法廷で読み上げられた山下和彦氏の検察官面前調書の要旨
(2018年9月5日 第24回公判期日)※敬称を略しています。
※「」の中の記載についても、聞き取れた範囲での内容であり、該当文書の記載そのものではありません。
(PDFで読む)
1 甲B57(平成24年12月4日付検面調書)
私は平成19年には中越沖地震対策センターの所長で、原子力設備管理部のナンバー2だった。平成22年6月25日に東電の原子力設備管理部長に就任し、平成23年3月11日当時も原子力設備管理部長であった。地震調査研究推進本部の長期評価は、日本海溝寄りどこでも正断層地震や津波地震が起きるとしていた。土木学会の津波評価技術は、福島沖の日本海溝寄りでは想定していなかったが、長期評価は福島沖海溝寄りでも津波地震や正断層地震の可能性があるとした。
耐震BCで地震随伴事象は想定せよとしていたので、津波BCで最新の知見を考慮するのは当然で、推本の長期評価は最新の知見と考えた。
長期評価の取り扱いが問題になった。長期評価を取り入れないとBCがうまくいかず、最悪、原発を止めないと、となってしまう。原子力設備管理部内では長期評価を取り入れる方針になった。取り入れるとなると、土木学会手法より水位が高くなる。
長期評価を取り入れることや水位の高まりなどを、武黒、武藤まで伝え、平成20年2月16日の勝俣と清水の出席する中越沖地震対応打合せでも報告した。勝俣・清水も報告内容に反対せず、耐震BCで長期評価を取り入れるという原子力設備管理部の方針は了承された。
当時は、10m盤を超える津波ではないと考えていた。4m盤を超えるものの機能維持のみに気を付ければよいと思っていた。ポンプの水密化や建屋を囲む程度であれば最終BCに間に合うと考えていた。
私と吉田設備管理部長は、酒井俊朗と高尾誠から、推本の長期評価を取り入れると福島第一は最大15.7mになるとの説明を受けた。酒井GMは15.7mの対策として海に防潮堤を設けるのはどうかと提案した。私は、大変驚いた。
問 15.7mの値の報告を受けたのは平成20年3月から4月では?
答 そんなに早くない。私の記憶では5月下旬か6月上旬だったと思う。
6月10日には、吉田を筆頭に、武藤へ報告した。武藤は少し驚いていた。
大掛かりな対策になる。できるだけ津波水位が小さいほうがいい。土木学会手法の計算のやりようによっては数値を下げられるのではと土木調査Gに言った。武藤と吉田も同じようなことを言った。
具体的な方針は決めず、武藤から宿題が出た。結論は次回以降になった。
平成20年7月31日に武藤へ再度の説明をした。武藤からの宿題への報告をした。
土木調査G、私、吉田などが出席した。津波数値を下げる方法として、波源モデルを明治三陸(1896)から延宝房総沖(1677)に変更できれば、水位を低減できる可能性がある旨を説明した。従来の土木学会手法を上回っても10m盤を下回れば対策は可能であると。
しかし、10m盤を超える対策は沖に防潮堤を造ることだが、平成21年6月までに工事を完了することは到底不可能であった。工事期間は4年かかる。
最悪、BCの最終報告書の提出期限を守れなかったとして、「工事が終わるまで原発を止めろ。」と言われる。火力発電では燃料に莫大な費用がかかる。
土木調査Gの提案どおりの工事では、原発をとめるリスクがある。数百億円の支出も要する。土木調査Gの提案の工事は、会社のリスクが大きいので、直ちに会社として決めることは無理。
武藤は、少しでも水位を下げられないかと言った。ただ、勝手に東電から水位を下げてはまずい、保安院が納得しないかもしれないということで、権威ある第三者に検討を依頼しようということになり、酒井か誰かが、土木学会に依頼しようと提案した。これを受けて、武藤が、土木学会に波源を決めてもらってから、それに見合った推本の長期評価の取り入れをしようという方針になった。
この武藤の提案はこれまでの方針とは異なるものであった。土木学会に決めてもらっても確定まで数年かかる。土木学会の結論を待つわけにはいかない。最終BCは最新の知見を取り扱うことにある以上、保安院や原子力安全委員会が認めてくれるとは限らない。東電の方針を有力な学者に了解を得ておく。これなら、保安院や原子力安全委員会の納得を得られやすい。有力な学者の根回しは不可欠。私は15.7mへの対策を直ちにとることに反対だったので、武藤案へ賛成した。誰も反対せず、その方針が決まった。
津波水位を少しでも低減できないかと検討し、工事費用を低減したいと思っていた。平成21年6月までに間に合うなら長期評価を取り入れる方針を維持していたと思う。
2 甲B58(平成25年1月28日付検面調書)
平成20年当時、耐震BCにおいて長期評価をいかに取り扱うかを決定した状況について話す。地震本部の長期評価をいかに取り扱うかを、新潟県中越沖地震センター内の酒井GMの土木調査Gが担当しており、長期評価の見解を取り込むという方針だった。土木学会の津波評価技術は福島沖日本海溝寄りの地震発生を想定していなかったため、長期評価を取り込めば福島第一原発の津波対策工事が必要になると考えられた。その方針や工事が必要との報告は受けたが、報告を受けた時期について、はっきりした記憶はない。
東電設計への委託の「承認書」、「委託追加仕様書」(委託内容の詳細を記載)があるが、仕様書の2枚目に「津波解析」「日本海溝寄り」とあるのが、長期評価を踏まえた津波評価を意味する。
東電設計への委託の「承認書」の1枚目には私の押印はない。新潟県中越沖地震対策センターは柏崎刈羽原発だけでなく福島第一原発、福島第二原発も所管していたので、本来は私の審査を受ける必要があるが、それは東電設計への委託の手続きにすぎず、部下が多忙な私を気遣って、吉田部長へ上げたのだと思う。平成20年1月12日に吉田部長が決裁している。この時点では、私は、まだ報告を受けていなかった可能性がある。
平成20年2月1日に、福島第一原発、第二原発の幹部への説明会があった。酒井GMが、長期評価を取り入れると、従来の津波水位を上回ること、海水ポンプ対策が必要であることなどを説明した。遅くともここまでには、報告を受けていた。
平成20年3月末、福島第一原発の5号機などの中間報告を予定していた。福島県やマスコミへの概略説明の際に最終報告の事項について質問の可能性があるので対外的説明を決める必要があった。
平成20年1月29日の東電の建築グループの敦賀が酒井GMら宛てに送信したメールにも、「耐震BCに対する対外公表スタンスと主要課題について」とある。
東電の方針を対外的に公表するわけだから、私と吉田部長へ報告する必要がある。この添付資料の表の課題などの上から5つめの〇に、「H14土木学会時には想定していなかった。」「上回る可能性大(土木)」などとある。
改良工事の要否や内容の方針は本店が決めるが、実際の担当は現場なので、福島第一、第二の幹部に説明した。
平成20年2月1日に、福島第一原発、第二原発で現地説明会をした。土木調査Gのヒラオカが、総括グループの喜多に宛てて送信した、CCに私が入っているメールには、「明日の福島説明パッケージへ追加するように」と記してあり、添付されている資料には、「長期評価は確率論で扱うことにしていた。」「基準地震動では確定論で扱うことにした。」「既往の津波評価では基準地震動の震源モデルの位置に波源モデルを設定しておらず、設定すると上昇側が上回り、下降側が下回る可能性あり。」「現在検討中の新しいモデルによる影響を検討。」などとある。福島第一原発、第二原発の幹部への説明会でこれを使った。「TP」は「OP」の間違い。
平成20年2月1日より前に、酒井か高尾から7.7mを含めて報告を受けていた。武藤らに報告することなく、福島第一原発の幹部らに説明することはないので、報告済みであると考えられる。
酒井GMのメールには、「平成20年2月1日に福島第一、第二に対してBCの説明をした。」「不確かさを考慮してM8を設置して検討中。」「1Fで7メートル前後」「1F佐藤GMから強い懸念」「ハード的対応が不可能では。」「土木、機電で早期に。」などの記載がある。
「7メートルではハード的対応が不可能では」というのは海水ポンプをこれ以上、かさ上げするのは困難という趣旨である。
最終BCまであと1年4か月に迫っていたので、酒井が早めに呼びかけた。
平成20年2月5日の長澤のメールには、「武藤の話として山下センター長経由で、「海水ポンプを建屋で囲うのがよいのでは」」との記載がある。武藤からそう言われた記憶はないが、7.7m以上に上昇する以上対策が必要になると報告したのだろう。その際に、武藤からそう言われたことを長澤へ伝えたのだろう。武藤もその対策を取るつもりだった。
対策が必要になることは御前会議でも報告した。
御前会議とは、中越沖地震で停止した柏崎刈羽原発の早期再稼働を目指して、勝俣、清水へ報告していた会議である。
柏崎刈羽原発の停止を受けて、火力発電による発電を行っていたが、コストが高く収支が悪化した。火力発電は老朽化しており、電力の安定供給に課題があった。一日も早い柏崎刈羽原発の再稼働には迅速な意思決定が必要であったので、常務会の意思決定を待たずに、事実上の意思決定の場であった。
御前会議の中心は柏崎刈羽原発だったが、福島第一原発、第二原発でも耐震BCの課題を超えないと原発停止にならないとはいえないので停止リスクにつながるものは報告されていた。福島第一原発、第二原発は、長期評価を取り入れると対策が必要となるので、報告していた。
吉田と私で報告内容を検討していた。中間報告以降の課題となる点を頭出しとして、勝俣、清水へ報告しておいたほうが良いと考えたから。
1週間に1回、武黒、武藤が出席する会議が本部内会議である。御前会議の内容を本部内会議で報告していた
平成20年2月16日の御前会議には、私も出席した。「基準地震動Ssに基づく耐震安全性評価の打ち出しについて」を、私が説明した。その資料の4枚目にある「4.地震随伴事象 津波への確実な対応」のところに、「1F 7.7以上の見通し 詳細評価によってさらに上回る」とある。
これは長期評価を取り込んだことを意味する。
基準地震動策定において、海溝沿い津波地震を確定論的に用いることになった。津波対策としては、非常用海水ポンプの機能維持、防水電動機等の開発・導入、建屋設置によるポンプ浸水防止、建屋の防水性の向上、引き波対応などが挙げられている。
先ほどの長澤メールでの提案に、勝俣、清水から異論なく、御前会議で了承された。
御前会議で了承されたものは常務会へかけられる。
平成20年3月11日の常務会には、当時部長ではなかったので私は出席していないが、会議資料の「付議結果」にあるとおり、原案(2月16日の御前会議の資料の要約)は了承、決定された。会議資料に「<リスク>従前の評価を上回る可能性あり」とあり、津波の評価の上昇に伴い対策を行うことも了承されたといえる。
平成20年3月20日の御前会議では、勝俣が欠席し、私は出席した。中間報告におけるQAの充実を図ることになった。平成20年3月21日の私が送信したメールでは、昨日の会議でQAを充実するように「指示」があり、地域説明に向けたQAの充実、特に津波関係の充実をするように、記載している。充実させるよう「指示」した人は覚えていないが、私の上位者で、清水、武黒、武藤、吉田、大出(おおいで)のいずれかだと思う。
津波に係る報告の時期、着手時期のQAの充実を図る必要があったのは、対策工事を実施する方針であったから。
中間報告の対象になっていない津波について聞かれても注意しなくてよかったが、後日東電が津波について虚偽や隠し事をしていたという批判をかわすため、QAを練っておく必要がある。長期評価を取り込み津波対策を実施する方針を決めていたから。
平成20年3月2●日の中の酒井GMが送信したメールでは、福島県から事前に聞いた質問への想定問答があり、福島県から津波に関しての質問(「今回津波は入っていないのか」)もある。
QAを御前会議に上程した。
平成20年3月29日の酒井GMが金戸宛に送信したメールには、井戸沢断層のQAはうさんくさいとある。これは武藤から御前会議で指摘があったのだと思う。その他の指摘はなかったのでその他のQAは了承された。
確定したQA集の「(7)津波関連」のところで、「Q 津波についてはBCに入っていないのか?」とあり、「A7-1 土木学会の改訂以降に地震本部の長期評価を取り込む方針。不確かさの考慮として。」とある。「Q7-1-4 発電所を止めるべきでは?」「SQ7-1-11 従来の評価が不十分なのでは?」などがある。長期評価を取り込む方針が明示されている。「不確かさ」の考慮としているのは、津波評価が決まるまで発電所をとめるべきではないかという意見や、従来の評価が不十分だったのではという質問を見据えたもの。
福島プラントは、保守性の高い土木学会手法に基づくため、現状でも十分安全である。長期評価の取り込みは、不確かさの考慮としてである。仮に津波水位が上昇したとしても現状の安全性は十分。止める必要はないと。
「SQ7-1-15 施設への影響が無視できない場合は?」「A ポンプの冠水対策で予備の部品準備、水密化した電動機の開発、建屋の水密化など。」。
既に決まっていた方針に従い、QAを作成した。
吉田とともに、詳細検討での最大15.7mの報告を受けた。酒井、高尾は、沖合に防波堤を設置する案を提案した。水位が上昇するといっても、「7.7m以上」という表現から、8mや9mを想像していた。しかし、想像を大きく上回り、大変驚いた。チリ津波に基づく想定で3.12m、土木学会手法で5.7m、長期評価取り入れの概略検討で7.7m、ここまでは違和感なし。15.7mは、従来の3倍近く、概略の2倍の水位であり、大きな違和感がある。
問 吉田もこのときはじめて聞いた?
答 分からない。
問 3月18日に計算が出て、5月下旬、6月上旬より早く聞いていたか?
答 5月下旬か6月上旬だと思う。
問 15.7mについて、5月下旬か6月上旬までの間に津波の対策はあったか?
答 どのような検討をしていたのかは、部下から報告を受けていないので分からない。
問 部下に指示はしなかったのか?
答 柏崎刈羽で多忙で福島までは頭が回っていなかった。私が指示しなくとも担当者が進めてくれていると思っていた。
15.7mは強い違和感があった。私は、対策工事には反対的立場であった。吉田は対策をとることに賛成していなかった。BCの審査で判断を誤るとプラント停止になるかもしれないので吉田も判断に困っているようだった。
6月10日の会議の出席者は、武藤、吉田、各Gの担当者、上津原部長などである。文系の社員では技術的事項について分からないので、技術者の上津原が出席したのだろう。設備管理部でない上津原がわざわざくるから何か理由があったのだろう。武藤の判断で津波対策が決まれば地元説明が必要になるので呼んだのかもしれない。15.7mは最終報告前に、報告する予定で、福島県の反応を聞きたかったのかもしれない。あるいは、プラント停止せずに対策をするのがいかに難しいかを説明するためかもしれない。
6月10日の説明資料の4枚目には「4.検討状況」として、波源モデルは相対的に精度の高い既往津波の得られている三陸沖モデルを用いないことの説明が困難であることなどの記載がある。
電共研成果に基づく評価では、津波評価は工夫をすれば水位を低減できることが分かった。
15.7mという値に大きな違和感があり、私は、もっと水位を下げる方法はないのか聞いた。私、武藤、吉田が同様の質問をした。そして、武藤から、資料議事メモにあるとおり、宿題が出た。
このときは、結論は出なかった。長期評価を取り込む方針は依然として維持されていた。
その後、武藤からの宿題への準備ができた。
7月31日の会議は、6月10日の会議出席者と同じメンバーだったと思う。土木調査グループが中心で説明した。説明資料の「(1)」の一番下の〇に数百億円規模とあるが、津波対策費用が多額になることが分かった。「(2)」の一番下の〇には、意思決定から約4年、環境影響評価があると約2年とあるが、津波対策に長期間かかることが分かった。「(3)」の上から3つ目の〇には、北部と南部で地震の発生様式が異なると説明できれば房総沖のモデルを用いることができ水位を低減できる可能性がある旨の記載があるが、この考え方を東電は用いたい。
財力に限りがあるので、費用支出には合理的根拠が必要であった。数百億円となると、一層慎重になる。理学、工学的に房総沖モデルでいいとなれば、その際、三陸沖は過剰だとなる。そうなると、合理的な対策、合理的な費用の観点から、水位を低減できる可能性があるなら、直ちに三陸沖を採用することができなかった。
工事期間からも問題。工事だけで4年、環境影響評価でさらに3年。平成20年7月当時、平成21年6月の最終BCは物理的に困難で延期せざるを得ないと考えていたが、いつまでも延期はできない。せいぜい1年くらいの延期を考えていた。たとえ最終報告を延長しても対策完了は不可能だった。
最終報告までに工事完了は必ずしも必要はないと考えていたが、工事完成までの期間を明確に示す必要があった。しかし、平成22年に延期しても最終報告時に工事完成までの明確な工程表を示すのは困難。
土木学会評価で現状でも安全で、不確かさの考慮で止める必要はないという東電の考え方だったが、従来より3倍も高い水位を示しながら、安全性を確保されているとの主張が保安院ないし安全委員会に受け入れられるのか確証はなかった。
保安院やBCの委員、地元から、工事完了までプラントを止めるよう求められる可能性があった。
当時、柏崎刈羽原発の停止のため、火力で発電しており、収支が悪化していた。福島第一原発まで停止すればさらに収支が悪化する。また電力の安定供給もできない。東電は、福島第一原発の停止は何とかしたい。
合理的な対策、合理的な費用の支出、BC審査。
武藤、吉田、私は、口々に、水位を低減できるならまずそれを検討すべきと言った。ただ、合理性が必要なので、権威ある第三者の意見が必要であると。酒井か誰かが土木学会に依頼すればと提案した。ただ、土木学会では、3年はかかる。
武藤は、従前の土木学会手法によること、その後改訂されたものを取り込むことを述べた。
BCには最新の知見を取り込むことが前提になっているので、後日取り込むと決めたところで委員や保安院が納得しない可能性があった。
武藤は、その可能性を排除するために、有力な学者に了解を得ておくように根回しを指示した。
武藤は委員と命令したかは定かでないが、委員以外の先生に根回ししても意味がなく、委員の了解を得ないといけないので、委員を指していた。
問 保安院の職員の意見は?
答 保安院は、委員の判断に従ってくれると考えていた。
土木調査Gの意見には理学的、工学的に十分な根拠があるか疑問で、私は、直ちに工事をすることには否定的だった。私は、武藤の判断が合理的と思い賛成した。吉田も賛成した。土木調査Gも異論を唱えなかった。
従前の手法でのぞむこと、合理的な波源モデルを設定してもらった後に取り込むこと、有力な学者の了解を得ることになった。
平成20年7月31日の酒井が日本原電や他社宛てに送信したメールには、7月31日の会議で決まった内容(「経営層」との言葉もある。)の記載があるが、武藤が経営層にいるので酒井がそのように書いたのだと思う。
問 武黒に報告した?
答 私は報告していないが、従来の方針の変更なので、誰かが武黒に報告したと思う。さらに武藤の方針が変更されていないので、武黒は了承していると思う。
問 東電と他社の打ち合わせ資料で、問題点の抽出として挙げてある、既往を大幅に上回るため対策を短期間にとることは不可能、の意味は?
答 長期評価を取り入れた場合、耐震BCの最終報告に間に合わないこと、プラント停止リスクがあることを意味している。7月31日の会議では停止リスクの観点があげられていたのだと思う。
問 沖合に防波堤を設置することの問題は?
答 7月の時か6月10日かに、武藤か吉田か私が、近隣の津波が大きくなって迷惑をかけるのでは?と言った。これは、近隣にも防波堤が必要という趣旨で、沖合の防波堤を反対する趣旨ではなかった。
問 7.7mに近似する値であれば津波対策をしていたか?
答 7.7mであれば莫大な費用がかかるものではないし、最終BCまでに完了しなくても明確な工程表を示すことは可能だと考えていた。異論なく対策を講じる方針に決まったのだと思う。7.7mに近似か、少なくとも10m盤を超えない水位であれば長期評価を取り込み対策をする従前の方針が維持されたと思う。
問 土木学会の波源モデルの判断により15.7mより低減したとしても、10m盤を超える水位となる可能性があったのだから、抜本的対策ではなく、当面の暫定的対策を講じることは考えなかった?
答 考えなかった。
福島沖海溝沿いでは過去に起きていないから従来の3倍や2倍(10m)など来ないと思っていた。根拠は特にない。柏崎刈羽原発で想定を超える地震動の中越沖地震があった。そう何度も想定は超えないだろうと思った。切迫感がなかった。
福島沖海溝沿いでは過去に起きていないから従来の3倍や2倍(10m)など来ないと思っていた。根拠は特にない。柏崎刈羽原発で想定を超える地震動の中越沖地震があった。そう何度も想定は超えないだろうと思った。切迫感がなかった。
3 甲B59(平成25年2月15日付検面調書)
平成20年7月31日の武藤との会議では、長期評価の取り扱いについて、BC最終報告は従前の手法で臨むこと、合理的な波源モデルを作って、その後推本を取り入れる方針が決まった。今回は、その方針決定後の津波BCについて話す。
東電の方針について有力な学者の理解を得ることになった。
平成20年11月ころ、高尾あるいは酒井から、書面を見せてもらいながら、学者説明の結果報告を受けた。秋田大学の高橋先生は「△」となっている通り賛同いただけなかった。
説明を受けた具体的日にちは、はっきり覚えていないが、平成20年11月7日の高尾からのメールには、13日の会議(津波専門家への説明結果や土木グループの課題の検討会議)に私も出席することが前提になっているので、13日の会議に出席して、報告を受けていると思う。
「津波堆積物調査の承認書、追加仕様書」には私の押印がある。津波堆積物調査の理由は、東大の佐竹先生の論文では波源が1つに絞られておらず、福島の堆積物調査が必要と書いてあることから、調査をすることになった。
平成21年6月24日の酒井が東電関係者(武黒、武藤など)へ送信したメールによると、6月24日の保安院の合同WGで福島第一原発の基準地震動の審議がなされ、岡村委員が、貞観地震について記載がないのは納得できない旨を発言したとある。酒井は、地震動については問題なく、地震の専門家にはネゴしていたが、地質の岡村さんから意見が出たと。「最大影響10m級」ともある。
貞観津波の2つの波源モデルの中で最も厳しいものは9.2mと聞いた。
平成21年8月21日(28日?)、同年9月7日に東電と保安院の間で津波BCについて会議があり、出席者は、8月21日(28日?)は東電の酒井、金戸、保安院の名倉審査官、9月7日は保安院の小林審査官も出席したようだが、私は知らない。
問 土木グループがセンター長へ報告なしに保安院と打合せすることは考えられるのか。
答 私がセンター長を務めていたセンターは柏崎刈羽と福島第一、第二を所管していたが、6、7号機の再稼働のため、私は多忙であった。直接、吉田と話をしていた可能性がある。報告を受けていたかもしれないが覚えていない。
平成22年6月で原子力管理部長に昇進した。吉田は所長になり、私の後任は土方になった。
土方は、平成22年8月には「津波対策を検討したい。」と津波対策ワーキングを開始した。この時期から津波Wを開始した理由は、覚えていないが、土木学会の検討の方向が見えてきたからかもしれない。
平成22年11月からの津波Wの状況(第1回H22.8.27、第2回H22.12.6、第3回H23.1.13、第4回H23.2.14、第5回H23.4.4予定)は把握していなかった。土方センター長から津波Wの報告を受けてはいなかったが、ある程度方針が決まれば報告があるだろうと思っていた。
平成23年3月7日に保安院のヒアリングがあった。高尾GM、及川、柳沢、耐震調査G江崎が出席した。そのときには酒井は異動していた。ヒアリング前に、高尾から、「保安院から津波BCに関する説明を求められている。」と聞いた。説明を求められている理由は聞いたかもしれないが忘れた。明治三陸の水位、佐竹の波源モデルのうち、福島第一に影響がある波源モデルを使って説明をしていいかも聞かれたような気がする。許可したと思う。15.7mや貞観の9.2mは保安院へのインパクトは大きいが、最終BCは相当先なので、土木学会によりある程度水位低減が図られると思っていたので。
問 推本と土木学会の後、少なくとも4m盤の対策は、平成20年8月からの津波Wでは遅くないか。
答 従前の土木学会手法で水位が上昇したので、ポンプをかさ上げした。機器耐震Gから工事説明を受けた際、10m級に備えて検討するよう指示をした。福島第一、第二は、津波対策が数年後になるので、柏崎刈羽より優先度が低かった。対策を維持するよう急かさなかった。
対策をしていたとしても事故を回避できなかったとは思うが、検討するよう部下に指示すべきだった。
何ら対策を講じないまま、3.11を迎えた。
今思えばできるだけ早く対策を実施すべきであった。
土木学会での検討を経ると、最終報告が相当先になることが見込まれていた。だから優先度が低くなっていた。
4 甲B60(平成26年12月5日付検面調書)
私は平成26年6月に東電を退社した。当時はフェローだった。現在は、東電の子会社に勤務している。平成24年、平成25年に検察庁で津波BCの方針決定の状況や方針決定後の状況を説明した。
今回は、平成21年2月11日、平成22年8月の津波Wについて説明する。
平成19年10月に東電本店の原子力設備管理部の新潟中越沖地震対策センター所長に就任した。平成22年6月には原子力設備管理部部長、平成23年3月11日時も同部長であった。
平成21年2月11日の中越沖地震対応打合せでは、センター長の私が説明した。そのときの打合せ資料の2枚目右側に「問題あり」「出せない」「注目されている」と記されているが、私がそのような内容の説明をしたのだと思う。
この資料や説明内容の記憶がないので、どういう意味かは分からないが、波源モデルが定まっておらず、中間報告では津波を出せないということだと思う。同資料の2枚目左下の、「福島県からの要望」に記載されている、「注目されている」というのは、福島第一原発、第二原発の津波水位を福島県が注目しているという意味かもしれないが、ただ、そのような話を聞いた記憶はない。
平成21年2月11日の中越沖地震対応打合せの資料の6枚目の「3.② 1F2FBCの状況」に、「② 津波発生時に…ポンプが水をかぶってしまう…福島では説明してかさ上げをした経緯がある」とある。
吉田部長らのやり取りは記憶ない。
吉田部長の「14m程度の津波が来る可能性があるという人がいて…」との発言の記載があるが、想定水位については確定でなく検討すべき状況。10mを超える水位が算出されていたことから、波源を土木学会へ依頼していた。
吉田の発言を以て、勝俣が出席した会議で、14mが想定されているということではない。
津波Wについて、土方が、平成22年8月に開始した。当時、土木学会での検討途中だったが、結論を待っていては耐震BCとの関係では遅いので、津波対策の検討を始めた。水位が上昇するという見込みで津波Wを設けた。土方センター長主導であった。津波Wには私は出席していない。会議の都度、土方センター長から内容報告を受けていた可能性はあるが、記憶はない。
平成22年8月当時、原子力立地本部長は武藤、副本部長は小森であった。土方の報告の内容をこの2人へ報告したことはない。
ただ、何かの機会に、武藤に対して、津波対策については津波Wを設けて検討を始めたことを報告した記憶はある。
長期評価と貞観津波の知見については土木学会で検討中で確定した想定津波を得られていないので、事前準備的意味合いであった。確定した想定津波水位が得られたうえで私が出ていこうと思っていた。武藤や小森に報告する段階でないと思っていた。武藤や小森から津波について報告を求められたことはなかった。
以上