2018年10月27日土曜日

刑事裁判傍聴記:第32回公判(添田孝史)

「福島第一は津波に弱い」2度の警告、生かさず


武黒一郎・東電元副社長
(2012年3月、木野龍逸氏撮影)
   10月19日の第32回公判では、武黒一郎・東電元副社長の被告人質問が行われた。
 武黒氏は2007年6月から2010年6月まで取締役副社長原子力・立地本部本部長であり、津波対策が検討された当時、原発の安全対策の責任者だった。

 2008年2月の「御前会議」、同3月の常務会で、政府の地震本部が予測した津波に基づく対策を、被告人らがいったん了承したのではないかと問われ、武黒氏は「意思決定の場ではありませんでした」「常務会の報告内容と直接かかわらない補足的な内容だ」などと否定。2009年4月か5月に、初めて15.7mの津波予測を聞いたと説明した。

 一方、この公判で初めてわかったこともあった。武黒氏は、事故前に二度にわたって「福島第一は津波に弱い」という情報を受け取っていたらしいことだ。

 武黒氏は、敷地を超える津波が全電源喪失を引き起こすこと、政府予測では津波は敷地を超えること、両方の報告を遅くとも2009年春までには受けていた。それにもかかわらず、福島第一原発の安全確認である耐震バックチェックを当初予定より7年も先送りしていた。

「来てもおかしくない最大の津波を想定すべき」

   武黒氏が福島第一の津波に対する脆弱性を知ることが出来た最初の機会は、1997年から2000年ごろにかけてのことだ。

 このころ、東電の原子力管理部長だった武黒氏は、電事連の原子力開発対策会議総合部会(以下、総合部会)のメンバーにも入っていた。ここではたびたび、津波問題が話し合われていた(*1)

 1997年6月の総合部会議事録によると、当時建設省などがとりまとめていた「7省庁手引き」(*2)について、以下のように報告されている。

「この報告書(7省庁手引き)では原子力の安全審査における津波以上の想定し得る最大規模の地震津波も加えることになっており、さらに津波の数値解析は不確定な部分が多いと指摘しており、これらの考えを原子力に適用すると多くの原子力発電所で津波高さが敷地高さ更には屋外ポンプ高さを超えるとの報告があった」

 同年9月の第289回総合部会でも、以下のように報告されている。

 ◯  従来の知識だけでは考えられない地震が発生しており、自然現象に対して謙虚になるべきだというのが地震専門家の間の共通認識となっている。

 ◯  最近の自然防災では活断層調査も含めて「いつ起きるか」よりも「起きるとしたらどのような規模のものか」を知ることが大切であるとの基本的な考え方となってきており、津波の評価においても来てもおかしくない最大のものを想定すべきである。

 ◯  現状の学問レベルでは自然現象の推定誤差は大きく、予測しえないことが起きることがあるので、特に原子力では最終的な安全判断に際しては理詰めで考えられる水位を超える津波がくる可能性もあることを考慮して、さらに余裕を確保すべきである。

 1998年7月の第298回総合部会でも、「津波に対する検討の今後の方向性について」として、以下のような報告がされている。

(前略)
(2)余裕について
    原子力では数値シミュレーションの精度は良いとの判断から、評価に用いる津波高には余裕を考慮せず計算結果をそのまま用いてきた。
    MITI顧問(*3)は、ともに4省庁の調査委員会にも参加されていたが、両顧問は、数値シミュレーションを用いた津波の予測精度は倍半分程度とも発信されている。
    さらに顧問は、原子力の津波評価には余裕がないため、評価にあたっては適切な余裕を考慮すべきであると再三指摘している(ただし、具体的な数値に関する発言はない)。

「全国で最も脆弱」と判明していた福島第一

   2000年2月24日に電事連役員会議室で開かれた第316回総合部会で、重要な報告があった。検察官役の指定弁護士、石田省三郎弁護士が、電気事業連合会の議事録をもとに明らかにした。

 津波予測の精度は倍半分(2倍の誤差がありうる)と専門家が指摘していたのを受けて、通商産業省は、シミュレーション結果の2倍の津波が原発に到達したとき、原発がどんな被害を受けるか、その対策として何が考えられるかを提示するよう電力会社に要請していた。電事連がとりまとめたその結果が示されたのだ。

 福島第一は、1.2倍(5.9〜6.2m)の水位で、「×(影響あり)」「海水ポンプモーター浸水」と書かれていた。1.2倍で「×」になるのは、福島第一と島根しかないことも報告された(表)。福島第一は、全国で最も津波に余裕がない原発だとこの時点でわかっていたのだ。約半分の28基は、想定の倍の津波高さでも影響がないほど安全余裕があることも示されていた。

第316回電事連総合部会で示された津波影響評価。
福島第一と島根がもっとも脆弱なことがわかる。
(国会事故調参考資料p.41から)
   石田弁護士は解析結果を示して、「当時より、福島第一に津波が襲来したとき裕度が少ないことは議論されていたのではないか」と武黒氏に質問。武黒氏は「欠席しております。津波評価に関わることですので、担当部署に伝えられたと思う」と答えた。

 議事録によると、確かにこの回は武黒氏は欠席していた。しかし前述したように、1997年以降、電事連の総合部会では何回も津波問題が話し合われていた。それを武黒氏が知らなかったとは考えにくい。

 この回の総合部会では、土木学会手法のとりまとめをしていた土木学会津波評価部会の審議状況についても報告されていた。議事録にはこう書かれている。

津波評価に関する電力共通研究成果をオーソライズする場として、土木学会原子力土木委員会内に津波評価部会を設置し、審議を行っている。

 電力関係者が過半数を占め、電力会社が研究費を負担して津波想定を策定する土木学会の実態(第22回傍聴記参照)についても、武黒氏は知っていた可能性がある。

「可能であれば対応した方が良いと理解していた」

   「福島第一が津波に弱い」と聞いた2回目は、2006年9月の第385回総合部会の時だ。このころ、武黒氏は常務取締役原子力・立地本部長で、総合部会長を務めていた。この回では、原子力安全・保安院と原子力安全基盤機構(JNES)が設置した溢水勉強会の調査結果について紹介されている。

 同年5月、福島第一に敷地より1m高い津波が襲来したらどんな影響が出るか、東電は溢水勉強会に報告していた。非常用電源設備や各種非常用冷却設備が水没して機能喪失し、全電源喪失に至る危険性があることが報告されていた。それが総合部会で取り上げられたのだ。

 「国の反応は、土木学会手法による津波の想定に対して、数十センチは誤差との認識。余裕の少ないプラントについては「ハザード確率≒炉心損傷確率」との認識のもと、リスクの高いプラントについては念のため個別の対応が望まれるとの認識」と議事録にはある。

 また、同年10月6日に、耐震バックチェックについて保安院が全電力会社に一括ヒアリングを開いたときの、電力会社への要請も武黒氏に伝わっていたと証言した。
 保安院の担当者は以下のように述べていた(*4)

 「自然現象は想定を超えないとは言い難いのは、女川の地震の例からもわかること。地震の場合は裕度の中で安全であったが、津波はあるレベルを越えると即、冷却に必要なポンプの停止につながり、不確定性に対して裕度がない」

 「土木学会の手法を用いた検討結果(溢水勉強会 )は、余裕が少ないと見受けられる。自然現象に対する予測においては、不確実性がつきものであり、海水による冷却性能を担保する電動機が水で死んだら終わりである」

「どのくらいの裕度が必要かも含め検討をお願いしたい」

「バックチェックでは結果のみならず、保安院はその対応策についても確認する。今回は、保安院としての要望であり、この場を借りて、各社にしっかり周知したものとして受け止め、各社上層部に伝えること」

 武黒氏は、保安院の要請について「必ずしもという認識ではなかった。可能であれば対応した方が良いと理解していた」と述べた。

「武黒・吉田会談」もう一つの運命の日

   武黒氏は、2009年の4月か5月に、津波想定を担当する原子力設備管理部長だった吉田昌郎氏から、15.7mの津波予測を初めて聞いたと証言した。この場面で武黒氏が何を考えたのか、石田弁護士は何度も質問して迫った。

石田  「現実に津波が襲来したらどんな事態になるか考えられましたか」
「もし来るとなれば、福島第一の状況はどのようになるんでしょうか」

 水に浸かったとしても、原発の機能が保たれるなら問題はない。しかし、武黒氏は、津波が敷地に浸水すれば全電源喪失に至る危険性を知っていた。吉田氏から示された浸水予測が、どんな事故につながるのか、イメージできたのだ。武藤氏より明確に見えていたのではないだろうか。

 武黒氏は「溢水勉強会は、無限の時間を仮定している。ダイナミックな津波の動きは仮定していない」「そういう議論はありませんでした」などと答えたが、原発の技術者として、その日、何を直感したか、大事な返答をしなかった、ためらったように見えた。

 吉田部長から津波想定を土木学会で検討してもらうのに「年オーダーでかかる」と聞いたとも述べた。

 石田弁護士は、武黒氏が検察官の聴取に「少し時間がかかりすぎるとは思いました」と述べていたのではないか確認すると、「時間がかかるなとは申しました」と答えた。

 この日、福島第一の津波に対する脆弱性と、政府の津波予測、二つの情報が重なりあった。事故リスクははっきり見えたはずだ。武黒氏は、この日、指示を出すことができた。日本原電東海第二のように、こっそり長期評価への対策を進めることや、中部電力浜岡原発のように、ドライサイトにこだわらない浸水対策を実施することも出来た。実際、武黒氏は「女川や東海はどうなっているのか」と、他社の動向を気にしていた(2009年2月の御前会議)。

 しかし、福島第一では何も対策を進めなかった。「土木学会で3年ぐらいかけて議論してもらう」という方針を認めたのだ。それは他の電力会社は選ばなかった方法だった。

 2008年7月31日「ちゃぶ台返し」の日と並んで、2009年の4月か5月、日付が特定されていないこの日も、福島第一の運命にとって重要な日だったように思われる。

責任者が隠された「大きな流れ」

   武黒氏は、勝俣元会長らが出席することから「御前会議」と呼ばれていた「中越沖地震対応会議」について、「情報共有の会合であり、意思決定の場ではない」と何度も強調した。これは武藤氏と同様だった。

 しかし、注目される発言もあった。御前会議の位置づけについて、「大きな流れが、結果として出来上がってくることもあります」と説明したのだ。
 2008年2月の御前会議で、津波想定を担当する部門は、地震本部の長期評価を取り入れて津波対応をすると書いた資料を提出した。それに対し、幹部らから特に異議が無かった。報告者はそれを「承認された」ととらえていたのではないだろうか。

 津波想定に限らず、これが東電の原子力における意思決定の実態だったのではないかと推測される。異議がなければ承認されたものとして、前に進められる。東電として「大きな流れ」が作られる。しかし、いざ問題が生じた時、会議の場にいた責任者は、「報告を受けただけで、承認したわけではない」と責任回避の言い逃れが出来る仕組みだ。

バックチェック7年先延ばし、誰が意思決定?

   武黒氏、武藤氏の本人質問を傍聴した後でも、二点、良くわからないことが残った。

 一つは、耐震バックチェック中間報告を福島県に報告する際(2008年3月)の想定QA集(*5)はどのように作られて、誰が承認したのかという点だ。

 このQA集には、「過去に三陸沖や房総半島沖の日本海溝沿いで発生したような津波(マグニチュード8以上のもの)は、福島県沖では発生していないが、地震調査研究推進本部は、同様の津波が福島県沖や茨城県沖でも発生するというもの。この知見を今回の安全性評価において、「不確かさの考慮」という位置づけで考慮する計画」(SA7-1-7)と書かれていた。

 対外的なQAは、会社の方針を明らかにする文書であることから、多くの会社では、かなりの上層部の決裁が必要となる。東電では、この手続が無かったのだろうか。武黒氏はQA集に書かれているような長期評価の取り扱いについて東電として決定したことは「ありません」と述べた。それでは一体誰が、このQA集の記述を認めたのだろう。

 もう一つは、耐震バックチェックを先延ばしすることについて、経営幹部はどう判断していたのかわからないことだ。福島第一原発の耐震バックチェック最終報告は、当初は2009年6月だった。ところが2009年2月の御前会議資料では「2012年11月」とされ、「他電力最終報告時期(2010年11月)より2年程度の遅れ」とも書かれていた。

 武黒氏は「当時(2009年2月ごろ)の認識として、あと3年で終えられるかどうか自信を持って見通せる時期ではなかった」と述べた。

 さらに、2011年2月6日の御前会議に提出された資料では「2016年3月となる見通し」と書かれている。

 現在運転中の原発について、安全確認の期限を先延ばしする。そんな重大な事項について、いったい誰がどのように承認したのか、武黒氏、武藤氏の本人質問からはわからなかった。

 もしかするとバックチェック先送りも、現場からの報告が、なんとなく「大きな流れ」となって、特段の承認もなく、既成事実化されていたとでも言うのだろうか。

 「安全確認を当初より7年も遅らせる」ことを、誰が責任を持って認めたのか、最高責任者が説明出来ない。それは原発を運転する会社としては信じられない。

公害企業の決まり文句「不確実なことに対応するのは難しい」

「わからないこと、あいまいなこと、不確実な事柄への対応は難しい」
「その当時わかっていたこと、当時わからなかったことの間に乖離(かいり)があった」

 津波の予測に不確実性があったから対応が難しかったと武黒氏は主張した。これは、過去の公害企業が責任逃れに科学的な不確実さを持ち出す構図とそっくりだ。

 水俣病を引き起こしたチッソは、裁判でこう主張していた。

「本件水俣病発生当時においては、アセトアルデヒド製造工程中に水俣病の原因となるメチル水銀化合物が生成することは、被告はもとより化学工業の業界・学界においても到底これを認識することがなかった」

 これについて、宮本憲一氏は『戦後日本公害史論』で、以下のように述べている。

「(研究者間で)内部の意見の対立があったかなどを例にして、チッソ自らの予見不可能性や対策の失敗をあたかも科学的解明の困難にあったかのように責任を転嫁している。(中略)科学論争に巻き込もうとしているのだ」(*6)

 地震学はまだ発展の途上にあるため、津波の予測にともなう科学的不確実さは、いつまで先送りしても無くなることはない。原発を安全に運転するためには、不確実さを適切に考慮して余裕を持って対処する必要がある。

 武黒氏は1990年代後半から、電事連総合部会で、不確実さを巡る議論を聞いていたと思われる。他の電力会社は、建屋の水密化を進めるなど対策を進めていた。何もしなかったのは東電だけだった。耐震バックチェックを大幅に先延ばししようとしていたのも、東電だけだった。

 武黒氏は「私としては懸命に任務を果たしてきた」と述べたが、他の電力会社と比べると、東電の津波対策は明らかに劣っていたのである。
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*1 国会事故調 参考資料 p.41〜46
http://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3856371/naiic.go.jp/pdf/naiic_sankou.pdf

*2 「太平洋沿岸部地震津波防災計画手法調査報告書」及び「地域防災計画における津波対策の手引き」国土庁・農林水産省構造改善局・農林水産省水産庁・運輸省・気象庁・建設省・消防庁 1998年3月

*3 故・阿部勝征・東大名誉教授と首藤伸夫・東北大名誉教授

*4 2006年10月6日に、耐震バックチェックについて保安院が全電力会社に一括ヒアリングを開いたときの記録(電事連作成)

*5 福島第一/第二原子力発電所「発電用原子炉施設に関する耐震設計審査指針」の改訂に伴う耐震安全性評価(中間報告)QA集 東電株主代表訴訟 丙88号証

*6 宮本憲一『戦後日本公害史論』岩波書店(2014) p.301
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添田 孝史 (そえだ たかし)
サイエンスライター、元国会事故調協力調査員
著書に 『原発と大津波 警告を葬った人々』、『東電原発裁判―福島原発事故の責任を問う
(ともに岩波新書)
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