2018年10月20日土曜日

刑事裁判傍聴記:第30回公判(添田孝史)

武藤氏、「ちゃぶ台返し」を強く否定


「だから、この話は私は聞いていません」
「私のところに来るようなことではないです」
「それはありません」

 被告人の武藤栄氏は、強い口調で質問を否定し続けた。

 10月16日の第30回公判から、被告人質問が始まった。トップバッターは、津波対策のカギを握っていたとされる武藤・東電元副社長だ。

 2008年2月から3月にかけて、勝俣恒久・元会長ら被告人が出席した会合で津波対策はいったん了承されていたのに、同年7月に武藤氏が先送りした(いわゆる「ちゃぶ台返し」)と検察官側は主張。それを裏付ける東電社員らの証言や、会合の議事録、電子メールなどが、これまでの29回の公判で繰り返し示されてきた。ところが武藤氏は「先送りと言われるのは大変に心外」と、それらを全面的に否定したのだ。

「山下さんがなぜそんなことを言ったか、わからない」

   第24回公判(9月5日)では、耐震バックチェックを統括していた東電・新潟県中越沖地震対策センターの山下和彦氏が検察に供述していた内容が明らかにされた。

 それによると、勝俣氏ら経営陣は、地震本部が「福島沖でも起きうる」と2002年に予測した津波地震への対策を進めることを、2008年2月の「御前会議」(中越沖地震対応打ち合わせ)、同年3月の常務会で、了承していた。

 ところが、これらの会合の内容、決定事項について、山下氏の供述を武藤氏は認めなかった。

 「山下さんがどうしてそういう供述をしたのかわからない」
 「山下さんの調書は他にも違うところがある」

と、山下調書を否定する発言を繰り返した。

 公判後の記者会見で、被害者参加代理人の甫守一樹弁護士は「山下センター長には嘘をつくメリットは何もない」と説明した。一方で武藤氏は、山下氏の証言を否定しないと、先送りの責任を問われることになる。そして、武藤氏は山下調書を否定できる客観的な証拠を挙げることは出来なかったように見えた。

「土木学会手法で安全は保たれていた」のウソ

   私が傍聴していて気になったのは、武藤氏が土木学会のまとめた津波想定方法(土木学会手法、2002)を

「我が国のベストな手法」
「土木学会の方法で安全性を確認してきた」
「現状(土木学会手法による想定)でも安全性は社会通念上保たれていた」

などと評価していたことだ。

 これは、事実と異なる。土木学会の津波想定方法で、原発の安全が保たれているのか規制当局が確認したことは一度も無い。武藤氏が言うように「社会通念上安全が保たれている」とする根拠は何も無かった。たまたま、2011年3月11日まで津波による事故が起きなかっただけのことだ。

 2002年に土木学会手法が発表されたとき、保安院の担当者は以下のように述べていた。

 本件は民間規準であり指針ではないため、バックチェック指示は国からは出さない。耐震指針改訂時、津波も含まれると思われ、その段階で正式なバックチェックとなるだろう。(東電・酒井俊朗氏が2002年2月4日に他の電力会社に送った電子メールから)(*1)

 当時、すでに耐震指針の改訂作業が始まっており、それがまとまり次第、土木学会の津波想定方法が妥当かどうか調べると保安院は言っていたのだ。保安院の担当者は、まさかバックチェックが9年後の2011年になっても終わっていないとは想像していなかったに違いない。

 土木学会手法と地震本部の長期評価は同じ2002年に発表された。同じころの科学的知見をもとに、土木学会手法は福島沖では津波地震は起きないと想定し、一方で地震本部は福島沖でも発生しうると考えた。

土木学会手法(2002)が
想定した津波の波源域
両者の想定の違いについて、武藤氏は「地震本部の長期評価に信頼性はない」と断じた。しかし、その根拠は無かった。土木学会がアンケートしたら、地震本部の考え方を支持する専門家の方が多かったこともそれを裏付けていた。

 第29回公判(10月5日)で明らかにされたように、保安院は土木学会手法による津波想定に余裕がないことにも気づいていた。土木学会の想定を1.5倍程度に引き上げ、電源など最低限の設備を守る対策を進める計画もあった。土木学会手法で原発の安全性が保たれているとは、保安院も考えていなかったのだ。
______________

*1  H14年当時の対応 電事連原子力部が保安院に送ったメールの添付文書 原子力規制委員会の開示文書
https://www.dropbox.com/s/im1azl4eouh3e94/H14%E5%B9%B4%E5%BD%93%E6%99%82%E3%81%AE%E5%AF%BE%E5%BF%9C.pdf?dl=0
______________
添田 孝史 (そえだ たかし)
サイエンスライター、元国会事故調協力調査員
著書に 『原発と大津波 警告を葬った人々』、『東電原発裁判―福島原発事故の責任を問う
(ともに岩波新書)

刑事裁判傍聴記:第29回公判 東電の無策を許した保安院
刑事裁判傍聴記:第28回公判 防潮壁で浸水は防げた? 証言変えた今村・東北大教授
刑事裁判傍聴記:第27回公判 事故からの避難が患者の命を奪った
刑事裁判傍聴記:第26回公判 事故がなければ、患者は死なずに済んだ
刑事裁判傍聴記:第25回公判 「福島沖は確率ゼロ」とは言えなかった
刑事裁判傍聴記:第24回公判 津波対策、いったん経営陣も了承。その後一転先延ばし
刑事裁判傍聴記:第23回公判 「福島も止まったら、経営的にどうなのか、って話でね」
刑事裁判傍聴記:第22回公判 土木学会の津波評価部会は「第三者」なのか?
刑事裁判傍聴記:第21回公判 敷地超え津波、確率でも「危険信号」出ていた
刑事裁判傍聴記:第20回公判 防潮堤に数百億の概算、1年4か月で着工の工程表があった
刑事裁判傍聴記:第19回公判 「プロセスは間違っていなかった」?
刑事裁判傍聴記:第18回公判 「津波対策は不可避」の認識で動いていた
刑事裁判傍聴記:第17回公判 間違いの目立った岡本孝司・東大教授の証言
刑事裁判傍聴記:第16回公判 「事故は、やりようによっては防げた」
刑事裁判傍聴記:第15回公判 崩された「くし歯防潮堤」の主張
刑事裁判傍聴記:第14回公判 100%確実でなくとも価値はある
刑事裁判傍聴記:第13回公判 「歴史地震」のチカラ
刑事裁判傍聴記:第12回公判 「よくわからない」と「わからない」の違い
刑事裁判傍聴記:第11回公判 多くの命、救えたはずだった
刑事裁判傍聴記:第10回公判 「長期評価は信頼できない」って本当?
刑事裁判傍聴記:第 9回公判 「切迫感は無かった」の虚しさ
刑事裁判傍聴記:第 8回公判 「2年4か月、何も対策は進まなかった」
刑事裁判傍聴記:第 7回公判 「錦の御旗」土木学会で時間稼ぎ
刑事裁判傍聴記:第 6回公判 2008年8月以降の裏工作
刑事裁判傍聴記:第 5回公判 津波担当のキーパーソン登場
刑事裁判傍聴記:第 4回公判 事故3年後に作られた証拠
刑事裁判傍聴記:第 3回公判 決め手に欠けた弁護側の証拠
刑事裁判傍聴記:第 2回公判