2018年9月20日木曜日

刑事裁判傍聴記:第27回公判(添田孝史)

事故からの避難が患者の命を奪った


 9月19日の第27回公判は、昨日に引き続いて被害の様子を詳しく解き明かしていった。福島第一原発の爆発現場の直近にいた東電関係者、亡くなった患者さんらを診断した医師、遺族らが、事故調報告書ではドライに描かれている情景を、一人一人の言葉で生々しく肉付けしていった。

「流れ込むがれき、よく誰も死ななかった」東電関係者

   3月12日午後3時36分、1号機水素爆発。現場にいた3人がけがをした。

「視界がもうもうと蜃気楼のようになって、青白い炎が見えた。すさまじい爆風が襲いかかってきて、がれきが宙に浮かんで、鉄筋が消防車のガラスを突き破り、前腕に直撃。疼痛を感じた」(消防隊所属の東電関係者。供述を検察官役の弁護士が読み上げ)

 3月14日午前11時1分、3号機水素爆発。けが10人。

「コンクリートのがれきが、煙のように多数流れ込んできた。周囲を見ることも出来なくなった。タンクローリーの影に隠れたが、タイヤの間から、がれきが飛んできた。破片は長い時間降り続けた。タンクローリーの爆発も怖かった。このまま死にたくないと思っていた。一刻も早く逃げないと被曝してしまうと、歩いて免震重要棟に向かった。よく誰も死ななかったと思います」(東電関係者、供述の読み上げ)
爆発した3号機(出典:東京電力ホールディングス)

「国や東電の責任ある人に、責任を取ってほしい」遺族

   事故直後の混乱期の避難で、双葉病院の患者32人、ドーヴィル双葉の入所者12人が亡くなった。

「とうちゃんは、2010年5月にドーヴィル双葉に入所。2週間に1回、土曜日に会っていた。顔を合わせるとにっこりしていた。3月17日に電話で遺体の確認をしてくださいと言われ、現実のように思えませんでした。『放射能がついているかも知れないので、棺は開けないで下さい』と県職員に言われた。東電や国の中で責任がある人がいれば、その人は責任を取ってほしい」(夫を亡くした女性、供述を読み上げ)

「原発事故さえなければ、もっと生きられたのに」(両親をなくした女性、供述を読み上げ)

「シーツにくるまれただけで遺体が置かれていた。家族や親戚に看取られ、ベッドで安らかに最期を迎えさせてやりたかった。避難している最中で亡くなったと思うとやりきれない」(遺族、供述を読み上げ)

「避難ストレス、栄養不良、脱水、ケア不良で死亡。極端な全身衰弱。これだけの避難がなければ、今回の死亡に至ることはなかった」(診断した医師が検察に回答した内容)

「避難が無ければ、すぐ亡くなる人はいなかった」医師

   事故当時、双葉病院に勤務していた医師の証言もあった。
検察官役の渋村晴子弁護士が「事故による避難がなければ、すぐに命を落とす状態ではなかったですね」と尋ねると、医師は「はい」と答えた。

 医師は、長時間の移動が死を引き起こす原因を、こう説明した。

「自力で痰を出せない人は、長時間の移動で水分の補給が十分でない中で、たんの粘着度が増してくるので、痰の吸引のようなケアを受けられないと呼吸不全を引き起こす。寝たきりの人も100人ぐらいいたが、病院では2時間ごとに体位交換をする。そんなケアができないと静脈血栓ができて、肺梗塞を起こして致命的な状況になる」

「避難する前には、普段の様子でバスに乗っていった」ケアマネ

   3月14日に、ドーヴィル双葉から98人の入所者をバスに載せて送り出したケアマネージャーの男性も証言した。このバスは受け入れ先が見つからず、いわき光洋高校に到着するまで11時間以上かかった。自力歩行できない人が40人から50人おり、寝たきりの人や経管栄養の人もいたが、医療ケアがないままの長時間移動になり、移動中や搬送先で12人が亡くなった。

「避難する時には、普段の状況でバスに乗っていかれたので、死亡することは予想できませんでした。移動すれば解放され、正直助かったと思いました。その後、次々亡くなる人が出てショックでした。原発事故が無ければ、そのまま施設で生活出来ていたと思います」

2227人、突出して多い福島県の震災関連死

   この日の公判では、被告人がこの裁判で責任を問われている44人の死について、それぞれの人が亡くなった状況や、遺族の思いが、鮮明にされた。

 刑事裁判では触れられていないが、原発事故がなければ死なずにすんだ人は、もっと多いと思われる。東日本大震災における震災関連死は、福島県2227人、宮城県927人、岩手県466人で、福島が突出して多い(*1)。その原因は、東電が引き起こした原発事故にあるだろう。この裁判で争われているのは、被告人の責任のうち、ほんの一部にすぎない。
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*1 東日本大震災における震災関連死の死者数 復興庁 2018年3月31日現在
http://www.reconstruction.go.jp/topics/main-cat2/sub-cat2-6/20180629_kanrenshi.pdf
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添田 孝史 (そえだ たかし)
サイエンスライター、元国会事故調協力調査員
著書に 『原発と大津波 警告を葬った人々』、『東電原発裁判―福島原発事故の責任を問う
(ともに岩波新書)
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