こる保証はあるのかと書かれていた。阿部さんは地震調査委員会で発言した。
岸:防災対策側、つまり内閣府とのフリクション、対立だと述べたのか?
島崎:そういう表現をされた。
岸:信頼度については?
島崎:確実度と言っていた。当時は。
【弁2 長期評価の信頼度について】
【弁3 分科会資料】
岸:1677、「怪しい」の記述がある。
資料作成の段階で証人は関わったか?
島崎:いいえ。すでに津波地震をターゲットにして内閣府からの圧力があった。
岸:事前に見たか?
島崎:見ていない。
岸:何に基づいて言うのか?
島崎:事務局に気象庁から出向している。ポアソン評価はやめなさい、繰り返しがわかっている地震のみ扱えとずっと言っている。津波地震の評価を貶めている。
「問題あり」とは書くかもしれないが、「怪しい」というのは(おかしい)。一貫して「怪しい」と書いてある。
岸:主査は、変な資料が出ないようにするのでは?
島崎:はい、(この時は見ていないから)だからこんなものが出てきた。
11 津波地震の規模について
岸:長期評価は、明治三陸の規模について、信頼度はAと。平成21年3月9日の一部改正でもM8.2は変わっていない?島崎:はい。
岸:3.11直前の、第二版の案でも変わっていない?
島崎:はい。
岸:M8.2は、阿部先生の、過去に発表された数字か?
島崎:阿部さんは、国内のデータでM8.2、外国のデータを用いたM8.6、三陸の遡上の平均からのM9.0、他にM9.3か9.2、いろいろな数字を持っていた。事務局が阿部さんの論文からM8.2を持ってきた。
2003年の阿部さんの論文に、8.2、8.6、9.0があって、8.6が阿部さんのおすすめの数字だった。
岸:長期評価はM8.2と?
島崎:Mは変わることがある。2008年5月、茨城沖の地震のMの数値を新しくするよう事務局に言った。
(明治三陸の)M8.2は、阿部さんがそのままでいいと言ったと。論文を書いた人は、頭の中にいろいろある。受け取った人は逆に受け取ったりもする。論文の著者と読者の評価が一致しないことがある。何かわからないが、M8.2のままであった。
岸:M8.2でよいと?
島崎:事務局にそのように言われた。
休廷
再開
(再主尋問)
12 ハルマゲドン地震について
久保内:ハルマゲドン地震について。ハルマゲドン地震の議論があるが、津波地震とは別のものか?
島崎:別です。
久保内:どういった議論か?
島崎:地形地質の人が問題にする。三陸海岸の地形は、長期的には上昇傾向にある。しかし、観測以来沈降していて、観測事実と合わない。どこかで帳尻を合わせないといけない。ゆるやかなら問題ないが、一気に起きるのか。沿岸が一気に上昇するのでは。私たちがまだ知らないことで、それが地震として起こるのか、ゆっくり起こるのか。一気に起こるのではという主張もあった。否定もできない。天変地異的なものが起こるのではと。
久保内:評価困難で、コメントのみと?公表した時にコメントがあったか?
島崎:はい。
【資料13 長期評価2-2-4】
久保内:このコメントのみと?
島崎:はい。
久保内:長期評価で評価した地震は、解明されたもののみを載せたと?
島崎:地震としてのイメージを持てるもののみを扱った。
13 歴史地震の評価
久保内:歴史地震について。長期評価を評価するにあたってどう扱った?島崎:近代的な観測は100年足らず。(100年以内に)繰り返す地震も無いでは無いが、それよりも間隔の長い地震は多数ある。同じところで同じ地震が起こるということを基礎にする。ほとんどは最後に起きた地震は記録があるが、歴史資料だ。
繰り返し発生していると求められた長期評価の基本的資料。
久保内:歴史地震は、専門家の中でも一部の人と?
島崎:古文書はなかなか読めない。読むところから始めないと。資料の取り扱いは専門知識がいる。専門家が限られる。長期評価に役立つ。
久保内:1611の震源域が図示できないという話があった。歴史地震の研究は進歩しているのか?
島崎:新しく資料が発見されたりして、変わっている。変わりうる。
久保内:2002年の公表当時は、資料は十分だったか?
島崎:十分であるからこそ公表できた。
14 大竹政和教授の意見について
久保内:長期評価公表後、大竹教授が質問状を寄せたと。大竹教授のことは直接知っているか?島崎:はい。個人的にも。東大地震研の同僚だった。
久保内:コメントの理由は?
島崎:当時は東北大にいた。地元のことだったからか?
歴史地震のことはご存知ではない。原子力安全委員会で、地震担当ではトップの人。
このあと、2002年12月から日本海東縁部の議論が始まった。初回は欠席したが、2003年の1月から、審査の傍聴に来ていた。発言もした。専門家を招聘したこともあるが、大竹さんはそうではなく来た。大竹さんは日本海の(地震の)本は書いた。日本海東縁部の審査にずっといた。
東京電力に関係することかもしれない。ある部分では激高したと聞いている。
2002年12月からの分科会で、2003年1月から来ていた。
久保内:大竹教授は委員だったのか?
島崎:いいえ。
久保内:日本海東縁部とは?
島崎:北海道西岸・沖合から、本州中部までの海岸及び沖合の地震で被害を及ぼすものを審議した。
久保内:東京電力に関係する、とは、柏崎刈羽原発のことか?
島崎:はい。
久保内:激高した、とは?
島崎:1833年だったか?大きな津波の地震があった。その位置の推定と、地震を起こす推定の帯が一致していないという議論の時、突然怒り出した。
久保内:どのように怒ったのか?
島崎:断層をどこまで取るかの議論をしていた時、「そんな風に決めるものではない!」と。
久保内:なぜ怒ったのか?
島崎:当時は分からなかった。そもそも委員でもないのに、なぜいるのかもわからない。
山形と新潟の県境の地震についての議論の時だと思う。「そんなことでマグニチュードを決めていいのか!」と怒った。
久保内:終わります。
裁判長:では、これで終わります。本日は以上。次回は別の証人。
閉廷
15 まとめ
- 反対尋問で、武黒被告の岸弁護人は「長期評価」の根拠となった過去の地震について、震源が正確にわからないなど前提となる研究の内容に疑問を提起したが、島崎氏は、震源についてはさまざまな議論があったことを認めたうえで、「大きな津波が3回起きたことは重い歴史的事実だ」と述べ、「長期評価」の内容は信頼できるものだったと述べた。
- 岸弁護人は、「長期評価」をとりまとめた地震調査研究推進本部の海溝型分科会の議事録に、島崎氏が、「過去に1度しか起きていない地震をどう評価すべきか知恵を出してくれ」と発言したことがを取り上げ、「証人(島崎氏)も過去の地震をどう扱うか悩んでいたのではないか」と質問した。これに対して島崎氏は、「私自身の考えはあったが、地震の評価については皆で議論すべきだと考えていた」と答え、指摘を否定した。
- また、岸弁護人は、島崎氏が「歴史上の地震の研究には不十分な点がある」などと発言した議事録を示して「島崎氏も歴史上の地震のことはよく分からないというのが本音だったのではないか」と質問した。島崎氏は、「自分自身は一般の地震学者よりは詳しかったが、研究者の間に情報が行き渡っていないのが問題だと感じていた」と答えた。その上で、「歴史上の地震について研究に不十分な点があるとしても、実際に大津波が東北地方を襲っていた事実は重い」として、改めて「長期評価」は妥当だったと述べた。さらに、「私の発言の隅々まで問題になっているが、それは、文字にすると雑に見えるだけで、なるべくざっくばらんに話し合える場を作ることを心がけていた」と証言した。
- また、島崎氏は、「津波地震をターゲットにして内閣府中央防災会議からの圧力があった。」「中央防災会議がとんでもないことをした。これから起こるべきところについて対策を放棄したことが問題だ。」と述べ、主尋問に続いて、中央防災会議の対応を強く批判した。