2018年10月30日火曜日

【緊急】10月31日と11月2日の公判は取り消しです!

10月31日と11月2日の公判は取り消しになりました!
本日の公判で、裁判所から、明日10月31日と、11月2日の公判を取り消すと通知されました。
明日31日は裁判が開かれません。11月2日も裁判はありません。

次回公判は、11月14日となります。
ご注意ください。

2018年10月28日日曜日

次回公判は10月30日です!

10月30日火曜日は、第33回公判期日です。
武黒被告人へ、被害者代理人からの質問と、いよいよ勝俣恒久元会長への被告人質問が予定されています。

また、裁判所が11月の公判期日を指定しました。
一部報道では、被害者遺族の意見陳述があると報じていますが、現時点で予定は不明です。
指定された公判期日が取り消しになる場合もあります。予定が判明次第、当ブログにも掲載いたします。傍聴にお出かけになる前に、一度ご確認ください。

*公判報告会は、裁判の終了時刻によって開始時間が変わります。報告会のみ参加される方は、12:30以降にお電話でご連絡ください。開始時間の予定をお伝えします。
*傍聴整理券配布時間は8:20~9:00予定です。裁判所HPの傍聴券交付情報でご確認ください。

10月30日(
第33回公判期日 東京地裁104号法廷 開廷10:00
裁判終了後報告会
 時間…未定。裁判終了後に行います
 場所…参議院議員会館 101室

10月31日(水) 第34回公判期日 東京地裁104号法廷 開廷10:00
裁判終了後報告会
 時間…未定。裁判終了後に行います
 場所…参議院議員会館 11:00~14:30は102室、15:30以降は101室

11月2日(金) 第35回公判期日 東京地裁104号法廷 開廷10:00
裁判終了後報告会
 時間…未定。裁判終了後に行います
 場所…衆議院第一議員会館  第6会議室

11月14日(水第36回公判期日 東京地裁104号法廷 開廷10:00
裁判終了後報告会
 時間…未定。裁判終了後に行います
 場所…全日通ビル  8階大会議室C(千代田区霞が関3丁目3-3)

11月16日(金) 第37回公判期日 東京地裁104号法廷 開廷10:00
裁判終了後報告会
 時間…未定。裁判終了後に行います
 場所…衆議院第一議員会館  第6会議室

2018年10月27日土曜日

刑事裁判傍聴記:第32回公判(添田孝史)

「福島第一は津波に弱い」2度の警告、生かさず


武黒一郎・東電元副社長
(2012年3月、木野龍逸氏撮影)
   10月19日の第32回公判では、武黒一郎・東電元副社長の被告人質問が行われた。
 武黒氏は2007年6月から2010年6月まで取締役副社長原子力・立地本部本部長であり、津波対策が検討された当時、原発の安全対策の責任者だった。

 2008年2月の「御前会議」、同3月の常務会で、政府の地震本部が予測した津波に基づく対策を、被告人らがいったん了承したのではないかと問われ、武黒氏は「意思決定の場ではありませんでした」「常務会の報告内容と直接かかわらない補足的な内容だ」などと否定。2009年4月か5月に、初めて15.7mの津波予測を聞いたと説明した。

 一方、この公判で初めてわかったこともあった。武黒氏は、事故前に二度にわたって「福島第一は津波に弱い」という情報を受け取っていたらしいことだ。

 武黒氏は、敷地を超える津波が全電源喪失を引き起こすこと、政府予測では津波は敷地を超えること、両方の報告を遅くとも2009年春までには受けていた。それにもかかわらず、福島第一原発の安全確認である耐震バックチェックを当初予定より7年も先送りしていた。

「来てもおかしくない最大の津波を想定すべき」

   武黒氏が福島第一の津波に対する脆弱性を知ることが出来た最初の機会は、1997年から2000年ごろにかけてのことだ。

 このころ、東電の原子力管理部長だった武黒氏は、電事連の原子力開発対策会議総合部会(以下、総合部会)のメンバーにも入っていた。ここではたびたび、津波問題が話し合われていた(*1)

 1997年6月の総合部会議事録によると、当時建設省などがとりまとめていた「7省庁手引き」(*2)について、以下のように報告されている。

「この報告書(7省庁手引き)では原子力の安全審査における津波以上の想定し得る最大規模の地震津波も加えることになっており、さらに津波の数値解析は不確定な部分が多いと指摘しており、これらの考えを原子力に適用すると多くの原子力発電所で津波高さが敷地高さ更には屋外ポンプ高さを超えるとの報告があった」

 同年9月の第289回総合部会でも、以下のように報告されている。

 ◯  従来の知識だけでは考えられない地震が発生しており、自然現象に対して謙虚になるべきだというのが地震専門家の間の共通認識となっている。

 ◯  最近の自然防災では活断層調査も含めて「いつ起きるか」よりも「起きるとしたらどのような規模のものか」を知ることが大切であるとの基本的な考え方となってきており、津波の評価においても来てもおかしくない最大のものを想定すべきである。

 ◯  現状の学問レベルでは自然現象の推定誤差は大きく、予測しえないことが起きることがあるので、特に原子力では最終的な安全判断に際しては理詰めで考えられる水位を超える津波がくる可能性もあることを考慮して、さらに余裕を確保すべきである。

 1998年7月の第298回総合部会でも、「津波に対する検討の今後の方向性について」として、以下のような報告がされている。

(前略)
(2)余裕について
    原子力では数値シミュレーションの精度は良いとの判断から、評価に用いる津波高には余裕を考慮せず計算結果をそのまま用いてきた。
    MITI顧問(*3)は、ともに4省庁の調査委員会にも参加されていたが、両顧問は、数値シミュレーションを用いた津波の予測精度は倍半分程度とも発信されている。
    さらに顧問は、原子力の津波評価には余裕がないため、評価にあたっては適切な余裕を考慮すべきであると再三指摘している(ただし、具体的な数値に関する発言はない)。

「全国で最も脆弱」と判明していた福島第一

   2000年2月24日に電事連役員会議室で開かれた第316回総合部会で、重要な報告があった。検察官役の指定弁護士、石田省三郎弁護士が、電気事業連合会の議事録をもとに明らかにした。

 津波予測の精度は倍半分(2倍の誤差がありうる)と専門家が指摘していたのを受けて、通商産業省は、シミュレーション結果の2倍の津波が原発に到達したとき、原発がどんな被害を受けるか、その対策として何が考えられるかを提示するよう電力会社に要請していた。電事連がとりまとめたその結果が示されたのだ。

 福島第一は、1.2倍(5.9〜6.2m)の水位で、「×(影響あり)」「海水ポンプモーター浸水」と書かれていた。1.2倍で「×」になるのは、福島第一と島根しかないことも報告された(表)。福島第一は、全国で最も津波に余裕がない原発だとこの時点でわかっていたのだ。約半分の28基は、想定の倍の津波高さでも影響がないほど安全余裕があることも示されていた。

第316回電事連総合部会で示された津波影響評価。
福島第一と島根がもっとも脆弱なことがわかる。
(国会事故調参考資料p.41から)
   石田弁護士は解析結果を示して、「当時より、福島第一に津波が襲来したとき裕度が少ないことは議論されていたのではないか」と武黒氏に質問。武黒氏は「欠席しております。津波評価に関わることですので、担当部署に伝えられたと思う」と答えた。

 議事録によると、確かにこの回は武黒氏は欠席していた。しかし前述したように、1997年以降、電事連の総合部会では何回も津波問題が話し合われていた。それを武黒氏が知らなかったとは考えにくい。

 この回の総合部会では、土木学会手法のとりまとめをしていた土木学会津波評価部会の審議状況についても報告されていた。議事録にはこう書かれている。

津波評価に関する電力共通研究成果をオーソライズする場として、土木学会原子力土木委員会内に津波評価部会を設置し、審議を行っている。

 電力関係者が過半数を占め、電力会社が研究費を負担して津波想定を策定する土木学会の実態(第22回傍聴記参照)についても、武黒氏は知っていた可能性がある。

「可能であれば対応した方が良いと理解していた」

   「福島第一が津波に弱い」と聞いた2回目は、2006年9月の第385回総合部会の時だ。このころ、武黒氏は常務取締役原子力・立地本部長で、総合部会長を務めていた。この回では、原子力安全・保安院と原子力安全基盤機構(JNES)が設置した溢水勉強会の調査結果について紹介されている。

 同年5月、福島第一に敷地より1m高い津波が襲来したらどんな影響が出るか、東電は溢水勉強会に報告していた。非常用電源設備や各種非常用冷却設備が水没して機能喪失し、全電源喪失に至る危険性があることが報告されていた。それが総合部会で取り上げられたのだ。

 「国の反応は、土木学会手法による津波の想定に対して、数十センチは誤差との認識。余裕の少ないプラントについては「ハザード確率≒炉心損傷確率」との認識のもと、リスクの高いプラントについては念のため個別の対応が望まれるとの認識」と議事録にはある。

 また、同年10月6日に、耐震バックチェックについて保安院が全電力会社に一括ヒアリングを開いたときの、電力会社への要請も武黒氏に伝わっていたと証言した。
 保安院の担当者は以下のように述べていた(*4)

 「自然現象は想定を超えないとは言い難いのは、女川の地震の例からもわかること。地震の場合は裕度の中で安全であったが、津波はあるレベルを越えると即、冷却に必要なポンプの停止につながり、不確定性に対して裕度がない」

 「土木学会の手法を用いた検討結果(溢水勉強会 )は、余裕が少ないと見受けられる。自然現象に対する予測においては、不確実性がつきものであり、海水による冷却性能を担保する電動機が水で死んだら終わりである」

「どのくらいの裕度が必要かも含め検討をお願いしたい」

「バックチェックでは結果のみならず、保安院はその対応策についても確認する。今回は、保安院としての要望であり、この場を借りて、各社にしっかり周知したものとして受け止め、各社上層部に伝えること」

 武黒氏は、保安院の要請について「必ずしもという認識ではなかった。可能であれば対応した方が良いと理解していた」と述べた。

「武黒・吉田会談」もう一つの運命の日

   武黒氏は、2009年の4月か5月に、津波想定を担当する原子力設備管理部長だった吉田昌郎氏から、15.7mの津波予測を初めて聞いたと証言した。この場面で武黒氏が何を考えたのか、石田弁護士は何度も質問して迫った。

石田  「現実に津波が襲来したらどんな事態になるか考えられましたか」
「もし来るとなれば、福島第一の状況はどのようになるんでしょうか」

 水に浸かったとしても、原発の機能が保たれるなら問題はない。しかし、武黒氏は、津波が敷地に浸水すれば全電源喪失に至る危険性を知っていた。吉田氏から示された浸水予測が、どんな事故につながるのか、イメージできたのだ。武藤氏より明確に見えていたのではないだろうか。

 武黒氏は「溢水勉強会は、無限の時間を仮定している。ダイナミックな津波の動きは仮定していない」「そういう議論はありませんでした」などと答えたが、原発の技術者として、その日、何を直感したか、大事な返答をしなかった、ためらったように見えた。

 吉田部長から津波想定を土木学会で検討してもらうのに「年オーダーでかかる」と聞いたとも述べた。

 石田弁護士は、武黒氏が検察官の聴取に「少し時間がかかりすぎるとは思いました」と述べていたのではないか確認すると、「時間がかかるなとは申しました」と答えた。

 この日、福島第一の津波に対する脆弱性と、政府の津波予測、二つの情報が重なりあった。事故リスクははっきり見えたはずだ。武黒氏は、この日、指示を出すことができた。日本原電東海第二のように、こっそり長期評価への対策を進めることや、中部電力浜岡原発のように、ドライサイトにこだわらない浸水対策を実施することも出来た。実際、武黒氏は「女川や東海はどうなっているのか」と、他社の動向を気にしていた(2009年2月の御前会議)。

 しかし、福島第一では何も対策を進めなかった。「土木学会で3年ぐらいかけて議論してもらう」という方針を認めたのだ。それは他の電力会社は選ばなかった方法だった。

 2008年7月31日「ちゃぶ台返し」の日と並んで、2009年の4月か5月、日付が特定されていないこの日も、福島第一の運命にとって重要な日だったように思われる。

責任者が隠された「大きな流れ」

   武黒氏は、勝俣元会長らが出席することから「御前会議」と呼ばれていた「中越沖地震対応会議」について、「情報共有の会合であり、意思決定の場ではない」と何度も強調した。これは武藤氏と同様だった。

 しかし、注目される発言もあった。御前会議の位置づけについて、「大きな流れが、結果として出来上がってくることもあります」と説明したのだ。
 2008年2月の御前会議で、津波想定を担当する部門は、地震本部の長期評価を取り入れて津波対応をすると書いた資料を提出した。それに対し、幹部らから特に異議が無かった。報告者はそれを「承認された」ととらえていたのではないだろうか。

 津波想定に限らず、これが東電の原子力における意思決定の実態だったのではないかと推測される。異議がなければ承認されたものとして、前に進められる。東電として「大きな流れ」が作られる。しかし、いざ問題が生じた時、会議の場にいた責任者は、「報告を受けただけで、承認したわけではない」と責任回避の言い逃れが出来る仕組みだ。

バックチェック7年先延ばし、誰が意思決定?

   武黒氏、武藤氏の本人質問を傍聴した後でも、二点、良くわからないことが残った。

 一つは、耐震バックチェック中間報告を福島県に報告する際(2008年3月)の想定QA集(*5)はどのように作られて、誰が承認したのかという点だ。

 このQA集には、「過去に三陸沖や房総半島沖の日本海溝沿いで発生したような津波(マグニチュード8以上のもの)は、福島県沖では発生していないが、地震調査研究推進本部は、同様の津波が福島県沖や茨城県沖でも発生するというもの。この知見を今回の安全性評価において、「不確かさの考慮」という位置づけで考慮する計画」(SA7-1-7)と書かれていた。

 対外的なQAは、会社の方針を明らかにする文書であることから、多くの会社では、かなりの上層部の決裁が必要となる。東電では、この手続が無かったのだろうか。武黒氏はQA集に書かれているような長期評価の取り扱いについて東電として決定したことは「ありません」と述べた。それでは一体誰が、このQA集の記述を認めたのだろう。

 もう一つは、耐震バックチェックを先延ばしすることについて、経営幹部はどう判断していたのかわからないことだ。福島第一原発の耐震バックチェック最終報告は、当初は2009年6月だった。ところが2009年2月の御前会議資料では「2012年11月」とされ、「他電力最終報告時期(2010年11月)より2年程度の遅れ」とも書かれていた。

 武黒氏は「当時(2009年2月ごろ)の認識として、あと3年で終えられるかどうか自信を持って見通せる時期ではなかった」と述べた。

 さらに、2011年2月6日の御前会議に提出された資料では「2016年3月となる見通し」と書かれている。

 現在運転中の原発について、安全確認の期限を先延ばしする。そんな重大な事項について、いったい誰がどのように承認したのか、武黒氏、武藤氏の本人質問からはわからなかった。

 もしかするとバックチェック先送りも、現場からの報告が、なんとなく「大きな流れ」となって、特段の承認もなく、既成事実化されていたとでも言うのだろうか。

 「安全確認を当初より7年も遅らせる」ことを、誰が責任を持って認めたのか、最高責任者が説明出来ない。それは原発を運転する会社としては信じられない。

公害企業の決まり文句「不確実なことに対応するのは難しい」

「わからないこと、あいまいなこと、不確実な事柄への対応は難しい」
「その当時わかっていたこと、当時わからなかったことの間に乖離(かいり)があった」

 津波の予測に不確実性があったから対応が難しかったと武黒氏は主張した。これは、過去の公害企業が責任逃れに科学的な不確実さを持ち出す構図とそっくりだ。

 水俣病を引き起こしたチッソは、裁判でこう主張していた。

「本件水俣病発生当時においては、アセトアルデヒド製造工程中に水俣病の原因となるメチル水銀化合物が生成することは、被告はもとより化学工業の業界・学界においても到底これを認識することがなかった」

 これについて、宮本憲一氏は『戦後日本公害史論』で、以下のように述べている。

「(研究者間で)内部の意見の対立があったかなどを例にして、チッソ自らの予見不可能性や対策の失敗をあたかも科学的解明の困難にあったかのように責任を転嫁している。(中略)科学論争に巻き込もうとしているのだ」(*6)

 地震学はまだ発展の途上にあるため、津波の予測にともなう科学的不確実さは、いつまで先送りしても無くなることはない。原発を安全に運転するためには、不確実さを適切に考慮して余裕を持って対処する必要がある。

 武黒氏は1990年代後半から、電事連総合部会で、不確実さを巡る議論を聞いていたと思われる。他の電力会社は、建屋の水密化を進めるなど対策を進めていた。何もしなかったのは東電だけだった。耐震バックチェックを大幅に先延ばししようとしていたのも、東電だけだった。

 武黒氏は「私としては懸命に任務を果たしてきた」と述べたが、他の電力会社と比べると、東電の津波対策は明らかに劣っていたのである。
______________
*1 国会事故調 参考資料 p.41〜46
http://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3856371/naiic.go.jp/pdf/naiic_sankou.pdf

*2 「太平洋沿岸部地震津波防災計画手法調査報告書」及び「地域防災計画における津波対策の手引き」国土庁・農林水産省構造改善局・農林水産省水産庁・運輸省・気象庁・建設省・消防庁 1998年3月

*3 故・阿部勝征・東大名誉教授と首藤伸夫・東北大名誉教授

*4 2006年10月6日に、耐震バックチェックについて保安院が全電力会社に一括ヒアリングを開いたときの記録(電事連作成)

*5 福島第一/第二原子力発電所「発電用原子炉施設に関する耐震設計審査指針」の改訂に伴う耐震安全性評価(中間報告)QA集 東電株主代表訴訟 丙88号証

*6 宮本憲一『戦後日本公害史論』岩波書店(2014) p.301
______________
添田 孝史 (そえだ たかし)
サイエンスライター、元国会事故調協力調査員
著書に 『原発と大津波 警告を葬った人々』、『東電原発裁判―福島原発事故の責任を問う
(ともに岩波新書)
添田さんの公判傍聴記一覧

2018年10月21日日曜日

刑事裁判傍聴記:第31回公判(添田孝史)

「Integrity(真摯さ)」を大切にしていた?

証言する武藤栄氏(絵:吉田千亜さん)

   10月17日の第31回公判は、前日に引き続き武藤栄・元副社長の被告人質問だった。(今回の傍聴記では、30回、31回の2回の中で出てきた話が混在していることをお断りしておく)。
 武藤氏は「ISQO」(アイ・エス・キュー・オー)という言葉をたびたび持ち出して、自分の判断が正しかったと説明していた。

 武藤氏によると、

Integrity(誠実さ、正直さ)
Safety(安全)
Quality(品質)
Output(成果)

の頭文字をつなげたのが「ISQO」。それを仕事では心がけていたのだそうだ。そして「Integrityに最も重きを置いていた、Outputは最後についてくるもので優先させてはいけない」と何度も強調した。

 具体例として、発電所から「稼働率の明確な目標を示して欲しい」と声が上がったときに、数値目標をかかげることを自分の判断で却下した事例を武藤氏は法廷で紹介した。「Outputを目指すとどこかで勘違いする人がいるので認めませんでした」のだという。

 経営の分野において有名なピーター・ドラッカーの『現代の経営』で、上田惇生氏はintegrityを「真摯(しんし)さ」と訳している。

 人格や真摯さに欠ける者は、いかに知識があり才気があり仕事ができようとも、組織を腐敗させる。(『現代の経営』から)
事故後、記者会見する武藤栄氏(右から2番目)=2011年3月、東電本社で。木野龍逸氏撮影

「原発止めると大変な影響」

   武藤氏は、原発を止めるのが、いかに「大ごと」なのか、以下のように説明した。

     原発は東電の電力の4割近くを生み出す大きな電源なので、止めるとなれば代替を探してこなければならない。

 火力しかない。その燃料を確保しなければならない。燃料を輸送する手当も必要だ。燃料費も一年に何千億円もかかる。火力は原子力より1kWhあたり10円ぐらい高くつくから、柏崎刈羽原発のように500億kWh生み出す原発を止めると、年に5000億円燃料代が余計にかかる。

 そのお金を借りるなど、手当しなければならない。収支を企画や経理にも検討してもらう必要がある。顧客に負担してもらうことになれば、料金部門にも考えてもらうことになる。

 送電線の中を電気が流れる「潮流」も大きく変わるので、電力系統の運用をやっている部門にも、系統の信頼性や安定性にどういう影響があるか見てもらわないといけない。

 火力発電所を増やすと、二酸化炭素の排出が増えるので、その排出権の手当をする必要がある。

 日本全体の3分の1が東電。東電の原発から電気を送っている東北電力など他の電力会社でも検討してもらわないといけない。また、東電が原発を止めるとなると、他社の原発は止めなくても大丈夫なのかともなる。それへの対応も検討してもらうことになる。

 地元の自治体、資源エネルギー庁、原子力安全・保安院や原子力安全委員会にも説明して理解を得る必要がある。

だから「大変多くの部門に協力してもらわないといけない」とし、「止めることの根拠、必要性を説明することが必要です」と強調した。

 この説明からは、Outputへの影響が多大だから、津波のリスクが確実でないと原発は止められないと武藤氏は考えていたように聞こえた。稼働率という数字を確保すること(Output)を、IntegrityやSafetyより上位に置いていたのではないだろうか。

 本当のISQOに従えば、原発が事故を起こしたときの被害の大きさを考えると、津波予測に不確実な部分が残っていたとしても、その不確実さを潰すのに何年も費やすより、早めに予防的に対処するのが、真摯で安全な経営判断だったのではないだろうか。

最も安全意識の低かった東電

   武藤氏は「地震本部の長期評価に、土木学会手法を覆して否定する知見は無かった」とも述べた。しかし反対に、土木学会手法に、長期評価を完全に否定できる根拠も無かった。

 「土木学会手法は、そこ(福島沖)に波源を置かなくても安全なんだという民間規格になっていた。それと違う評価があったからと言って、それをとりこむことはできません」

 武藤氏のこの陳述は、事実と異なる。他の電力会社は、土木学会手法が定めている波源以外も、津波想定に取り込んでいた。

 東北電力は、土木学会手法にない貞観地震の波源を取り入れて津波高さを検討し、バックチェックの報告を作成していた。
 中部電力は、南海トラフで土木学会手法を超える津波が起きる可能性を保安院から示され、敷地に侵入した津波への対策も進めていた。
 日本原電は、東電が先送りした長期評価の波源にもとづく津波対策を進めていた。原電は「土木学会に検討してもらってからでないと対策に着手出来ない」と考えていなかったのだ。

 「津波がこれまで起きていないところで発生すると考えるのは難しい」と武藤氏は述べた。これも間違っている。

 2007年度には、福島第一原発から5キロの地点(浪江町請戸)で、土木学会手法による東電の想定を大きく超える津波の痕跡を、東北大学が見つけていた。土木学会手法の波源設定(2002)では説明できない大津波が、貞観津波(869年)など過去4千年間に5回も起きていた確実な証拠が、すでにあったのである。

 土木学会が完全なものとは考えていなかった他社は、どんどん研究成果を取り入れて新しい波源を設定し、津波想定を更新していた。東電だけがそれをしなかった。Safetyのレベルは、電力会社の中で、東電が最も低かったことがわかる。

時間をかけて議論しても「安全」なのか

   「知見と言ってもいろいろある。簡単に取り入れられるかどうかわからない」「現在でも社会通念上安全で、安全の積み増し、良いことをするのだから」

武藤氏はこのように、バックチェックに時間をかけても良いとも主張した。

 確かに、新たな知見にもとづく津波を原発でも想定すべきかどうか確かめるのに、ある程度の時間は必要かもしれない。しかし、長期評価の津波予測については、東電は2002年8月に検討を要請されていた。それを事故が起きる2011年3月まで9年近く、ほぼ対策を取らないままの状態で、運転を続けていた。

 原発が最新知見に照らし合わせても安全かどうか、運転しながらの確認作業について、規制当局は2006年当時、「2年から2年半以内で」と念押ししていた。なぜなら、安全を確認している期間中は、原発の安全性が保たれているという保証がないからだ。

 しかし東電は、土木学会手法を超える津波の予測が次々と報告されていたにもかかわらず

「確率論的な方法で検討する」(2002年)
「土木学会で検討してもらう」(2008年)
「津波堆積物を自分たちで掘って確認する」(2009年)

など、いろいろな言い訳を持ち出して、想定見直し・対策着手を先延ばしし続けていた。

「記憶に無い」「読んでない」「説明を受けてない」の真摯さ

   そういうことを考えながら傍聴していたので、「記憶にない」「説明を受けてない」「読んでない」と、自分の主張と矛盾する証拠類を否定し続ける武藤氏がIntegrityという単語を持ち出すたびに、「またか」と苦笑せざるをえなかった。

(第30回、31回公判の武藤被告人の傍聴記は、『AERA』2018年10月29日号[22日発売]にも2ページの記事を書いています。そちらもあわせてご覧ください)
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添田 孝史 (そえだ たかし)
サイエンスライター、元国会事故調協力調査員
著書に 『原発と大津波 警告を葬った人々』、『東電原発裁判―福島原発事故の責任を問う
(ともに岩波新書)

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添田さんの公判傍聴記一覧(支援団HP)

2018年10月20日土曜日

刑事裁判傍聴記:第30回公判(添田孝史)

武藤氏、「ちゃぶ台返し」を強く否定


「だから、この話は私は聞いていません」
「私のところに来るようなことではないです」
「それはありません」

 被告人の武藤栄氏は、強い口調で質問を否定し続けた。

 10月16日の第30回公判から、被告人質問が始まった。トップバッターは、津波対策のカギを握っていたとされる武藤・東電元副社長だ。

 2008年2月から3月にかけて、勝俣恒久・元会長ら被告人が出席した会合で津波対策はいったん了承されていたのに、同年7月に武藤氏が先送りした(いわゆる「ちゃぶ台返し」)と検察官側は主張。それを裏付ける東電社員らの証言や、会合の議事録、電子メールなどが、これまでの29回の公判で繰り返し示されてきた。ところが武藤氏は「先送りと言われるのは大変に心外」と、それらを全面的に否定したのだ。

「山下さんがなぜそんなことを言ったか、わからない」

   第24回公判(9月5日)では、耐震バックチェックを統括していた東電・新潟県中越沖地震対策センターの山下和彦氏が検察に供述していた内容が明らかにされた。

 それによると、勝俣氏ら経営陣は、地震本部が「福島沖でも起きうる」と2002年に予測した津波地震への対策を進めることを、2008年2月の「御前会議」(中越沖地震対応打ち合わせ)、同年3月の常務会で、了承していた。

 ところが、これらの会合の内容、決定事項について、山下氏の供述を武藤氏は認めなかった。

 「山下さんがどうしてそういう供述をしたのかわからない」
 「山下さんの調書は他にも違うところがある」

と、山下調書を否定する発言を繰り返した。

 公判後の記者会見で、被害者参加代理人の甫守一樹弁護士は「山下センター長には嘘をつくメリットは何もない」と説明した。一方で武藤氏は、山下氏の証言を否定しないと、先送りの責任を問われることになる。そして、武藤氏は山下調書を否定できる客観的な証拠を挙げることは出来なかったように見えた。

「土木学会手法で安全は保たれていた」のウソ

   私が傍聴していて気になったのは、武藤氏が土木学会のまとめた津波想定方法(土木学会手法、2002)を

「我が国のベストな手法」
「土木学会の方法で安全性を確認してきた」
「現状(土木学会手法による想定)でも安全性は社会通念上保たれていた」

などと評価していたことだ。

 これは、事実と異なる。土木学会の津波想定方法で、原発の安全が保たれているのか規制当局が確認したことは一度も無い。武藤氏が言うように「社会通念上安全が保たれている」とする根拠は何も無かった。たまたま、2011年3月11日まで津波による事故が起きなかっただけのことだ。

 2002年に土木学会手法が発表されたとき、保安院の担当者は以下のように述べていた。

 本件は民間規準であり指針ではないため、バックチェック指示は国からは出さない。耐震指針改訂時、津波も含まれると思われ、その段階で正式なバックチェックとなるだろう。(東電・酒井俊朗氏が2002年2月4日に他の電力会社に送った電子メールから)(*1)

 当時、すでに耐震指針の改訂作業が始まっており、それがまとまり次第、土木学会の津波想定方法が妥当かどうか調べると保安院は言っていたのだ。保安院の担当者は、まさかバックチェックが9年後の2011年になっても終わっていないとは想像していなかったに違いない。

 土木学会手法と地震本部の長期評価は同じ2002年に発表された。同じころの科学的知見をもとに、土木学会手法は福島沖では津波地震は起きないと想定し、一方で地震本部は福島沖でも発生しうると考えた。

土木学会手法(2002)が
想定した津波の波源域
両者の想定の違いについて、武藤氏は「地震本部の長期評価に信頼性はない」と断じた。しかし、その根拠は無かった。土木学会がアンケートしたら、地震本部の考え方を支持する専門家の方が多かったこともそれを裏付けていた。

 第29回公判(10月5日)で明らかにされたように、保安院は土木学会手法による津波想定に余裕がないことにも気づいていた。土木学会の想定を1.5倍程度に引き上げ、電源など最低限の設備を守る対策を進める計画もあった。土木学会手法で原発の安全性が保たれているとは、保安院も考えていなかったのだ。
______________

*1  H14年当時の対応 電事連原子力部が保安院に送ったメールの添付文書 原子力規制委員会の開示文書
https://www.dropbox.com/s/im1azl4eouh3e94/H14%E5%B9%B4%E5%BD%93%E6%99%82%E3%81%AE%E5%AF%BE%E5%BF%9C.pdf?dl=0
______________
添田 孝史 (そえだ たかし)
サイエンスライター、元国会事故調協力調査員
著書に 『原発と大津波 警告を葬った人々』、『東電原発裁判―福島原発事故の責任を問う
(ともに岩波新書)

刑事裁判傍聴記:第29回公判 東電の無策を許した保安院
刑事裁判傍聴記:第28回公判 防潮壁で浸水は防げた? 証言変えた今村・東北大教授
刑事裁判傍聴記:第27回公判 事故からの避難が患者の命を奪った
刑事裁判傍聴記:第26回公判 事故がなければ、患者は死なずに済んだ
刑事裁判傍聴記:第25回公判 「福島沖は確率ゼロ」とは言えなかった
刑事裁判傍聴記:第24回公判 津波対策、いったん経営陣も了承。その後一転先延ばし
刑事裁判傍聴記:第23回公判 「福島も止まったら、経営的にどうなのか、って話でね」
刑事裁判傍聴記:第22回公判 土木学会の津波評価部会は「第三者」なのか?
刑事裁判傍聴記:第21回公判 敷地超え津波、確率でも「危険信号」出ていた
刑事裁判傍聴記:第20回公判 防潮堤に数百億の概算、1年4か月で着工の工程表があった
刑事裁判傍聴記:第19回公判 「プロセスは間違っていなかった」?
刑事裁判傍聴記:第18回公判 「津波対策は不可避」の認識で動いていた
刑事裁判傍聴記:第17回公判 間違いの目立った岡本孝司・東大教授の証言
刑事裁判傍聴記:第16回公判 「事故は、やりようによっては防げた」
刑事裁判傍聴記:第15回公判 崩された「くし歯防潮堤」の主張
刑事裁判傍聴記:第14回公判 100%確実でなくとも価値はある
刑事裁判傍聴記:第13回公判 「歴史地震」のチカラ
刑事裁判傍聴記:第12回公判 「よくわからない」と「わからない」の違い
刑事裁判傍聴記:第11回公判 多くの命、救えたはずだった
刑事裁判傍聴記:第10回公判 「長期評価は信頼できない」って本当?
刑事裁判傍聴記:第 9回公判 「切迫感は無かった」の虚しさ
刑事裁判傍聴記:第 8回公判 「2年4か月、何も対策は進まなかった」
刑事裁判傍聴記:第 7回公判 「錦の御旗」土木学会で時間稼ぎ
刑事裁判傍聴記:第 6回公判 2008年8月以降の裏工作
刑事裁判傍聴記:第 5回公判 津波担当のキーパーソン登場
刑事裁判傍聴記:第 4回公判 事故3年後に作られた証拠
刑事裁判傍聴記:第 3回公判 決め手に欠けた弁護側の証拠
刑事裁判傍聴記:第 2回公判

2018年10月12日金曜日

16日公判報告会は会場を変更しました

報告会の会場を一部変更しました。
10月16日は衆議院第一議員会館です !

 

公判・集会予定

*傍聴整理券配布時間は8:20~9:00予定。裁判所HPの傍聴券交付情報でご確認ください。
*法廷は全て東京地裁104号法廷
*公判報告会は、裁判の終了時刻によって開始時間が変わります。報告会のみ参加される方は、12:30以降にお電話でご連絡ください。開始時間の予定をお伝えします。

10月16日(
第30回公判期日
裁判終了後報告会
 時間…未定。裁判終了後に行います
 場所…衆議院第一議員会館 多目的ホール


10月17日(水
第31回公判期日
裁判終了後報告会
 時間…未定。裁判終了後に行います
 場所…参議院議員会館 B104室


10月19日(
第32回公判期日

公判併行院内集会
 時間…11時~16時頃(昼休憩あり) 通行証配布時間…10:30より
 場所…参議院議員会館 講堂
    11時 開会 ミニ上映等
    14時 映画「逃げ遅れる人々」上映
       鈴木匡さん(NPO法人ケアステーションゆうとぴあ(福島県田村市)理事、
       市民による健康を守るネットワーク代表理事)のお話
*併行院内集会の終了後、同じ会場で続けて裁判報告会を開催します。


10月30日(
第33回公判期日

裁判終了後報告会
 時間…未定。裁判終了後に行います
 場所…参議院議員会館 101室


10月31日(水)
第34回公判期日

裁判終了後報告会
 時間…未定。裁判終了後に行います
 場所…場所…参議院議員会館 102室

2018年10月6日土曜日

刑事裁判傍聴記:第29回公判(添田孝史)

東電の無策を許した保安院


保安院が入っていた経産省別館(出典:国土交通省のHP)
   10月3日の第29回公判には、現役の原子力規制庁職員、名倉繁樹氏(*1)が東電側の証人として登場した。事故前は、原子力安全・保安院の原子力発電安全審査課で安全審査官として、福島第一の安全審査を担当していた。

 最初に、東電側弁護士の質問に答える形で、土木学会の津波評価技術(土木学会手法)が優れた手法だ、「三陸沖から房総沖のどこでも津波地震がおきる」と予測した地震本部の長期評価(2002)の成熟度は低かったと、名倉氏は繰り返し述べた。国が訴えられている裁判で国が主張している内容をなぞっているだけで、新味はなかった。

   一方、興味深かったのは、検察側が名倉氏とのやりとりで明らかにした事故前の保安院の動きだ。2004年にインドの原発が津波で被害を受けたことをきっかけに、保安院は津波に危機感を高めていた様子がわかった。名倉氏の上司は、対策をとらせようと電力会社と激しく議論していた。しかし、その危機感は事故前には薄れてしまい、対策はとられないままだった。

国際原子力機関(IAEA)が2005年8月に
インドのマドラス原発で開いた津波ワークショプ。
日本からは、地元インドに次ぐ10人が参加。
これを契機に、国内でも津波対策の検討が本格化した。

名倉氏、事実と異なる証言の「前科」

   最初に言っておくと、私は名倉氏の証言をあまり信用できない。横浜地裁で2017年4月に名倉氏が証言(*2)したとき、事実と異なることを述べていた過去があるからだ。

 横浜地裁で、名倉氏はこんな証言をしていた。

国側代理人「長期評価の見解を前提にした試算を、2002年あるいは2006年、2009年の段階で、保安院自らが算出したりとか、東電に算出するよう求めることはできなかったんですか」
名倉「はい」

 この「はい」は間違っている。2002年に保安院は東電に算出を求めていた。今年1月、千葉地裁で進められている集団訴訟で、東電社員が社内に送った電子メールが証拠として提出され、明らかになった(*3)

 これによると2002年8月に、保安院の審査担当者は、「長期評価にもとづいて福島から茨城沖でも津波地震を計算するべきだ」と東電に要請。社員はこれに「40分間くらい抵抗した」。その後、確率論で対応すると東電は返答し、実質何もしないまま、津波対策を引き延ばした。

 東電で津波想定を担当していた高尾誠氏(第5〜7回証人)は、「津波対応については2002年ごろに国からの検討要請があり、結論を引き延ばしてきた経緯もある」と2008年に他の電力会社に説明していた。その文書も、今年7月に開示されている(*4)

 津波の確率論的ハザード評価についても、刑事裁判の公判で名倉氏は「まだ研究開発段階だった」として、規制には取り込まれていなかったと証言した。しかし、2002年段階で、保安院は、東電が津波地震への対応を確率論で進めることを許していた。確率論を事実上、規制に導入していたのだ。これについても、名倉証言と、保安院の実態は矛盾している。

東電社員が2002年8月5日に、社内に向けて送ったとみられる電子メール。
保安院の川原修司・耐震班長から「福島〜茨城沖も津波地震を計算すべき」と
要請を受けたが、「40分間くらい抵抗した」と書かれている。

「津波に余裕が無い」保安院は危機感を持っていた。

   検察官役の神山啓史弁護士は、以下のような文書を示しながら、事故前の保安院の動きについて名倉氏に質問を重ねた。

  1) 2006年10月6日に、耐震バックチェックについて保安院が全電力会社に一括ヒアリングを開いたときの記録(電事連作成)(*5)
  2) 2007年4月4日、津波バックチェックに関する保安院打ち合わせ議事メモ(電事連作成)。出席者は、保安院・原子力発電安全審査課の小野祐二・審査班長、名倉氏、電事連、東電の安全・設備・土木、3分野それぞれの担当者。
  3) 小野・審査班長が後任者に残した引き継ぎメモ

 1)によると、名倉氏の上司である川原修司・耐震安全審査室長は、各電力会社の担当者に以下のように述べていた。(川原氏は、2002年に東電に津波を計算するよう要請しながら東電の抵抗に負けてしまった、その本人)。

「バックチェックでは結果のみならず、保安院はその対応策についても確認する。自然現象であり、設計想定を超えることもあり得ると考えるべき。津波に余裕が少ないプラントは具体的、物理的対応を取ってほしい。津波について、津波高さと敷地高さが数十cmとあまり変わらないサイトがある。評価上OKであるが、自然現象であり、設計想定を超える津波が来る恐れがある。想定を上回る場合、非常用海水ポンプが機能喪失し、そのまま炉心損傷になるため安全余裕がない。今回は、保安院としての要望であり、この場を借りて、各社にしっかり周知したものとして受け止め、各社上層部に伝えること」

 この時、小野審査班長も、以下のように述べていた。

「自然現象は想定を超えないとは言い難いのは、女川の地震の例(*6)からもわかること。地震の場合は裕度の中で安全であったが、津波はあるレベルを越えると即、冷却に必要なポンプの停止につながり、不確定性に対して裕度がない」
「土木学会の手法を用いた検討結果(溢水勉強会(*7))は、余裕が少ないと見受けられる。自然現象に対する予測においては、不確実性がつきものであり、海水による冷却性能を担保する電動機が水で死んだら終わりである」
「バックチェックの工程が長すぎる。全体として2年、2年半、長くて3年である」(地質調査含む)

名倉氏の上司「津波対策巡り、電力会社と激しく議論」

   名倉氏は、小野氏について「事業者との間で、基準津波に対してどれぐらい余裕があればいいか、激しい議論をしていました。水位に対して何倍とるべきだとか、延々と議論していたと思います。(具体的な対応をしない事業者に)苛立ちがあったと思います」と陳述した。

 2)によると、小野氏はこう述べていた。

「津波バックチェックでは、設計値を超えた場合、どれぐらい超えれば何が起きるか。想定外の水位に対して起きる事象に応じた裕度の確保が必要」
「1mの余裕で十分と言えるのか。土木学会手法を1m以上超える津波が絶対に来ないと言えるのか」

 この会合では、「3月の安全情報検討会でも、対策をとるべきだと厳しい意見が出た」という発言があったことも残されている(*8)

 名倉氏によると、このときも小野氏は「事業者とかなりはげしくやりとりしていた」。

 小野氏は、後任者に残した3)の引き継ぎメモで、

「津波高さ評価に設備の余裕がほとんどないプラント(福島第一、東海第二)なども多く、一定の裕度を確保するように議論してきたが、電力において前向きの対応を得られなかった」
「耐震バックチェックでとりこみ対応することとなった」

などと書き残していた。

 電力会社に対策を迫っていた小野氏の姿勢について神山弁護士に問われ「バックチェックルールとの関係から、基準津波を超えるものに対する確認は難しい」と名倉氏は冷ややかな評価をした。国が訴えられている訴訟との関係からそう答えざるをえなかったのか、それとも上司らの津波に対する危機感が伝わっていなかったのか、どちらかはわからない。

 溢水勉強会の検討をもとに、保安院は土木学会手法の1.5倍程度の津波高さを想定して、必要な対策を2010年度までに実施する予定を2006年ごろにはまとめていた。小野班長の厳しい姿勢の背景にはそれがあったのだろう。ところが津波への対策を単独で進めるはずだったのが、耐震バックチェックと一緒に、それに紛れ込ませて実施されることになった。理由は不明だ。そのため、当初予定していた締切「2010年度」は、達成されなかった。

 「不作為を問われる」とまで考えていた津波対策を、耐震バックチェックに委ね、遅らせてしまったのは、保安院の大きな失策だ。しかし、このテーマはほとんど検証されていない。保安院が2006年ごろ持っていた津波に対する危機感は、なぜかき消されてしまったのか。今回、刑事裁判で示された文書が、検証の足がかりになるだろう。

浜岡原発は、土木学会手法超えた津波を想定。対策を進めた

   2009年8月に名倉氏と東電・酒井俊朗氏、高尾氏、金戸俊道氏らが面談した記録には、浜岡原発の津波対応が記されていた。浜岡原発では、JNES(原子力安全基盤機構)がクロスチェックした結果、中部電力の津波想定結果を大きく上回る結果となり、保安院はそれへの対応を求めていたことがわかった。

 JNESは、南海トラフで起きる津波について、土木学会手法を超える規模を想定していた。「体系的に評価する手法として、土木学会のものしかありませんでした」という名倉氏の証言とは矛盾する。浜岡以外にも、東北電力による貞観地震の想定(2010年)、東海第二が地震本部の長期評価にもとづく波源を想定(2008年)など、土木学会の想定を上回る津波波源を想定することは、事故前にも、あたりまえのように実施されていた。

 さらに、保安院はJNESの計算結果をもとに、津波が防潮堤を超えた場合でも対応できる総合的な対策を指導。中部電力は、敷地に遡上した場合に備え、建屋やダクト等の開口部からの浸水対応を進め、ポンプ水密化、ポンプ回りの防水壁設置などを検討していた。

バックチェックは、なぜ遅れたのか

   東電は、福島第一のバックチェックを当初は2009年6月までに終える予定だった。それが事故当時は、2016年まで先延ばしするつもりだった。

 前述したように、2006年のバックチェック開始当時、保安院は「バックチェックの工程が長すぎる。全体として2年、2年半、長くて3年である」(地質調査含む)と電力会社に伝えていた。ところが2007年7月の新潟県中越沖地震で柏崎刈羽原発が想定外の震度7に襲われたことから、まずは中間報告を2008年3月に提出することになった。

 名倉氏は「中間報告を出すことになり、全体の工程が見えなくなった。中間報告の確認作業で精一杯になった」「中間報告が一時期に集中することになり、下請けのマンパワーにも限りがあるので、最終報告が速やかに提出できなくなった」と説明した。

 名倉氏の説明は、実態を表しているのだろうか。福島第一は、新潟県中越沖地震と同じようなタイプの地震が起きても揺れは比較的小さいため、最終報告への影響が小さいことを2008年9月の段階で東電は確かめていた。「バックチェック工程の遅れを対外的に説明する際、解析のマンパワー不足についても触れるが、それがメインの理由になってはいけない。これまで嘘をついてきたことになってしまう」(小森明生・福島第一所長)という発言が残っている(*9)

 名倉氏自身も、2009年7月14日に、保安院の審議会委員に、こんなメールを送っていた(*10)

 ■■先生
 返信ありがとうございます。
 東京電力が秋以降に提出する本報告に可能な限り知見を反映するよう指導していきます。

 この文面からは、東電の本報告は2009年秋以降のそう遠くない時期に提出することが予定されていたように見える。

 バックチェック最終報告の提出は、どんな意思決定過程で、ずるずると引き延ばされたのか。より詳しい検証が必要だろう。

東電に舐められていた保安院

   被告人の武藤栄氏の指示で、バックチェックを先延ばしするため、東電の高尾氏らは保安院でバックチェックを審議する委員の専門家を個別に訪問して、根回しをした。東電が保安院の審議会委員に接触していたことについて、名倉氏は以下のように証言した。

 「審査する側の専門家に、評価方針そのものについて聞いて回ることは、心中穏やかでなかった部分があった」

 東電の山下和彦・中越沖地震対策センター所長は、検察の調べに以下のように述べていた。

山下 「バックチェックには最新の知見を取り込むことが前提になっているので、後日取り込むときめたところで委員や保安院が納得しない可能性があった。武藤は、その可能性を排除するために、有力な学者に了解をえておくように根回しを指示した。武藤は委員と命令したかは定かではないが、委員以外の先生に根回ししても意味がなく、委員の了解を得ないといけないので、委員を指していた」
検察 「保安院の職員の意見は?」
山下 「保安院は、委員の判断に従ってくれると考えていた」(*11)

 審議会の委員に根回しすれば、保安院自身では文句をつけてこない。そんなふうに、東電は保安院をすっかり舐めていたのである。小野氏が電力会社と激しい議論をしていたころの保安院の迫力は、そこには感じられない。

 東電は、豊富な資金力と人手で、じゅうたん爆撃的に専門家の根回しを進め、津波対策の方針が公開の審議会で検討される前に、自分たちの思い通りに変えてしまっていたのだ。
______________

*1 名倉氏は、工学部建築学科卒業後、ゼネコンに入社。原発の構造や設計手法の研究開発などをしていた。2002年4月から2006年3月まで原子力安全委員会事務局の技術参与として耐震設計審査指針の改訂作業に携わっていた。2006年4月に保安院の安全審査官になり、福島第一原発の耐震バックチェックを担当。原子力規制庁発足後は、安全規制管理官として安全審査を担当している。(国が訴えられている裁判に名倉氏が提出した陳述書から)

*2 福島原発かながわ訴訟 神奈川県への避難者とその家族61世帯174人が、国と東電に慰謝料を求めて2013年9月に集団訴訟を起こした裁判で、名倉氏が証言した。

*3 東電の津波対策拒否に新証拠 原発事故の9年前「40分くらい抵抗」 2018年1月30日 AERA

*4 「津波対応、引き延ばした」東電、事故3年前に他電力に説明 2018年8月1日 Level7

*5 文書の一部は国会事故調報告書p.86で引用されていた。原典が明らかになったのは初めて。私も初めて見た。

*6 2005年8月に発生した宮城県沖地震の揺れは、一部の周期で女川原発の基準地震動を超えた。

*7 2004年にインド・マドラス原発が津波で緊急停止したトラブルをきっかけに、保安院とJNESが2006年1月に溢水勉強会を設けた。
http://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3532877/www.nisa.meti.go.jp/oshirase/2012/06/240604-1.html
http://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3532877/www.nisa.meti.go.jp/oshirase/2012/05/240517-4.html

ここでまとめられた「内部溢水及び外部溢水の今後の検討方針(案)」(2006年6月29日)には以下のように記されていた。

◯土木学会手法による津波高さ評価がどの程度の保守性を有しているか確認する。
◯土木学会手法による津波高さの1.5倍程度(例えば、一律の設定ではなく、電力会社が地域特性を考慮して独自に設定する。)を想定し、必要な対策を検討し、順次措置を講じていくこととする(AM対策=アクシデント・マネージメント対策=との位置づけ)
◯対策は、地域特性を踏まえ、ハード、ソフトのいずれも可
◯最低限、どの設備を死守するのか。
◯対策を講じる場合、耐震指針改訂に伴う地盤調査を各社が開始し始めているが、その対応事項の中に潜りこませれば、本件単独の対外的な説明が不要となるのではないか。そうであれば、2年以内の対応となるのではないか。

*8 安全情報検討会とは、国内外の原発トラブル情報などをもとに、原発のリスクについて議論する場。2006年9月13日の第54回安全情報検討会には、保安院の審議官らが出席。津波問題の緊急度及び重要度について「我が国の全プラントで対策状況を確認する。必要ならば対策を立てるように指示する。そうでないと「不作為」を問われる可能性がある」と報告されている。

*9 耐震バックチェック説明会(福島第一)議事メモ 2008年9月10日

*10 原子力規制委員会の開示文書 原規規発第18042710号(2018年4月27日)

*11 山下和彦氏の検察官面前調書の要旨 甲B58(平成25年1月28日付検面調書)
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添田 孝史 (そえだ たかし)
サイエンスライター、元国会事故調協力調査員
著書に 『原発と大津波 警告を葬った人々』、『東電原発裁判―福島原発事故の責任を問う
(ともに岩波新書)
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