2018年6月15日金曜日

刑事裁判傍聴記:第16回公判(添田孝史)

「事故は、やりようによっては防げた」

首藤伸夫氏 絵:吉田千亜さん

 6月13日の第16回公判の証人は、首藤伸夫・東北大名誉教授だった。首藤氏は1934年生まれ、「津波工学」の提唱者であり、1977年に東北大学に津波工学研究室を創設した初代教授だ。前日の証人だった今村文彦教授の師にあたる。

 1995年から原発の設置許認可を担う旧通産省の審査に加わった。土木学会が1999年から始めた津波評価技術(土木学会手法)の策定では主査を務めた。事故前に、福島第一原発の津波想定が5.7mとなる基準を定めた、そのとりまとめ役である。

 公判で、首藤氏は明治三陸津波(1896)以降の津波対策の歴史を語り(*1)、そして福島第一原発の事故について「やりようでは防げた」と証言した。

◯中央防災会議の津波想定を批判

1960年のチリ津波の後、岩手県釜石市両石町で、首藤氏が津波の片付けをしているおばあさんに「おばあさん、大変でしたね」と声をかけた。
 「そのおばあさんは、こんなに災害でやられているのに、こんなきれいな笑顔ができるのかというくらいニコッと笑って、『あんたね、こんなものは津波じゃない。昭和や明治の津波に比べたら、こんなものが津波と言えますか』と言われた。その一言が、私の人生を変えた『宝物』ですね」(*2)

中央防災会議が想定した津波の波源域
「地球の歴史をざっと50億年と考えて、人間の50年の人生に比較すると、地球にとって30年というのは、人間にとっての10秒ほどにすぎない。地震の観測が詳しくなったここ30年の期間なんてそんなものなんですよ。10秒の診察では、人間の病気はわからないでしょう。津波のことはわかってないぞ、というのが腹の底にある」(*3)

 さすがに津波工学の創設者だけあって、津波対策の歴史についての語りは体系的でわかりやすかった。上に紹介したようなエピソードは、これまでもいろいろな媒体に掲載されてきたが、法廷で初めて聞いた人も多かっただろう。

 今回の証言で、私が初めて耳にしたのは中央防災会議への批判だった。

 中央防災会議の日本海溝・千島海溝周辺海溝型地震に関する専門調査会は、想定する津波を、これまで繰り返し起きているものに絞り込んでいた(*4)(地図)。
 首藤氏らが1998年に取りまとめた「七省庁手引き」(*5)では、最新の地震学の研究成果から想定される最大規模の津波も計算し、既往最大の津波と比較して、「常に安全側の発想から対象津波を選定することが望ましい」としていたが、後退していた形だ。

 「七省庁手引きで、最大津波を想定しましょう、としたのが中央防災会議ではすっぱり落ちている。学問の進歩を取り入れて想定しましょうとしていたのに理由がわかりません。大変がっかりした」。首藤氏はこのように述べた。

◯土木学会に審議してもらおうとしたのは東電だけ

2008年7月31日に、武藤栄元副社長が長期評価の対策を先延ばしし、土木学会の審議に委ねたこと(ちゃぶ台返し)に関して、被告人側の中久保満昭弁護士は、こう尋ねた。

「地震学的な取扱について津波評価技術(土木学会手法)の改訂を審査してもらう手順について合理的だと思われますか」
 首藤氏はこう答えた。
「当然だと思います。いろいろなところの学問の進歩に触れながら、取り入れて手法を作っていく。それは一つの電力会社では手に余る」

 しかし、実際には、東京電力以外の電力会社は、土木学会の審議を経ずに学問の進歩を取り入れて、新しい津波を想定していた。3年かけて土木学会の審議してもらおう、と言ったのは、東電だけだったのだ。

 東北電力は、女川原発の津波想定に貞観地震(869)を取り入れて2010年に報告書をまとめていた。土木学会手法(2002)では、貞観地震の波源は想定していないが、土木学会の改訂審議は経ていない。

 日本原電は、東海第二原発の津波想定を2007年に見直し、対策工事を始めた。1677年の延宝房総沖津波の波源域を、土木学会手法より北に拡大したが、土木学会の審議は経ていない。

 中部電力も、2006年から始まったバックチェックで、浜岡原発の津波想定に最新の中央防災会議モデルを採用した。やはり、土木学会の審議は経ていない。

 波源域の見直しは一つの電力会社では手に余る、という事実は無いのだ。

◯揺れ対策は「十数万年に1回」の対策に費用を投じていた

検察官役の久保内浩嗣弁護士の質問に、首藤氏は「事故はやりようによっては防げた」と明言した。首藤氏は、地震について10秒分しか知らないのだから、防潮堤では限界があることを念頭に、一つの手段がだめになったらお手上げという形でなく、建屋の水密化などの対策もとって、津波に対して余裕をもって対応すべきだったと説明した。

 ただし、「10年20年で廃炉になる原発に、対策費用をかけるのがなぜ必要なんだと反論が出た時に、説得するのが難しい」とも述べた。その例として、東京を200年に1回の水害から守るスーパー堤防事業が、費用がかかりすぎるとして仕分けで廃止されたことを挙げた。

 その説得は、実は簡単だ。「原発ではそういう規則です」と言えばいいだけである。電力会社の費用負担に気兼ねして津波対策の余裕を切り下げる必要は全くなかった。

 2006年9月の耐震バックチェック開始以降、各電力会社が、十数万年に一度しか起きないような地震の揺れにまで備えた対策を、場合によっては数百億円以上もかけて進めていたことを、首藤氏は知らなかったのだろうか。そして、各電力会社の株主総会で「あと10年しか使わない原発の補強は無駄だから止めろ」という声は出ていなかった。

 河川堤防のような一般防災と、原発防災では、求められている安全性能も費用対効果の考え方も全く異なる。それを首藤氏は知らなかったのか、あえて混同して証言したのか、それはわからなかった。

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*1 首藤伸夫「チリ津波40周年―何をもたらし、何が変わったか―」自然災害科学 19-3 275-279
http://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_10751435_po_ART0003295015.pdf?contentNo=1&alternativeNo=
政府事故調 聴取結果書 首藤伸夫 2011年7月7日
http://www8.cao.go.jp/genshiryoku_bousai/fu_koukai/pdf_2/255.pdf
など

*2 学生記事 大先輩に伺う土木の学び―温故知新「10秒診察に注意せよ!―過去の災害の経験から今の防災を考える―」語り手・首藤伸夫 土木学会誌2015年8月
https://ndlonline.ndl.go.jp/#!/detail/R300000002-I026617323-00

*3 添田孝史「原発と大津波―警告を葬った人々」p.42 岩波新書 2014

*4 中央防災会議「日本海溝・千島海溝周辺型地震に関する専門調査会報告」2006年1月
http://www.bousai.go.jp/kaigirep/chuobou/senmon/nihonkaiko_chisimajishin/pdf/houkokusiryou2.pdf
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添田 孝史 (そえだ たかし)
サイエンスライター、元国会事故調協力調査員
著書に 『原発と大津波 警告を葬った人々』、『東電原発裁判―福島原発事故の責任を問う
(ともに岩波新書)

刑事裁判傍聴記:第15回公判 崩された「くし歯防潮堤」の主張
刑事裁判傍聴記:第14回公判 100%確実でなくとも価値はある
刑事裁判傍聴記:第13回公判 「歴史地震」のチカラ
刑事裁判傍聴記:第12回公判 「よくわからない」と「わからない」の違い
刑事裁判傍聴記:第11回公判 多くの命、救えたはずだった
刑事裁判傍聴記:第10回公判 「長期評価は信頼できない」って本当?
刑事裁判傍聴記:第 9回公判 「切迫感は無かった」の虚しさ
刑事裁判傍聴記:第 8回公判 「2年4か月、何も対策は進まなかった」
刑事裁判傍聴記:第 7回公判 「錦の御旗」土木学会で時間稼ぎ
刑事裁判傍聴記:第 6回公判 2008年8月以降の裏工作
刑事裁判傍聴記:第 5回公判 津波担当のキーパーソン登場
刑事裁判傍聴記:第 4回公判 事故3年後に作られた証拠
刑事裁判傍聴記:第 3回公判 決め手に欠けた弁護側の証拠
刑事裁判傍聴記:第 2回公判



2018年6月14日木曜日

刑事裁判傍聴記:第15回公判(添田孝史)

崩された「くし歯防潮堤」の主張


 6月12日の第15回公判の証人は、今村文彦・東北大学教授だった。今村教授は、東北大学の災害科学国際研究所長。津波工学の第一人者で、原子力安全・保安院、地震調査研究推進本部(地震本部)、土木学会、中央防災会議で専門家の委員として関わっていた(*1)。福島第一原発事故に関わるすべての津波想定の審議に加わっていた重要な証人だ。

 証言のポイントは3つあった。

1)「事故は防げなかった」とする被告人側の主張の柱を、今村教授の証言が崩した。今村教授は、地震本部の長期評価(2002)の15.7m津波に備えようとすれば、福島第一1号機から4号機の建屋の前に、ある程度の高さの防潮壁を設置することになり、それが設けてあれば、東日本大震災の津波も「かなり止められただろう」と述べた。
 被告人側は、15.7m対策として防潮壁を設置するならば敷地南側、北側など一部に限られるため、それでは今回の津波は防げなかったと主張していた。

2)一方で、「福島沖でも津波地震が発生する」とした長期評価の信頼性について、今村教授は、「どこでも発生するとする根拠はわかりませんでした」「少し荒っぽいという感じをうけていた」「直ちに対策をとるべきとは考えなかった」と述べ、津波の予見可能性については、東電側の主張に沿った証言をした。

3)安全審査を担当する今村教授が、規制を受ける側の東電と、何度も一対一で、審議の進め方などについて非公式の場で話し合っていたことが明らかになった。その場で今村教授は、津波対策の先送りに「お墨付き」を与えていた。本来は公開の審議会で、多様な分野の専門家で議論されるべきテーマだ。

◯「15.7m対策で、311の津波も止められた」

今回の公判で一番注目されたシーンだろう。検察官役の久保内浩嗣弁護士の「長期評価の試算にもとづけば、どの場所に鉛直壁(防潮壁)を設置するか」という質問に、今村教授は、敷地の北側と南側の一部だけでなく、1号機から4号機の建屋前の全面に設置が必要だと、赤ペンで書き入れた(イメージ図)。
手書きの赤線は、法廷で今村教授が引いた線を海渡弁護士が再現したもの

 そして、そこにある程度の高さの防潮壁があれば、311時の津波も「かなり止められたと考えられる」と証言した。

 これまで被告人側は、長期評価の津波対策としては建設するならば、敷地南側と北側を中心とした一部だけにクシ歯のように防潮壁を配置したから、事故時の津波は防げなかったと主張していた。15.7m想定は敷地南側が最も津波が高く、1号機から4号機の建屋前からは、津波は敷地を超えないので防潮壁は作る計画にはならなかった。東日本大震災の時の津波は襲来する方向や高さが異なっていたから、それでは防げなかったという理由だ。

 ところが今村教授は、津波の周期によっては、防波堤の内側の港の中で津波が増幅される可能性があるので、15.7m想定の場合でも、1号機から4号機の前に全面的に、防潮壁を検討しなければならないと述べた。

 被告人側が主張していた「事故は避けられなかった」とする根拠が、津波工学の第一人者によって崩されたことになる。

◯「長期評価の根拠、わからない」

長期評価の信頼性については、弁護側の宮村啓太弁護士の質問に、以下のように否定的な意見を述べた。

宮村「長期評価で、津波地震が日本海溝沿いのどこでも発生する可能性があるとしたことについて」
今村「非常に違和感がありました。根拠はわかりませんでした」
宮村「日本海溝沿いは、同じ構造を持っていると言えるか」
今村「難しかったと思います」

 ただし、今村教授は、事故前に土木学会が実施したアンケート(2004)では、次のように地震本部の見解に近い側に回答していた。

「過去に発生例がある三陸沖と房総沖で津波地震が活動的で、他の領域は活動的でない」0.4
「三陸沖から房総沖までのどこでも津波地震が発生するという地震本部と同様の見解」0.6

 土木学会が2009年に実施したアンケートでも同様に、福島沖でも津波地震が発生しうるとする見解に重きを置いていた。

「三陸沖と房総沖のみで発生するという見解」0.3
「津波地震がどこでも発生するが、北部に比べ南部ではすべり量が小さい(津波が小さい)とする見解」0.6
「津波地震がどこでも発生し、北部と南部では同程度のすべり量の津波地震が発生する」0.1

 また、今村教授は2007年3月から地震本部地震調査委員会のメンバーになっており、長期評価(2002)の改訂作業にも加わっていた。この改訂は2011年の事故直前まで進められていたが、改訂版でも津波地震は福島沖を含むどこでも起きるとされていた。これについて、議事録等を見ても、今村教授が「根拠がない」と異議を唱えていたことは記録されていない。

 今村教授は、アンケートについて「答えにくい選択肢だった」と述べたが、福島沖での津波地震が、後述するように「1万年に1回も起きない」と考えていたようには見えない。

◯津波工学の専門家だが、原子力規制の専門家ではない

2008年7月31日に、武藤栄元副社長が長期評価の対策を先延ばしし、土木学会の審議に委ねた、いわゆる「ちゃぶ台返し」の妥当性について、今村教授は以下のように証言した。

宮村「まず土木学会で審議するのは妥当な手順か」
今村「合理性がある」
宮村「土木学会の議論を経ずに、直ちに対策工事を行うべきだと考えたか」
今村「考えていませんでした」
宮村「運転を停止すべきとは考えたか」
今村「そこまでの根拠、データ、知見はありませんでした」

 また、裁判官の質問に対しても
「(長期評価を取り入れる)切迫性は感じていませんでした。現地での調査も重要と考えていて、少し時間がかかると思っていました」と答えた。

 このやりとりを傍聴していて、今村教授の判断、行動には理解しにくい点がいくつもあった。

 一つは、東電から「土木学会で時間をかけて審議し、そのあと対策をする」という説明を受け、保安院の審議会に諮ることもなく了承したことだ。

 バックチェックでは「施設(原発)の供用期間中に極めてまれではあるが発生する可能性があると想定することが適切な津波を想定する」と定められていた(*2)。ここで「極めてまれ」とは、1万年に1回しか起きないような津波のことを指すと解釈されていた(*3)

 さらに、津波想定の見直しを含む、古い原発の耐震安全性のバックチェックは、耐震指針が改訂された2006年9月から3年以内が締め切りだった。当時、指針を担当する原子力安全委員会の水間英城・審査指針課長は、電力各社に対して「3年以内、(13か月に1回行う)定期検査2回以内でバックチェックを終えてほしい。それでダメなら原子炉を停止して、再審査」と強く求めていた(*4)

 福島沖の津波地震は、「1万年に1回以下のまれな津波」と判断される可能性はほとんどなかったのに、土木学会で審議しなければならないと判断した根拠は、今村教授からは示されなかった。長期評価について専門家で議論が分かれていることを今村教授は主張したが、1万年に1回も起きないとするだけの強い証拠は無かった。そして、それは土木学会で検討するテーマではなく、地震学者の領域だ。

 二つ目は、すぐに対策を始めず、土木学会で2012年までかけて審議しても良いと了承したことだ。
 「切迫性がなかった」「現地での調査が必要と考えた」と今村教授は述べたが、バックチェックで想定すべきと定められた津波は「極めてまれな津波」で、「切迫している津波」ではない。また2007年には、原発から5キロ地点で、東電の従来の想定(土木学会の手法による)では説明できない、大津波による津波堆積物がすでに見つかっていた。

 そんな状況のもとでも、時間をかけて土木学会で検討し、バックチェック期限を破っても「合理性」があったとする根拠は何か。バックチェック期限を破って運転を続ける間、原発に一定の安全性は確保されていたのだろうか。

 それらを判断するのは、津波工学が専門の今村教授だけではなく、公開の保安院の審議で、多様な専門家で話し合って決めるべきだったはずだ。

 今村教授は、規制対象の東電と、非公開の場で接触して、安全審査の方向性についてアドバイスしたり、先延ばしを了承したりしていたことが、公判で示された東電社員との面談記録から明らかになった。

 このような不透明な手続き、専門分野から踏み越えた領域での今村教授の「判断」が、事故につながっている。そのような形で専門家を使った東電の狡猾さに、まんまと引っかかったとも言える。

______________
*1 原子力安全・保安院で福島第一原発の耐震バックチェックの審査をする委員会に所属。
地震調査研究推進本部(地震本部)の地震調査委員会委員(2007〜)で、同委員会の津波評価部会長。
中央防災会議の日本海溝・千島海溝周辺海溝型地震に関する専門調査会(2004〜)で委員。
土木学会の津波評価部会委員(1999〜)

*2 新耐震指針に照らした既設発電用原子炉施設等の耐震安全性の評価及び確認に当たっての基本的な考え方並びに評価手法及び確認基準について(2006年9月20日 原子力安全・保安院)のp.44
http://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/8422832/www.nsr.go.jp/archive/nsc/senmon/shidai/taishintoku/taishintoku005/siryo5-3-1.pdf

*3 政府事故調 水間英城(元原子力安全委員会審査指針課長)聴取結果書
http://www8.cao.go.jp/genshiryoku_bousai/fu_koukai/pdf_2/235.pdf

*4 鎭目宰司「漂流する責任:原子力発電をめぐる力学を追う(上)」岩波『科学』2015年12月号p.1204
______________
添田 孝史 (そえだ たかし)
サイエンスライター、元国会事故調協力調査員
著書に 『原発と大津波 警告を葬った人々』、『東電原発裁判―福島原発事故の責任を問う
(ともに岩波新書)

刑事裁判傍聴記:第14回公判 100%確実でなくとも価値はある
刑事裁判傍聴記:第13回公判 「歴史地震」のチカラ
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刑事裁判傍聴記:第 3回公判 決め手に欠けた弁護側の証拠
刑事裁判傍聴記:第 2回公判


論考 海渡雄一弁護士

2018年6月13日

耐震バックチェックの法的意味づけと保安院、原子力安全委員会の見解の意義

高尾課長、酒井GMはなぜ、津波対策は不可避であると考えたのか?


被害者参加代理人
海渡 雄一

目次
1 高尾証人と酒井証人の証言のハイライト
2 伊方最高裁は基準の合理性の判断基準は現在の科学技術水準とした
3 新指針の早期策定の引き金は志賀判決
4 保安院による原子力安全委員会に対する強要
5 2006年4月保安院指示文書の犯罪的な内容
6 保安院指示に屈した原子力安全委員会
7 安全委による電力への強い指示
8 福島第一耐震バックチェック2009年6月期限は絶対的なものであった
9 2006年の保安院が持つ二面性
10 福島第一の耐震バックチェックの遅れの原因は不明
11 運転を継続する以上原発の安全対策はどれも緊急で切迫したものである。

PDF版はこちら
参考資料

2018年6月11日月曜日

傍聴handbook できました!

傍聴のおともに傍聴handbookをどうぞ!
事件の経緯、用語の解説などを掲載しました。
傍聴には行けないよ、という方もぜひご覧ください!

PDF(単ページ版)
https://drive.google.com/file/d/1iyCtsv5koa90p2fHgPsAMJhE35dvCvFB/view?usp=sharing

























PDF(中綴じ版)
*両面印刷をして重ね折りにすると、中綴じの冊子状になります。印刷の際は、「短辺を綴じる」設定にしてください。 
https://drive.google.com/file/d/1ySTWNi4BJpLMkB42huq4m-K3j7wsQRTD/view?usp=sharing

2018年6月10日日曜日

12日・13日・15日は公判期日です

6月12日・13日・15日は公判期日です

6月12日に第15回公判、13日に第16回公判が開かれます。
傍聴整理券配布時間は8:20~9:00です。(裁判所HPの傍聴券交付情報
証人尋問が予定されています。
12日・13日は公判併行の院内集会はありません。
裁判終了後の報告会のみ行います。

第15回公判期日・第16回公判期日
6月12日(火) ・ 6月13日(水)
東京地方裁判所 第104号法廷
8:20~9:00 傍聴整理券配布
8:30~8:40 東京地裁前行動
10:00    開廷
裁判報告会
時間…裁判終了の約30分後より開会
場所…参議院議員会館102室
通行証配布時間…15:30より(裁判が早く終わった場合は繰り上げる場合があります。)



6月15日は公判併行集会も開催します

6月15日は第17回公判が開かれます。
傍聴整理券配布時間は8:20~9:00です。
証人尋問が予定されています。
この日は公判併行の院内集会を開催します。
裁判終了後に同会場で報告会と記者会見を行います。

第17回公判期日
6月15日(金)
東京地方裁判所 第104号法廷
8:20~9:00 傍聴整理券配布
8:30~8:40 東京地裁前行動
10:00    開廷
公判併行院内集会
時間…11:00~16:30(昼休憩あり)
場所…参議院議員会館 講堂
通行証配布時間…10:30より
内容: ミニ上映・午前公判の報告
     鎌仲ひとみ監督作品「小さき声のカノン」上映
裁判報告会・記者会見
時間…裁判終了の30分後をめどに開会

2018年6月2日土曜日

刑事裁判傍聴記:第14回公判(添田孝史)

100%確実でなくとも価値はある


6月1日の第14回公判は、前々日に続き都司嘉宣・元東大准教授が証人だった。反対尋問を担当した岸秀光弁護士は、歴史地震研究の「不確かさ」を際立たせようとした。それに対して都司氏は、100%確実ではない、ぼんやりした部分も残る古文書から、地震についての情報を引き出していく学問の進め方を説明。「1611年、1677年、1896年の3回、三陸沖から房総沖にかけての日本海溝沿いに津波地震が起きた」と長期評価が判断した理由を、前回に引き続いて補強していった(*1)

◯悩ましかった「宮古の僧が聞いた音」

都司氏は、1611年の大津波の原因を「現在は津波地震だと考えている」と証言したが、正断層地震や海底地すべりが引き起こしたと考えた時期もあったと述べた。どれが原因なのか、都司氏を悩ませたのは、『宮古由来記』に書かれた常安寺(岩手県宮古市)の僧の行動だったらしい。

1611年10月28日午後2時ごろ、常安寺の和尚は、法事のため寺から約1キロ離れた家にいたが、海の沖の方から鳴動音が4、5度聞こえ、異常を感じてあわてて寺に引き返した。ここで大津波に襲われ、過去帳を取り出すまもなく高所に逃げてようやく助かった(*2)。この時の津波で宮古の中心市街はほとんど壊滅した。『宮古由来記』によると、宮古では民家1100戸のうち残ったもの6軒、水死110人とされている。

「音がしたというのは、正断層型の昭和三陸地震(1933)の時にも報告されていて、太平洋プレートが日本海溝付近でポキンと折れて生ずる正断層型地震の特徴」

と証言した。

 一方で、1611年が本当に正断層型の地震であれば、揺れによる被害も古文書に残されているはずだ。

「ところが、陸上の被害に注目しながら、もう一回、多くの文献を読み直して見たが、陸上での被害が全くない」

これは津波地震の特徴である。

 1998年にパプアニューギニアで海底地すべりが大津波を引き起こし、このときも「海で大きな音がした」という証言があったことから、地すべり説も考えたが(*3)、そうすると津波が明治三陸津波より広範囲を襲ったことと矛盾する。
 そこで、津波地震がもっとも可能性が高いとの結論が導かれたという。

「いろんなデータがはいってくるごとに自然科学の研究者は考えを改めることはある。変化しなきゃおかしい」

とも述べた。

◯「精度が悪い=情報ゼロ」ではない

1894年から2002年までの津波地震の分布
(*4の論文から)
機械でしか観測できないような小さな地震まで含めると津波地震が福島沖を含む日本海溝沿いにずらりと並んでいることを示した渡邊偉夫氏の論文(2003)(*4)についても、岸氏は都司氏に質問した。

岸 「地震の起きている場所が、日本海溝より陸地に寄っているように見える」

都司「まだ全国に地震計が数台しかなかった明治時代の地震観測記録も含まれており、位置の精度が悪いものも入っている」

岸 「なぜ精度が悪い論文を(法廷に)出してきたのですか」

 この岸氏の質問に、都司氏は猛然と食ってかかった。

「まったく情報ゼロというわけではない」
「ぼんやりではあるが、一定の情報が引き出せる」
「あいまいさが含まれていれば全部消しちゃえ、とはやらない」

 その迫力に負けて、岸弁護士は話題を切り替えたように見えた。

 理想的な観測機器が使えず、精度が高い記録が得られない状況でも、その限られた手段を用いてしぶとく自然の姿の手がかりを捕まえようとするのが、最先端の科学者の「営み」だ。正解の固まった学校理科を習ってきた岸弁護士(法学部出身)には、そんな科学者の生態を理解するのは難しかったのかもしれない。

______________
*1 都司嘉宣「歴史上に発生した津波地震」月刊地球 1994 年2月
*2 都司嘉宣「慶長16年(1611)三陸沖地震津波の発生メカニズムの考察」歴史地震 第28号(2013) http://sakuya.ed.shizuoka.ac.jp/rzisin/kaishi_28/HE28_168_168_Tsuji.pdf
*3 都司嘉宣「慶長16年(1611)三陸津波の特異性」月刊地球 2003年5月
*4 渡邊偉夫「日本近海における津波地震および逆津波地震の分布(序)」歴史地震 第19号
http://sakuya.ed.shizuoka.ac.jp/rzisin/kaishi_19/24-Watanabe.H.pdf
______________
添田 孝史 (そえだ たかし)
サイエンスライター、元国会事故調協力調査員
著書に 『原発と大津波 警告を葬った人々』、『東電原発裁判―福島原発事故の責任を問う
(ともに岩波新書)

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刑事裁判傍聴記:第 6回公判 2008年8月以降の裏工作
刑事裁判傍聴記:第 5回公判 津波担当のキーパーソン登場
刑事裁判傍聴記:第 4回公判 事故3年後に作られた証拠
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刑事裁判傍聴記:第 2回公判

2018年6月1日金曜日

刑事裁判傍聴記:第13回公判(添田孝史)

「歴史地震」のチカラ


絵:吉田千亜さん
5月30日の第13回公判の証人は、元東京大学地震研究所准教授の都司嘉宣(つじ・よしのぶ)氏だった。都司氏は古文書の記述を読み解いて昔の地震の姿を解き明かす「歴史地震」分野における数少ない専門家の一人だ。「三陸沖北部から房総沖までの日本海溝寄りのどこでも津波地震は起こる」という長期評価(2002)をまとめた地震本部の海溝型分科会にも加わっていた。

 検察官役の久保内浩嗣弁護士の質問に都司氏が答える形で、都司氏の原著論文までたどり、長期評価がまとめられた過程で歴史地震研究がどんな役割を果たしたか明らかにしていった。

◯近代地震学でわかるのは過去130年分ほど

地震計を使った近代的な地震観測が始まってから、まだ130年ほどしか経っていない。それより古い時代に起きた地震の姿を知るには、古文書や石碑に残された揺れや津波の記録が不可欠になる。

 古文書の記述から、揺れの様子、どこまで津波は到達したのか、被害はどのくらいだったのかを読み解き、地震学の科学的な知識と照らし合わせて、地震の姿を解明するのが歴史地震学だ。都司氏は自ら毛筆体の文書を読み、日本史の研究者とも協力して文書の記述内容を精査すると同時に、津波の数値計算などの専門知識も生かして、古い時代の津波の姿を復元してきた。それによって浮かび上がる地震の法則性を、防災に生かすことができるというのだ。

 都司氏の証言によれば、東北地方で地震の記録が豊富に残っているのは約400年前からのことだ。江戸幕府の支配で戦乱が起こらなくなり古文書が逸失しなくなったことや、寺子屋教育のおかげで字を書く人が増えたことが要因という。

 長期評価をとりまとめた海溝型分科会の専門家たちの間でも、当初は歴史地震の知識は限られている人が多かったと都司氏と述べた。都司氏が、過去の地震について最新の研究成果を他の海溝分科会メンバーに提起。議論を重ねるうちに意見は収束し、1611年(慶長三陸沖)、1677年(延宝房総沖)、1896年(明治三陸)の3つの地震が津波地震であるという結論が、最終的に承認されたと証言した。

◯古文書が東海第二を救った

「1677年の地震は、津波地震であることがはっきりしている。津波が仙台の近くから八丈島まで到達した記録があるので、陸地に近いところで起きたという考え方では説明できない」

 こう証言した都司氏は、今村文彦・東北大学教授らと共同で1677年の延宝房総沖地震について論文(*1)を発表しており、それも法廷で紹介された。まず古文書から福島県〜千葉県沿岸の村における津波による建物被害の記述を選び出す。それと当時の建物棟数と比べて被害率をはじき出す。建物被害率50%以上の場合、浸水深さ2m以上と算定し、村の標高も勘案して各地に到来した津波の高さを求めた(表)。

その結果、浸水高さは千葉県沿岸で3〜8m、茨城県沿岸で4.5〜6m、福島県沿岸で3.5mから7mなどと推定され、1677年延宝房総沖地震は、従来考えられていたより高い津波をもたらしていたことがわかった。

 調査の成果を生かして、茨城県は2007年に津波想定を見直した。それによると、日本原電東海第二原発(茨城県東海村)では、予想される津波高さが5.72 mとなり、日本原電が土木学会手法(2002)で想定していた4.86mを上回った。

 日本原電は海辺の側壁を1.2mかさあげする工事を始め、工事が終了したのは東日本大震災のわずか2日前だった。襲来した津波は、かさ上げ前の側壁高さを40センチ上回っており、工事が終わっていなければ非常用発電機が動かなくなるところだった。

 歴史地震の研究成果が、東海第二を救ったと言える。一方、歴史地震の成果をとりこんだ長期評価を東電は軽視し、大事故を引き起こしたのだ。


*1 竹内仁ら「延宝房総沖地震津波の千葉県沿岸〜福島県沿岸での痕跡高調査」歴史地震 2007年
http://sakuya.ed.shizuoka.ac.jp/rzisin/kaishi_22/P053-059.pdf
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添田 孝史 (そえだ たかし)
サイエンスライター、元国会事故調協力調査員
著書に 『原発と大津波 警告を葬った人々』、『東電原発裁判―福島原発事故の責任を問う
(ともに岩波新書)

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