2018年7月29日日曜日

刑事裁判傍聴記:第23回公判(添田孝史)

「福島も止まったら、経営的にどうなのか、って話でね」


絵:吉田千亜さん
   7月27日の第23回公判では、関係者の発言、別の原発が密かに実施していた津波対策など、「あっ」と驚くような事実が数多く開示された。事故に関して、まだ多くの情報が公開されていないことを実感させられた公判だった。

 「柏崎刈羽も止まっているのに、これに福島も止まったら、経営的にどうなのか、って話でね」
 
 東京電力が津波対策の先送りを決めた2008年7月31日のすぐ後に、東電・酒井俊朗氏(第8・9回証人)は、このように発言したらしい。

 「こんな先延ばしでいいのか」「なんでこんな判断するんだ」
 
 2008年8月6日、日本原子力発電(原電)の取締役開発計画室長は、東電の津波対策先送りを聞き、こう発言していた。東電の決定は、原電役員が唖然とするようなものだったのだ。

 東電が先送りした津波地震対策を、原電は先送りせず、少しずつ進めていたこともわかった。敷地に遡上することを全面阻止する(ドライサイト)のやり方ではなく、建屋の水密化なども実行していた。「他の電力会社も、地震本部の津波地震に備えた対策はしていなかった」ことを東京地検は、東電元幹部の不起訴理由に挙げていたが、それは間違いだと明確になった。

 この日の証人は、日本原電で津波想定や対策を担当していた安保秀範(あぼ・ひでのり)氏。大学院では応用力学の研究室に所属。1985年に東電に入社し、2016年からは東電設計に移っている。2007年10月から2009年3月まで原電の開発計画室土木計画グループのグループマネージャーとして出向し、東海第二原発の耐震バックチェックに関する業務を担当していた。

 検察官役の久保内浩嗣弁護士の質問に安保氏が答える形で、事故前の議事録、メールなどをもとに、関係者の発言や考え方を追っていった。

「今回BCに入れないと後で不作為であったと批判される」

   地震本部が予測した津波地震について、「今回のバックチェック(BC)にいれないと後で不作為であったと批判される」と、2007年12月10日、東電の高尾誠氏(第5〜7回公判証人)は語っていたようだ。公判で示されたメモ(*1)で明らかになった。

 2008年2月、高尾氏が今村文彦・東北大教授に面談し、その際に今村教授は「福島県沖海溝沿いで大地震が発生することは否定できないので、波源として考慮すべきである」と指摘した(*2)
 その内容について報告を受けた安保氏は、東電の金戸俊道氏(第18・19回証人)に、「こうすべきだとダメ押しされたという内容ですね」とメール(*3)を送っていた。

  これらのデータをもとに、日本原電の2008年3月10日の常務会では、地震本部による津波地震の予測について「バックチェックにおいて上記知見に対する評価結果を求められる可能性が高い」と報告されていた(*4)

「こんな先延ばしでいいのか」「なんでこんな判断するんだ」

   東電の「津波地震を考慮する」という判断に引っ張られて、日本原電も防潮壁の設置した場合の敷地浸水をシミュレーションするなど、対策に動き始めていた。ところが2008年7月31日、東電は方針変換して津波対策の先送りを決める(いわゆるちゃぶ台返しの日)。
 東電の先送り決定直後に、安保氏は、「なぜ方針が変わったのか」と東電・酒井氏に尋ねた。

 「「柏崎刈羽も止まっているのに、これに福島も止まったら、経営的にどうなのか、って話でね」と酒井氏は答えた」。安保氏は検察の聴取に、そのように述べていたことが、公判で明らかにされた。当時、2007年7月の地震により柏崎刈羽原発の7基が全て止まったままで、東電は2007年度、2008年度連続の赤字がほぼ決まっていた。

 酒井氏の発言について、この日の公判では、安保氏は「今の記憶ではありません」「そういうふうに思ったということだと思います」などと述べ、内容を明確には認めなかった。

 東電の先送りを受け、2008年8月6日に原電で社内ミーティングが開かれた。ここでの状況について、安保氏は以下のように検察の聴取に答えていたことが公判で明らかにされた。

 当時取締役・開発計画室長だった市村泰規氏(現・同社副社長)は「こんな先延ばしでいいのか」「なんでこんな判断するんだ」と延べ、その場が気まずい雰囲気になった。
 安保氏は、東京電力の方針を受け入れる代わりに、長期評価をバックチェックに取り入れない積極的な理由は東京電力に考えてもらいたかったと考えた。

 このような8月6日の様子について、安保氏は公判で自ら説明することは無かったが、検察の聴取結果を指定弁護士に読み上げられると「言われてみればそういうふうに言ったと感じます」と述べた。

 また、原電としては、東電の方針について「リーディングカンパニーである東電に従わないということは考えにくい」と検察に答えていたことも明らかになった。

津波地震への対策、多重的に進めていた

   公判で示された資料によると、東電の先送り後、原電は2008年8月段階で、津波対策の方針を以下のように決めた。

  • 地震本部の津波地震による津波については引き続き検討を続ける。
  • バックチェクについては茨城県津波でやる。
  • 津波対策については、耐力に余裕があるとは言えない。バックチェックの提出時点で対策工が完了していることが望ましい。茨城県の波源についての対策は先行して実施する

茨城県の津波想定(2007)で、東海第二は浸水が予測されていた
   「茨城県の波源」とは、茨城県が2007年に延宝房総沖地震(1677年)と同じ規模の地震を想定し、浸水予測を発表したものだ。原電は東海第二原発の津波を最大4.86mと予測していた(2002年)が、茨城県の予測は5.72mでそれを上回り、原子炉の冷却に必要な非常用海水ポンプが水没してしまうことがわかった。そこで、ポンプ室の側壁を1.2mかさ上げする工事をした(*5)

 ただし、茨城県の津波予測は、敷地(約8m)を超えない。しかし、地震本部の津波地震でシミュレーションすると敷地に遡上し、原子炉建屋の周辺部が85センチ浸水することがわかった。

 そこで、原電は「津波影響のある全ての管理区域の建屋の外壁にて止水する」という方針を決める。
 工事で不要になった泥を使って海沿いの土地を盛土し、防潮堤の代わりにして津波の遡上を低減。それでも浸水は完全には防げないため、建屋の入り口を防水扉や防水シャッタ−に取り替えたり、防潮堰を設けたりする対策を施した。

 東日本大震災の時、東海第二を襲った津波は、対策工事前のポンプ室側壁を40センチ上回っていた。外部電源は2系統とも止まったので、もし、津波対策をしていなければ、非常用ディーゼル発電機も止まり、電源喪失につながる事態もありえたのだ。
 安保氏も「側壁のかさ上げが効いていたと認識しています」と証言した。

 原電の津波対策には、注目すべきポイントが二つある。

 一つは、地震本部が予測した津波地震対策も進めていたことだ。東京地検は2013年9月に東電元幹部らの不起訴処分を決めた時、理由の一つに「他の電力事業者においても、推本の長期評価の公表を踏まえた津波対策を講じたことはなかった」を挙げていた。原電は、実際に長期評価の津波地震に備えて建屋の水密化などを進めていたので、地検の不起訴理由で、この部分は間違っていたことがわかる。

 もう一つは、敷地に津波が遡上してくることを前提にした対策を進めていたことだ。東電元幹部らの弁護側証人として出廷した岡本孝司・東大教授(第17回公判)は、防潮堤を超えた津波に対応する扉の水密化などの多重的な津波対策をとっている原発は「残念ながらありませんでした」と証言していた。これは間違っていたことがわかる。

 また、東京地検も、2回目の不起訴の時(2015年1月)に「本件のような過酷事故を経験する前には、浸水自体が避けるべき非常事態であることから、事故前の当時において、浸水を前提とした対策を取ることが、津波への確実かつ有効な対策として認識・実行され得たとは認めがたい」としていた。原電が実施していた対策を見れば、これも間違いだったことがわかった。

 この公判では、福島原発事故を検証する上で、同じ日本海溝沿いにある原電の津波対策を見ていくことがとても役立つことが明らかになった。しかし、原電は、盛り土や建屋の水密化などの対策を実施していたことを、これまで公表していなかった。東電は、原電の28%の株を持つ筆頭株主である。その関係が、影響したのだろうか。
東海第二原発の津波対策(同社のホームページから)。
建屋扉の水密化や、盛土など地震本部津波への対策は、掲載されていなかった。
______________ 

*1  2007年12月10日 推本に対する東電のスタンスについて(メモ)高尾氏からのヒヤ

*2  2008年2月26日 今村教授ご相談議事録

*3  2008年3月3日 安保氏から金戸氏へのメール

*4  2008年3月10日 日本原電 常務会報告 既設3プラントの耐震裕度向上工事の検討実施状況について

*5 このかさ上げ高さでは、津波地震の津波には不足している。安保氏は「波力の問題があるので、かさ上げが難しいので別の方法を検討しなければならなかった」と述べている。このため東日本大震災前に、ポンプ室については津波地震に対応できていなかった。推測だが、原電が高さ22m(緊急時対策室建屋の屋上)に空冷の緊急用自家発電機を設置し、原子炉建屋にも接続する工事を2011年2月に終えていたのは、この代替案の一つだったと考えられる。
______________
添田 孝史 (そえだ たかし)
サイエンスライター、元国会事故調協力調査員
著書に 『原発と大津波 警告を葬った人々』、『東電原発裁判―福島原発事故の責任を問う
(ともに岩波新書)

刑事裁判傍聴記:第22回公判 土木学会の津波評価部会は「第三者」なのか?
刑事裁判傍聴記:第21回公判 敷地超え津波、確率でも「危険信号」出ていた
刑事裁判傍聴記:第20回公判 防潮堤に数百億の概算、1年4か月で着工の工程表があった
刑事裁判傍聴記:第19回公判 「プロセスは間違っていなかった」?
刑事裁判傍聴記:第18回公判 「津波対策は不可避」の認識で動いていた
刑事裁判傍聴記:第17回公判 間違いの目立った岡本孝司・東大教授の証言
刑事裁判傍聴記:第16回公判 「事故は、やりようによっては防げた」
刑事裁判傍聴記:第15回公判 崩された「くし歯防潮堤」の主張
刑事裁判傍聴記:第14回公判 100%確実でなくとも価値はある
刑事裁判傍聴記:第13回公判 「歴史地震」のチカラ
刑事裁判傍聴記:第12回公判 「よくわからない」と「わからない」の違い
刑事裁判傍聴記:第11回公判 多くの命、救えたはずだった
刑事裁判傍聴記:第10回公判 「長期評価は信頼できない」って本当?
刑事裁判傍聴記:第 9回公判 「切迫感は無かった」の虚しさ
刑事裁判傍聴記:第 8回公判 「2年4か月、何も対策は進まなかった」
刑事裁判傍聴記:第 7回公判 「錦の御旗」土木学会で時間稼ぎ
刑事裁判傍聴記:第 6回公判 2008年8月以降の裏工作
刑事裁判傍聴記:第 5回公判 津波担当のキーパーソン登場
刑事裁判傍聴記:第 4回公判 事故3年後に作られた証拠
刑事裁判傍聴記:第 3回公判 決め手に欠けた弁護側の証拠
刑事裁判傍聴記:第 2回公判

2018年7月27日金曜日

刑事裁判傍聴記:第22回公判(添田孝史)

土木学会の津波評価部会は「第三者」なのか?


松山昌史氏(左)と、反対尋問をする宮村啓太弁護士
絵:吉田千亜さん
   7月25日の第22回公判の証人は、電力中央研究所の松山昌史(まつやま・まさふみ)氏だった。
 松山氏は京都大学大学院工学研究科土木工学(修士)を修了し、1990年に電力中央研究所(電中研)に入所。現在は電中研原子力リスク研究センターに所属している。電中研は約700人の研究員をかかえ、収益の85%は電力会社からの給付金だ。

 松山氏は、2009年に東北大学から工学(博士)の学位を取得している。学位論文のタイトルは「沿岸の発電所における津波ハザードとリスク評価手法」。指導教員は今村文彦・東北大教授(第15回公判の証人)である。

 松山氏は、土木学会津波評価部会に1999年の立ち上げ時から幹事として参画。2009年からは幹事長として部会の運営を取り仕切った。

 公判では、検察官役の神山啓史弁護士の質問に松山氏が答える形で、土木学会津波評価部会の動きを中心に検証していった。津波評価部会が、原発の津波想定方法を、どんな過程でまとめていくかを追う中で、様々な段階で電力会社が関与している様子が浮かび上がった。

 また最後に、検察官側から現場検証を求める意見陳述があった。

電力会社が主役 土木学会の報告書作成過程

   2008年7月31日に、東電の土木調査グループの酒井俊朗グループマネージャーや部下の高尾誠氏は、原子力・立地本部副本部長だった武藤栄氏に、津波対策を進めるよう説明をしていた。これに対し、武藤氏は「波源の信頼性が気になる。第三者、外部有識者にレビューしてもらう」と対策先送りを決める(いわゆる「ちゃぶ台返し」)。そこで、酒井氏が「第三者」として提案したのが土木学会だった。

 では、土木学会の津波評価部会は「第三者」なのだろうか。土木学会津波評価技術をまとめた当時のメンバー構成を見ると、委員・幹事30人のうち13人が電力会社社員、3人が電力中央研究所員、1人が東電設計(東電子会社)だ(*1)(グラフ参照)。メンバーに電力会社の関係者が入っていることについて、松山氏は「原発を良くご存知の現場の方に入ってもらっている」と証言したが、電力関係者が過半数を超えている状況では、第三者組織には見えない。


 ① 電力会社が全額負担する電力共通研究の仕組みを使って、津波評価部会の議論のもとになるデータを東電子会社の東電設計が中心になって作成
 ② それを電中研や東電が中心になった幹事団が専門家と調整しながら議論する。

 この進め方で、電力会社に都合の悪い結論は出せるのだろうか。

 松山氏は、政府事故調の聴取には、津波想定方法について「事業者(電力会社)に受け入れられるものにしなくてはならなかった」と述べていた(*2)

 松山氏は、2010年から2011年にかけて、波源モデルの改訂案を幹事団が提案した時の専門家委員の反応について「賛成も反対も、意見が出されなかった」と証言した。幹事らがまとめた案が、粛々と了承されていただけの審議が多かったのではないかと思われる。

「新しい知見、チェックしていくことが必要」

   土木学会津波評価部会は、2002年に津波想定の方法をまとめた「原子力発電所の津波評価技術」を策定したが、松山氏は「コストも人手もかかるので、改訂は10年に一度ぐらいにしようという同意があった」と述べた。
 神山弁護士の「その間に新しい知見が出たら、電力会社はどうすべきだったのか」という質問に対し、松山氏は「新しい知見は毎年出てくる。いろんな評価を検討材料にあげてチェックしていくことは必要だ」と証言した。これは、東電元幹部が主張する「土木学会任せ」「改訂待ち」の姿勢とは異なっていた。

裁判官の現場検証を請求

   公判の最後に、検察官役の久保内浩嗣弁護士が、福島第一原発や周辺を「裁判官の五官によって検証する必要があります」と意見を述べた。久保内弁護士は、必要性の根拠に挙げたのが、今村文彦・東北大教授が「1号機から6号機の前面に防潮壁が必要」と証言したこと(第15回公判)や、東電で事故調査報告書のとりまとめを担当した上津原勉氏による「10m盤には配管などが埋まっており、対策は大がかりな工事になって難しいが、可能ではある」という証言(第2回公判)だった。「証言の合理性、信用性を評価するには、現場検証で現地の状況を立体的、全体的に把握することが必要です」と述べた。
______________

*1 委員、幹事の2001年3月当時の名簿
http://committees.jsce.or.jp/ceofnp/system/files/TA-MENU-J-00.pdf
のp.7

*2 政府事故調 聴取結果書 2011年7月29日
http://www8.cao.go.jp/genshiryoku_bousai/fu_koukai/pdf_2/054.pdf
これのp.10
______________
添田 孝史 (そえだ たかし)
サイエンスライター、元国会事故調協力調査員
著書に 『原発と大津波 警告を葬った人々』、『東電原発裁判―福島原発事故の責任を問う
(ともに岩波新書)

刑事裁判傍聴記:第21回公判 敷地超え津波、確率でも「危険信号」出ていた
刑事裁判傍聴記:第20回公判 防潮堤に数百億の概算、1年4か月で着工の工程表があった
刑事裁判傍聴記:第19回公判 「プロセスは間違っていなかった」?
刑事裁判傍聴記:第18回公判 「津波対策は不可避」の認識で動いていた
刑事裁判傍聴記:第17回公判 間違いの目立った岡本孝司・東大教授の証言
刑事裁判傍聴記:第16回公判 「事故は、やりようによっては防げた」
刑事裁判傍聴記:第15回公判 崩された「くし歯防潮堤」の主張
刑事裁判傍聴記:第14回公判 100%確実でなくとも価値はある
刑事裁判傍聴記:第13回公判 「歴史地震」のチカラ
刑事裁判傍聴記:第12回公判 「よくわからない」と「わからない」の違い
刑事裁判傍聴記:第11回公判 多くの命、救えたはずだった
刑事裁判傍聴記:第10回公判 「長期評価は信頼できない」って本当?
刑事裁判傍聴記:第 9回公判 「切迫感は無かった」の虚しさ
刑事裁判傍聴記:第 8回公判 「2年4か月、何も対策は進まなかった」
刑事裁判傍聴記:第 7回公判 「錦の御旗」土木学会で時間稼ぎ
刑事裁判傍聴記:第 6回公判 2008年8月以降の裏工作
刑事裁判傍聴記:第 5回公判 津波担当のキーパーソン登場
刑事裁判傍聴記:第 4回公判 事故3年後に作られた証拠
刑事裁判傍聴記:第 3回公判 決め手に欠けた弁護側の証拠
刑事裁判傍聴記:第 2回公判

2018年7月26日木曜日

指定弁護士が現場検証を求める意見陳述をしました

7月25日に開かれた第22回公判期日では、検察官役の指定弁護士が裁判官に対し、事故現地の現場検証を行うよう求める意見陳述がされました。


検証請求に関する意見陳述


   指定弁護士は,平成29年3月10日付け検証請求書で,福島第一原子カ発電所,双葉病院,ドーヴィル双葉,救助避難経路において検証するよう求め,また,同年9月19日に補充意見書,平成30年7月20日に補充意見書(2)を提出しました。本日は,福島第一原子カ発電所及びその周辺の検証の必要性について意見を述べます。

1 はじめに
 本件の争点の一つは,被告人らに本件事故を予見することができたかどうか,予見できたとして結果を回避できたかどうかです。

(1)この争点を判断するには,
①同発電所の10メートル盤を超える津波が襲来する
②10メートル盤上に設置されている建屋内部に浸水する
③建屋内にある非常用発電機や電源盤が被水して交流電源を失う
④交流電源が失われたことにより,非常用電源設備や冷却設備等が機能を喪失する
⑤その結果,原子炉の炉心に損傷を与え,水素爆発を発生させる
という事故発生の経過を,具体的,現実的に理解することが不可欠です。

(2)そのためには,同発電所を直接に見分し,
①同発電所は,どのような地盤に設置されているのか
②その地盤上には,どのような設備があるのか
③津波は,どこまで襲来し,どのような痕跡を残しているのか
などを,裁判官の五官によって検証する必要があります。

2 本件原子力発電所について
 本件原子力発電所は,約350万平方mという広大な敷地に設置されており,敷地内には原子炉建屋,タービン建屋がそれぞれ6機設置され,また,大規模な防波堤も設置されている巨大な構造物です。
 このような同発電所の規模(甲A8,9,33,150~153,180等)や,同発電所における本件津波の痕跡等(甲A30~41等)は,取調べ済の各証拠で証明されてはいます。しかしながら,これらの証拠はいずれも図面,写真,報告書であり,そこに記載された内容から判断するだけでは,同発電所の規模や本件津波襲来の痕跡等を平面的,限定的に把握することはできても,立体的,全体的に把握することはできません。
 同発電所のような巨大な施設や本件津波襲来の痕跡等の全体像を把握するためには,各証拠の検討に加えて,裁判官が現場に臨んで対象を眼で確認し,この状況を実体験することが必要不可欠です。

3 10m盤上に防潮壁を設置すべき揚所について
 今村証人は,明治三陸沖地震の波源モデルを用いた場合の本件原子力発電所における津波水位の最大値が敷地南部でO.P.+15.707mを示す最大津波高さ分布図に基づいて,設置すべき防潮壁の場所は,1号機から4号機の建屋の前面に設置することが必要であると証言した上で,防潮壁を設置すべき場所として,本件原子力発電所の見取図の1号機から6号機の前面に線を引いて図示しました(第15回公判調書38頁)。また,1号機から6号機の前面に設置すべき埋由として,同証人は,防波堤内において津波の共振現象が起きて津波が増幅する可能性があるためと証言しました(同41頁)。
 さらに,O.P.+15.707mという計算結果に対して,10m盤に浸水する高さの津波が発生する場所,たとえば本件原子力発電所敷地南側などに限定して防潮壁を設置する考え方について,久保賀也証人は,工学的にはあまり考えられないと証言しました(第4回公判調書108頁)。
 したがって,10m盤の状況,本件原子力発電所敷地南部の状況,防波堤の状況,O.P.+15.707mの高さを10m盤上の構造物と比較するなどを検証し,立体的,全体的に把握することで,上記今村証言の合理性をより適切に判断することができます。

4 10m盤上における防潮壁の成立性について
 上津原証人は,10m盤に防潮壁を建てた場合,タービン建屋前の道路は人の移動や機材の運搬の場所であり,その後の運転や点検の障害になると証言しました(第2回公判調書75頁)。また,同証人は,10m盤には循環水配管等の配管が埋まっており,10m盤に防潮壁を設置する場合に配管をどのように扱うのか考える必要があると証言しました(同74~80頁)。同証人は,こうした問題があるため,防潮壁の設置などの対策の実施について,対策には時間がかかり,大がかりな工事になって難しいものの,可能ではあると証言しました(同96頁)。
 上津原証人の証言の信用性を評価するためには,10m盤上の状況,タービン建屋前の道路の状況,10m盤に埋められている配管場所などを検証によって,立体的,全体的に把握することが必要です。

5 本件津波の浸水経路及び浸水対策について
 上津原証人は,1号機タービン建屋の大物搬入口,1号機タービン建屋ハッチ開口部,1号機及び2号機間のサービス建屋入口,2号機タービン建屋ルーバ,2号機タービン建屋ハッチ開口部,3号機タービン建屋ルーバ等から本件津波が浸水したと証言しました(第2回公判調書27~30頁)。
 また,同証人は,前記各浸入に対する措置として,大物搬入口については水密扉の建設,ハッチ開口部については防潮壁の設置等が考えられると証言しました(同33~41頁)。
 同証人の前記証言の信用性を評価するためには,各号機の大物搬入口,サービス建屋入口,ハッチ開口部,ルーバの設置場所や高さなどを検証によって,立体的,全体的に把握することが必要です。

6 現時点で検証する必要性
 本件原子力発電所では廃炉作業が行われていますが,本件事故から7年以上が経過したとはいえ,4m盤,10m盤,高台,既設防波堤の状況,建屋等の設置状況は本件事故当時とほとんど変わりはなく,また,本件津波や水素ガス爆発の痕跡もいまだ確認できる状況にあり,前記事項を明確に把握することができますので,現時点で検証をする意義は十分にあります。
 もっとも,時間の経過とともに現場の状況が刻々と変化していることも確かであり,将来的に前記各事項について検証することが不可能となるおそれがあり,そのような事態を回避するためにも,現時点で検証を行うことは,本件の間題を適正に判断するために,極めて重要なことであることは明白です。

7 結論
 本件は,津波を要因とする原子カ発電所の爆発事故によって,多くの人々が死傷したという極めて特異な案件です。本件原子力発電所は巨大な施設であり,また,本件津波や本件事故の規模も巨大です。このような事故が発生した現場を見分せず,本件原子力発電所の各施設と海岸からの距離感,各地盤の海面からの高さなどを体感しないまま,書証と証言だけで本件原子カ発電所,本件津波,本件事故の規模を適切に評価することは到底できません。
 さらに,証人の多くは,本体事故前後に本件原子カ発電所に実際に行った経験があり,本件原子力発電所及び本体津波や本件事故の規模を現地の状況や痕跡等で把握した上で,証言しています。証人と同様,本件原子力発電所に実際に行き,同発電所の規模及び本件津波や本件事故の痕跡等を見分しなければ,証人の証言内容を具体的に理解し,適切に評価することはできません。
 現場に臨めば本件原子力発電所が,いかに海面に接した場所に設置されているか,津波の襲来に対する十分な対策が必要であったか,が一見してわかります。
 本件について正しい判決をするためには,本件原子力発電所の検証が必要不可欠です。

以上


2018年7月25日水曜日

刑事裁判傍聴記:第21回公判(添田孝史)

敷地超え津波、確率でも「危険信号」出ていた

絵:吉田千亜さん

   7月24日の第21回公判の証人は、東電設計の安中正(あんなか・ただし)氏だった。安中氏は、京都大学大学院で地球物理を専攻した地震の専門家だ。土木学会の津波評価部会では、1999年から幹事を務めていた。土木学会で学者が審議するための資料づくりは、東電設計など3社が取りまとめていたが、その責任者でもあった。電力業界の津波想定に関して、長年、土木学会の裏側で実務を取り仕切ってきた人物である。

 敷地高を超える津波が、どのくらいの確率で襲来するか計算する「確率論的津波ハザード解析」(PTHA)で、福島第一原発の危険性はどのように評価されていたかを中心に、検察官役の石田省三郎弁護士が、安中氏に質問していった。PTHAの手法でも、敷地高さを超える津波を想定しておくべきだという結果が出ていたことが明らかにされた。


確率評価、1.5倍に上昇

安中氏らが国際学会で2006年に発表した
福島第一の確率論的津波ハザード曲線
   土木学会は2003年からPTHAの研究を本格的に始めている。この成果を使って、東電設計は福島第一のPTHAを計算し、2004年12月に報告書をまとめた。その結果、1万年に1回ぐらいの確率で起きる津波高さが7mから8mとわかった。

 耐震設計では、「1万年に1回」程度の発生が予想される強い揺れを、基準地震動(Ss)として定め、それに備える。それと同じ考え方で、津波でも「1万年に1回」を安全確保の目安と考えれば、7mから8mの津波が来ても事故を起こさないように対策をしなければならないことになる(*1)。これは当時の津波想定5.7mを超えており、非常用ポンプが水没して炉心損傷を引き起こす津波高さだった。

 土木学会は、その後もPTHAの研究を続け、2009年3月に報告書(*2)をまとめた。この成果をもとに、東電設計は福島第一のPTHAを再び実施した。新たに貞観地震も考慮したところ、貞観地震の発生確率が高いことが影響し、1万年に1回レベルの津波高さは11.5mになることがわかり、2010年5月には東電に報告された。前回2004年の値の約1.5倍になり、敷地高さを超え、全電源喪失を引き起こすレベルだった。

貞観地震「1オーダー低くならないか」

   興味深いのは、このPTHAの結果を聞いた東電・高尾誠氏の反応だ。安中氏と東電の高尾氏らの面談記録(2010年5月12日)が公判で明らかにされてわかった。これによると、PTHAの数値を押し上げた要因である貞観地震の危険度を「1オーダー(1けた)程度低くならないか」と高尾氏は述べていた。

 安中氏は、高尾氏の発言について「非常に高くなるので、それでは今の想定津波が妥当と言えなくなる。東電が当時進めていた津波堆積物調査の結果を用いて貞観地震の波源モデルを変更し、PTHAの計算値を小さくすることを期待していたようだ」と述べた。

 津波堆積物調査は、本来は津波の実態を科学的に把握するための調査だ。しかし、東電は想定切り下げに利用する意図が最初からあったことがわかる。それは客観的な科学的調査とは呼ばない。

津波地震、安中氏も高めに見直し

   地震本部の長期評価(2002)について、土木学会はPTHAの基礎資料として、2004年度と2008年度に専門家にアンケートを取っていた。
 2004年度のアンケートでは、日本海溝沿いの津波地震について

①「過去に発生例がある三陸沖と房総沖で津波地震が活動的で、他の領域は活動的でない」
②「三陸沖から房総沖までのどこでも津波地震が発生するという地震本部と同様の見解」

   二つの選択肢で聞いた。地震学者ら専門家の回答は、①に多くの重みを付けた学者が3人、②に多くの重みをつけた学者が4人、両者に全く同じ重みをつけた学者が2人で、その重みの平均値は、①が0.46、②が0.54と、地震本部の見解を支持する方が上回っていた。

 2008年度のアンケートでは、日本海溝沿いの津波地震について

①三陸沖と房総沖のみで発生するという見解
②津波地震がどこでも発生するが、北部に比べ南部ではすべり量が小さい(津波が小さい)とする見解
③津波地震がどこでも発生し、北部と南部では同程度のすべり量の津波地震が発生する

という三つの選択肢で、専門家の回答は①に最も重みをつけた学者が5人、②に最も重みをつけた学者が4人、③に最も重みをつけた学者が2人で、その平均値は①が0.35、②が0.32、③が0.33で、②③を合計すると0.65となり、この時も、地震本部の「津波地震がどこでも発生する」という考え方が、三陸沖と房総沖のみで発生するという見解を大きく上回っていた。

 公判では、安中氏自身が、これらのアンケートにどう回答したかも示された。2004年アンケートは、①0.7、②0.3で、過去に起きたことがある場所だけで津波地震が起きるという考え方に重きをおいていた。
 一方、2008年になると①0.4、②0.4、③0.3とし、「どこでも津波地震が起きる」の方を重視した。この理由について「スマトラ島沖津波(2004年)の発生や、貞観地震の調査などで、従来考えられていなかった津波が報告されてきた。(土木学会手法がベースとしている過去)400年では足りないのではないかという気持ちが出てきていた」と証言した。

 地震についての調査研究が進むにつれ、土木学会津波評価部会の仕切り役だった安中氏でさえ、地震本部の長期評価を否定しづらくなってきていたのだ。
______________

*1   SsとPTHAの値を比べてハザードの相場観をつかむやり方は、東電自身が2008年に示していた。2008年7月23日に、東電、東北電力、原電、東電設計、JAEAが津波対応について打合せた会合で、東電は以下のように述べている。
「推本モデルの結果(推本の位置に三陸沖モデルをおいてパラスタした最大値)は、福島第一地点で、津波高さ約10mであり、H17電共研成果の津波ハザードの10⁻⁴のオーダーであり、Ssのオーダーと調和的であった。」(JAEAが開示した議事メモより)

*2   「「確率論的津波ハザード解析の方法」を公開しました」土木学会のお知らせ2011年9月19日
http://committees.jsce.or.jp/ceofnp/node/39
______________
添田 孝史 (そえだ たかし)
サイエンスライター、元国会事故調協力調査員
著書に 『原発と大津波 警告を葬った人々』、『東電原発裁判―福島原発事故の責任を問う
(ともに岩波新書)

刑事裁判傍聴記:第20回公判 防潮堤に数百億の概算、1年4か月で着工の工程表があった
刑事裁判傍聴記:第19回公判 「プロセスは間違っていなかった」?
刑事裁判傍聴記:第18回公判 「津波対策は不可避」の認識で動いていた
刑事裁判傍聴記:第17回公判 間違いの目立った岡本孝司・東大教授の証言
刑事裁判傍聴記:第16回公判 「事故は、やりようによっては防げた」
刑事裁判傍聴記:第15回公判 崩された「くし歯防潮堤」の主張
刑事裁判傍聴記:第14回公判 100%確実でなくとも価値はある
刑事裁判傍聴記:第13回公判 「歴史地震」のチカラ
刑事裁判傍聴記:第12回公判 「よくわからない」と「わからない」の違い
刑事裁判傍聴記:第11回公判 多くの命、救えたはずだった
刑事裁判傍聴記:第10回公判 「長期評価は信頼できない」って本当?
刑事裁判傍聴記:第 9回公判 「切迫感は無かった」の虚しさ
刑事裁判傍聴記:第 8回公判 「2年4か月、何も対策は進まなかった」
刑事裁判傍聴記:第 7回公判 「錦の御旗」土木学会で時間稼ぎ
刑事裁判傍聴記:第 6回公判 2008年8月以降の裏工作
刑事裁判傍聴記:第 5回公判 津波担当のキーパーソン登場
刑事裁判傍聴記:第 4回公判 事故3年後に作られた証拠
刑事裁判傍聴記:第 3回公判 決め手に欠けた弁護側の証拠
刑事裁判傍聴記:第 2回公判

裁判所に事故現場検証を求める要請書を提出しました(7月11日)

ご報告が遅れましたが、第20回公判期日があった7月11日に、裁判長に対し、福島県の事故現場に赴き、現場検証を行っていただくよう、以下の内容で要請をしました。


事件番号 平成28年刑(わ)374号
平成30年(2018年)7月11日

東京地方裁判所 刑事第4部 御中
裁判長 永渕健一 殿

福島原発刑事訴訟支援団
福島原発告訴団
福島原発告訴団弁護団

東京電力福島原発事故刑事訴訟の現場検証等に関する要請書

 日頃の活動に敬意を表します。
私たちは、東京電力福島第一原発事故により強制起訴された、勝俣元会長ら東京電力旧経営陣3被告人の業務上過失致死傷事件で、被告人らを告訴・告発した福島県民などからなる団体です。
 事故から7年4ヶ月、事故発生後政府が発出した原子力緊急事態宣言が解除されていない中、刑事裁判を通じて、東京電力福島第一原発事故の真相と刑事責任の所在が一日も早く明らかになることを願うものです。
 平成28年2月に強制起訴され、平成29年6月に第1回公判が開かれた3被告人の業務上過失致死傷事件は、本年7月6日で第19回の公判期日を終えました。これまで「事故は仕方がなかったのか、注意していれば事故は回避できたのではないか」、争点の地震津波の予見可能性と結果回避可能性を巡り、証人尋問が急ピッチで進められてきました。
 東京電力は、政府の地震調査研究推進本部の長期評価に基づき、15.7メートルの津波高を予測して、対策として防潮堤の工事などを検討しながら、武藤被告人ら経営陣の判断でこれを先送りにした結果、過酷事故を起こし、双葉病院の患者さん44名はじめ多くの人々を無念の死に追いやりました。
 裁判所として、本事件の判断にはこの大津波と事故の現場を直接見ていただくことが必要不可欠だと思います。現在、検察官役の指定弁護士が裁判所に対して、現場検証等の実施を申し立てると仄聞しております。
 1号機原子炉建屋並びに3号機原子炉建屋で水素爆発が起き、それによって飛び散った瓦礫に接触するなどして傷害を負った被害現場、また、原子力発電所から南西約4.5キロメートルに位置する医療法人博文会双葉病院(福島県双葉郡大熊町大手熊字新町176番地の1所在)と南西4キロメートルに位置する医療法人博文会介護老人保健施設ドーヴィル双葉(同県双葉郡大熊町大字熊字新町369番地の1所在)の患者や入所者が2度の爆発によって避難を余儀なくされ、その避難の過程ないし搬送先で、次々と尊い命が奪われましたが、その施設や搬送先、搬送先までのルート、さらに、避難指示が出された住民等の暮らした居住地などの現場を検証することは、被害の実態をつぶさに把握し、刑事責任の深刻さを裁判所が認識される上で必要不可欠と考えます。
 私たちは、東京電力福島第一原発事故の原点に帰り、本件事故被害者が傷害を負った現場や尊い命が奪われた44名が治療・看護を受けていた現場などを是非、現場検証などの手段で、見分していただくことを要請します。よろしくご検討をお願いします。

以上

2018年7月19日木曜日

9月の公判期日が指定されました

東京地方裁判所が第24回から第29回までの公判期日を指定しました。
開廷場所・時間はこれまでと同じです。

東京地裁104号法廷
開廷時間10:00
9月  4日(火) 第24回公判期日
9月  5日(水) 第25回公判期日
9月  7日(金) 第26回公判期日
9月18日(火) 第27回公判期日 
9月19日(水) 第28回公判期日
9月21日(金) 第29回公判期日


■7月の予定

7月24日(火)
第21回公判期日
裁判終了後 報告会…参議院議員会館 102室

7月25日(水)
第22回公判期日
裁判終了後 報告会…参議院議員会館 B105室

7月27日(金)
第23回公判期日
公判併行院内集会

時間…11:00~16:30(昼休憩含む)
場所…参議院議員会館 講堂
講演…「福島の汚染と初期被曝」
講師…今中哲二さん(京都大学原子炉実験所研究員)

裁判終了後に、同じ会場で報告会を行います。

2018年7月12日木曜日

刑事裁判傍聴記:第20回公判(添田孝史)

防潮堤に数百億の概算、1年4か月で着工の工程表があった


2008年4月23日の会合で
示されたシミュレーション
   第20回公判の証人は、東京電力の堀内友雅(ほりうち・ともまさ)氏だった。1994年に入社、2007年から2011年7月まで、本店原子力設備管理部の土木技術グループ(G)に所属していた。現在は福島第一廃炉推進カンパニーの土木・建築設備グループ課長だ。

 検察官役の山内久光弁護士の質問に答えて、2008年7月段階で沖合防潮堤の建設費を数百億円と概算していたことや、国や県への説明、設計や許認可を経て着工までに1年4か月かかるとした工程表をつくって武藤元副社長に示していたことを堀内氏は明らかにした。


「非常に高い壁を作らないと浸水する」

   堀内氏の所属する土木技術Gは、防潮堤など港湾施設や、排水路など耐震重要度がそれほど高くない施設を担当している。

 2008年当時、東電本店の原子力設備管理部(吉田昌郎部長)のもとには、「土木技術G」のほかに、津波想定や活断層調査を担当する「土木調査G」(これまで証人になった高尾誠氏、酒井俊朗氏、金戸俊道氏らが所属)、取水路など安全上重要な施設を担当する「土木耐震G」など、土木関係グループがいくつかあった。
 このほか、建物の中に入っている設備の耐震を検討する「機器耐震技術G」、地震の揺れの評価や建屋の設計をする「建築G」などもある。

 2008年4月23日、土木関係のGのほか、建築G、機器耐震Gなどの担当者が集まって打ち合わせが開かれた。ここで、想定津波高さが10数mとなる見込みで、海抜10m(10m盤)に設置されている主要な建物への浸水は致命的であるとの観点から、津波の進入方向に対して鉛直壁の設置を考慮した解析結果が提示された。
 堀内氏は、この会合には出席していなかったが、出席していた土木技術Gの同僚から口頭で報告を受けた。

「非常に大きな津波評価が出たようだと聞いた」
「非常に高い壁をつくらないといけないという話だった」
「作るか作らないか決めたかまでは聞いていない」

と証言した。

 反対尋問には「陸側の10m盤を全部覆う壁は必要ではなく、遡上高さが高くなっている部分に高い壁が必要になる」という認識も示した。これは東電側の主張と同じだ。ただし堀内氏は海の構造物の担当で、10m盤の上にたてる防潮壁は担当外だった。
4月の会合資料。赤文字で、敷地南側の津波高さが「15.707」m、
敷地北側の津波高さが「13.687」mという予測が示された

詳しい工程表を武藤氏に提出した

   2008年6月10日、原子力設備管理部の吉田部長、土木調査Gの酒井氏、高尾氏らと一緒に、堀内氏も出席して、武藤氏に津波評価と対策について説明がなされた。
 この日は最終的な決定はされず、武藤氏から4つの宿題が出された。そのうちの一つは、堀内氏が担当することになった。沖合に防潮堤を設置するために必要となる許認可を調べることだ。

 堀内氏は、以下のような工程表をつくった。

国・県への説明
温排水の予測
漁業補償交渉
防波堤設計 意思決定から1年
許認可   1年4か月
防波堤工事 1年4か月で着工

 そして、工事着工後は1年で約600m分の防潮堤を作ることができると見積もった。既設の港湾をすっぽりカバーする約1.5kmから2km分なら、建設の意思決定から防潮堤完成まで約4年になる。
 また費用としては、数百億円規模と概算した。単価として水深20mの場所に長さ1mで約2000万円。それが2kmで400億円という計算だ。

消えた沖合防潮堤

   2008年7月31日、土木調査Gの高尾氏や酒井氏らはあらためて、津波想定の検討結果や、6月10日に出された宿題への回答を武藤氏に報告。ここで堀内氏の概算結果や工程表も示された。武藤氏は、「すぐには対策に着手せず、津波想定について土木学会で審議してもらうこと」を決めた。いわゆる「ちゃぶ台返し」だ。
 この会合後、土木技術Gとしては、「あまりかかわることが無くなった」と堀内氏は証言した。「沖合の防潮堤に頼らない方向になったから」と説明した。


「数年の時間稼ぎなら問題ない」と武藤氏は考えた?

   これまでの東電社員や専門家の証言をもとに、「ちゃぶ台返し」(2008年7月31日)時点での、武藤氏のアタマの中を想像してみよう。

 「津波地震(15.7m)を想定しないとバックチェック審査は通らない」と土木調査Gで証言した全員が考えていた。また、規制当局との約束で、バックチェックは2009年6月までに終えなければいけない。それまでに対策も終わっていないと運転継続が難しくなる恐れがあった。
 津波対策を検討する土木技術Gは、沖合防潮堤に最短4年、数百億円と見積もり(堀内氏の証言)。
 津波地震の予測を公表せずに、その対策工事に着手することはできない(酒井氏の証言)。工事は大がかりで目立つからだ。
 津波地震の津波(15.7m)が襲来すると全電源喪失する可能性が高い(溢水勉強会2006)。

 工事着手のため、津波地震による津波想定(15.7m)を公表した状況を想定してみよう。すると、津波地震に無防備な状態で、運転したままそれへの対策工事をすること(最低4年かかる)に、地元から反対される可能性があった。
 すなわち、工事に着手しようとすると、福島第一や、同様に津波が高くなる福島第二の停止を迫られるリスクがあった。当時、新潟県中越沖地震(2007)で柏崎刈羽原発が全機停止しており、さらに原発が減ると供給力に不安が出てくる。

 「ちゃぶ台返し」時点では、東電は2007年度、2008年度連続の赤字がほぼ決まっていた。2009年度、3年連続の赤字は、避けるよう勝俣氏から厳命されている。数百億円の津波対策工事費、原発停止にともなう燃料費増は、受け入れられない。


 さてこの窮地で、武藤氏はどう考えたのだろう。以下は推測だ。

 現状では審査に通らない理由は、「審査する人が、津波地震抜きでは認めてくれそうにないから」(土木調査Gの社員による証言)。
 武藤氏は思いついた。「それなら、審査する人たちを、うまく説得すればいい」。バックチェック審査を担当する数人の専門家を説き伏せるだけで、3年連続赤字が回避できるなら簡単だ。それで時間を稼ぎ、財務状況が良くなってから工事すればいい。工事はかなり困難だが、そのころには自分も担当役員から外れている。

 もちろん、専門家に「見逃してくれ」と言っても通用しない。そこで、「当面は津波地震(15.7mになることは伝えない)が入っていない旧土木学会手法(2002)でバックチェックを進める。そのあと土木学会手法を改訂し、津波地震の取り入れを検討する。それにしたがって対策はする。いずれ津波対策は実施する」という理由を考えた。
 そして、専門家の大学研究室に個別訪問し、密室で交渉していく。「技術指導料」という謝礼を払うこともあったと見られている(阿部勝征氏による)。

 本当は「2009年9月までに最新の知見を取り入れてバックチェックをすること」を東電は原子力安全・保安院や原子力安全委員会と約束していた。しかし、その約束を、津波の専門家は知らない。「土木学会で審議し、いずれ対策を実施するならいいか」と東電の説得を受け入れた。土木学会の審議は2012年までかける予定だった。

 「万が一の危険を避けるため、3年以内(2009年まで)に最新の知見を反映させるバックチェックの趣旨に反している」と反対する東電社員もおらず、「経営判断だ」と受け入れた。
 武藤氏も津波の専門家たちも、最近400年間に3回しか起きていない津波地震が、東電が対策を先延ばしする数年の間に起きるとは考えていなかったのだ。いや、「考えたくなかった」という方が正しいかもしれない。
______________
添田 孝史 (そえだ たかし)
サイエンスライター、元国会事故調協力調査員
著書に 『原発と大津波 警告を葬った人々』、『東電原発裁判―福島原発事故の責任を問う
(ともに岩波新書)

刑事裁判傍聴記:第19回公判 「プロセスは間違っていなかった」?
刑事裁判傍聴記:第18回公判 「津波対策は不可避」の認識で動いていた
刑事裁判傍聴記:第17回公判 間違いの目立った岡本孝司・東大教授の証言
刑事裁判傍聴記:第16回公判 「事故は、やりようによっては防げた」
刑事裁判傍聴記:第15回公判 崩された「くし歯防潮堤」の主張
刑事裁判傍聴記:第14回公判 100%確実でなくとも価値はある
刑事裁判傍聴記:第13回公判 「歴史地震」のチカラ
刑事裁判傍聴記:第12回公判 「よくわからない」と「わからない」の違い
刑事裁判傍聴記:第11回公判 多くの命、救えたはずだった
刑事裁判傍聴記:第10回公判 「長期評価は信頼できない」って本当?
刑事裁判傍聴記:第 9回公判 「切迫感は無かった」の虚しさ
刑事裁判傍聴記:第 8回公判 「2年4か月、何も対策は進まなかった」
刑事裁判傍聴記:第 7回公判 「錦の御旗」土木学会で時間稼ぎ
刑事裁判傍聴記:第 6回公判 2008年8月以降の裏工作
刑事裁判傍聴記:第 5回公判 津波担当のキーパーソン登場
刑事裁判傍聴記:第 4回公判 事故3年後に作られた証拠
刑事裁判傍聴記:第 3回公判 決め手に欠けた弁護側の証拠
刑事裁判傍聴記:第 2回公判

2018年7月10日火曜日

7月11日は公判期日! 併行院内集会も開催します!

7月11日に第20回公判が開かれます。
傍聴整理券配布時間は8:20~9:00です。(裁判所HPの傍聴券交付情報
証人尋問が行われます。
11日は公判併行院内集会を開催します。

7月11日(水)
第20回公判期日 東京地裁104号法廷 開廷10:00
第20回公判併行院内集会
時間…11:00~16:30(昼休憩含む)
場所…参議院議員会館 講堂
通行証配布時間…10:30より
講演…「マンハッタン計画 76年目」
講師…ノーマ・フィールドさん(シカゴ大学名誉教授)
裁判終了後に、同じ会場で報告会を行います。

■今後の予定

7月24日(火)
第21回公判期日
裁判終了後 報告会…参議院議員会館 102室

7月25日(水)
第22回公判期日
裁判終了後 報告会…参議院議員会館 B105室

7月27日(金)
第23回公判期日
公判併行院内集会
時間…11:00~16:30(昼休憩含む)
場所…参議院議員会館 講堂
講演…「福島の汚染と初期被ばく(仮)」
講師…今中哲二さん(京都大学原子炉実験所研究員)
裁判終了後に、同じ会場で報告会を行います。

2018年7月8日日曜日

刑事裁判傍聴記:第19回公判(添田孝史)

「プロセスは間違っていなかった」?


東海第二原発の津波対策(日本原子力発電のホームページから)

 7月6日の第19回公判は、前回に引き続いて東電の金戸俊道氏が証人だった。弁護側の宮村啓太弁護士の質問に答えていく形で、2007年11月以降の東電社内の動きを再度検証した。
 宮村弁護士は、東電の津波想定や対策についての動きを総括して、こう金戸氏に尋ねた。

宮村「一連の経過の中で、安全をないがしろにしたところはありますか」
金戸「一切無かったと思います」
宮村「合理的なものだったということですか」
金戸「プロセスとして間違っていなかったと思います」

本当に、安全で合理的なプロセスだったのか、検証したい。

◯確かにそうだよね、とも思いたくなるが…

   宮村弁護士は以下のように東電の動きを整理した。
  1. 2007年11月、東電と東電設計が地震本部の長期評価(津波地震)について検討を始める
  2. 2008年3月、東電設計が計算結果を報告(15.7m)
  3. 2008年6月と7月、東電の土木調査グループは、津波地震の検討結果と対策について武藤元副社長と報告。武藤氏は、津波地震の波源について土木学会に検討してもらい、改訂された評価に従って対策をすると決める。
  4. 2008年秋以降、専門家に3)の進め方について説明。同意を得る。
  5. 2010年以降、土木学会の検討結果に応じた対策がとれるように、社内のWGで検討を始めた。
   土木学会の専門家に数年かけてじっくり議論してもらい、新しい波源について確定する。津波対策はそれに応じて進める。対策をやらないわけではない、いずれはやる。
 宮村弁護士のうまいプレゼンを聞いていると、それは本当に合理的で、十分安全なやり方のように思えてくる。しかし、いくつも問題点が隠されている。

◯「運転しながら新リスク対応」には期限があった

   一つは、新たなリスクが見つかってから対策を終えるまでに、どれだけ時間をかけていいのかという点だ。
 裁判官の質問に対し、金戸氏は、対策完了まで5年から10年かかっても問題は無いという認識を示し、「それは間違っていることではない」とも述べた。
 本当に問題ないのか。

 福島第一のような古い原発が新しい耐震指針を満たしているのか、運転しながら確認することについて、原子力安全・保安院は、さまざまな検討をしていた。

 ・「耐震設計審査指針改訂への対応(論点整理)」(2006年3月3日 原子力発電安全審査課)(*1)
「原則として、新しい知見は直ちに適用すべきとの考え方からすれば、猶予期間の考え方は成立するのか」
「バックチェックの法的位置づけ(伊方判例との関係、バックフィットではないのか、満足されなかった場合の運転継続を認めるのか)
「既存プラントの運転継続を認めるか(バックチェック終了までは指針適合性は不明→確認した上で判断)」
「バックチェック終了後、改造工事が必要となった場合の改造期間中の運転継続」

 東電を中心とした電気事業連合会も、何度も意見を送っていた。
 ・「指針改訂に対する基本スタンスと留意すべき点」(2006年2月6日)(*2)
「事業者は、運転継続しつつ対応することの妥当性を主張」
「適切な猶予期間を確保して、運転を継続しつつ計画的に対応していく必要あり」
 ・「耐震指針改訂に伴う既設プラントバックチェックに要する期間について」2006年2月6日(*3)
「バックチェックおよび補強工事には最長4〜5年、最短でも2年近くを要する見込みであり、プラントの運転を継続するには適切な猶予期間を規制当局に容認していただくことが不可欠である。」
 ・「耐震指針改訂にあたっての原子炉施設における対応について」2006年2月21日(*4)
「国は、所要の期間を確保(最長3年程度)したうえで指針改訂を踏まえた耐震安全性確認を指示、事業者はこれを受け評価並びに所要の対応措置を積極的、計画的に実施。」

 その結果、保安院は、伊方の判例(*5)なども考慮した上で、電事連に対して即時運転停止は求めないが、そのかわりに
  1. 余裕があることを確かめて一定の安全性を確保しながら
  2. 一定の期間(3年)内にバックチェックを終える
という合意がなされたと見られている。

 東電は、2006年9月のバックチェック開始当初は、津波の想定を含めた最終報告を2009年6月までに終える予定だった。
 2008年9月4日に、保安院から「新潟県中越沖地震を踏まえた原子力発電所等の耐震安全性評価に反映すべき事項について」が通知され、地震の揺れに地下構造が与える影響などを、より詳しく調べるよう求められた。

 この後、東電は福島第一のバックチェックチ最終報告を延期することを2008年12月8日に発表する(*6)。ただし保安院の9月の通知以前から、東電は最終報告を先延ばしすることを決めていたようだ。酒井氏は2008年7月時点で「2009年6月はないと知っていた」と証言している(第9回公判)。この背景は詳しく知りたいところだが、まだ追及されていない。

 2008年12月8日の延期発表では、東電は最終報告の時期を特定していなかった。ただし、それほど長い延長とは、保安院はとらえていなかったようだ。
 保安院の名倉繁樹・安全審査官が、保安院の審議会メンバーに送ったと思われるメールが開示されている(*7)

2009年7月14日火曜日21:29
■■先生
返信ありがとうございます。

東京電力が秋以降に提出する本報告に可能な限り知見を反映するよう指導していきます。

 5年から10年かけるのは、明らかに「想定外」なのだ。

◯「社会に説明しづらい」「他社の動きに危機感」との矛盾

   新しいリスクに対応するプロセスに5年から10年かけても十分安全、合理的と金戸氏は証言した。一方、前回18回公判では、武藤元副社長が津波対策を先送りした「ちゃぶ台返し」を説明した資料が「津波に対する検討状況(機微情報のため資料は回収、議事メモには記載しない)と記載されていたことについて「外に漏れ出すと説明しづらい資料なので」と述べていた。安全で合理的なプロセスならば、なぜ説明しづらかったのだろうか、理解できない。

 18回公判では、津波対策が進んでいないことに「フラストレーションがたまった」とも金戸氏は述べていた。これに関連し、検察官役の渋村晴子弁護士は「他社が対策を進めている情報が入っていて危機感があったのではないか」と質問。金戸氏は「そういうことです」と答えた。
 東電のプロセスが安全で合理的であるなら、他社と比較されても危機感は持たないだろう。

 金戸氏は、東電で活断層や津波の調査を担当する現役のグループマネージャーだ。東電は、新しいリスクへの対応に5年や10年かけても問題ないと今も考え、行動しているのだろうか。柏崎刈羽や東通の動きを見る上で、そこも気になった。
他社の津波対策状況
______________

*1 原子力規制委員会の開示文書:原規規発第18042710号(2018年4月27日)(以下、開示文書)の文書番号277 p.47
https://1drv.ms/b/s!AlwyMKNSAjKbgflRXgjgLaPuNrUU7Q

*2 開示文書 文書番号277 p.24

*3  開示文書 文書番号277 p.27

*4 開示文書 文書番号277 p.34

*5 四国電力伊方原発の安全性をめぐって争われた訴訟で、最高裁が1992年に出した判決。「周辺住民等の生命、身体に重大な危害を及ぼし、周辺の環境を放射能によって汚染するなど、深刻な災害を引き起こすおそれがあることにかんがみ、右災害が万が一にもおこらないようにすること」とし、規制については「最新の科学技術水準への即応性」が求められるとしていた。

*6 「発電用原子炉施設に関する耐震設計審査指針」の改訂に伴う福島第一原子力発電所および福島第二原子力発電所の耐震安全性評価の延期について
2008年12月8日
http://www.tepco.co.jp/cc/press/08120806-j.html

*7 開示文書 文書番号 231 RE【保安院】福島評価書案
https://1drv.ms/b/s!AlwyMKNSAjKbgfloLH-_2CRIlx3fdA
p.1
______________
添田 孝史 (そえだ たかし)
サイエンスライター、元国会事故調協力調査員
著書に 『原発と大津波 警告を葬った人々』、『東電原発裁判―福島原発事故の責任を問う
(ともに岩波新書)

刑事裁判傍聴記:第18回公判 「津波対策は不可避」の認識で動いていた
刑事裁判傍聴記:第17回公判 間違いの目立った岡本孝司・東大教授の証言
刑事裁判傍聴記:第16回公判 「事故は、やりようによっては防げた」
刑事裁判傍聴記:第15回公判 崩された「くし歯防潮堤」の主張
刑事裁判傍聴記:第14回公判 100%確実でなくとも価値はある
刑事裁判傍聴記:第13回公判 「歴史地震」のチカラ
刑事裁判傍聴記:第12回公判 「よくわからない」と「わからない」の違い
刑事裁判傍聴記:第11回公判 多くの命、救えたはずだった
刑事裁判傍聴記:第10回公判 「長期評価は信頼できない」って本当?
刑事裁判傍聴記:第 9回公判 「切迫感は無かった」の虚しさ
刑事裁判傍聴記:第 8回公判 「2年4か月、何も対策は進まなかった」
刑事裁判傍聴記:第 7回公判 「錦の御旗」土木学会で時間稼ぎ
刑事裁判傍聴記:第 6回公判 2008年8月以降の裏工作
刑事裁判傍聴記:第 5回公判 津波担当のキーパーソン登場
刑事裁判傍聴記:第 4回公判 事故3年後に作られた証拠
刑事裁判傍聴記:第 3回公判 決め手に欠けた弁護側の証拠
刑事裁判傍聴記:第 2回公判

2018年7月5日木曜日

第10回公判報告

2018年5月8日 第10回公判期日報告

作成 佐藤真弥
監修 海渡雄一

長期評価のとりまとめを担当した事務局が、長期評価が多くの専門家のコンセンサスでまとめられた経過を証言した

証人 前田憲二氏

内容
第1 書証の取り調べ
    第2 主尋問
    1. 経歴
    2. 地震調査研究推進本部とは
    3. 長期評価とは
    4. 日本海溝沿いの領域で発生する津波地震について
    5. 長期評価の取りまとめの過程について
    6. 公表直前の内閣府からの注文に対する対応
    7. 信頼度の評価の導入について
    8. 長期評価の改訂でも津波地震の回数が3回から4回になっただけで、変更はない
    第3 反対尋問
    1. 長期評価策定作業の基礎となる資料について
    2. 証人の専門分野について
    3. 津波地震に関する長期評価について
    4. 微小地震について
    5. 1611慶長三陸地震について
    6. 1677延宝房総沖地震について
    7. 信頼度について
    8. 内閣府からの注文について
    9. 長期評価に対する批判・コメントなどについて
    10. 想定津波地震の規模と確率について
    11. 長期評価の審議の記録について
    12. 1611年と1677年の地震について
    13. 大竹政和氏の意見について
    14. 石橋克彦氏、都司嘉宣氏らの「地球」論文について
      第4 再主尋問

      (PDFで読む)

      2018年7月4日水曜日

      第15回公判報告

      2018年6月15日 第15回公判期日報告

      作成 佐藤真弥、大河陽子、海渡雄一
      (この公判報告は、三名のメモを付き合わせ、最終的には海渡の責任で作成した)

      証人 今村文彦氏

      内容
      第1 主尋問
      1. 証人の経歴
      2. 土木学会と『津波評価技術』との関与
      3. 長期評価について
      4. 土木学会の重みづけアンケートについて
      5. 茨城沿岸津波浸水想定検討委員会について
      6. 延宝房総沖の地震について
      7. バックチェックルールと津波
      8. 東電担当者(高尾ら)への相談
      9. 第四期土木学会津波評価部会について
      10. 東日本太平洋地震のメカニズム
      11. 敷地の南北に建屋全体を覆う防潮壁をつくるべきだった
      12. 推本の長期評価は無視できない
      13. 裁判長質問
      第2 反対尋問
      1. 専門と経歴
      2. 土木学会津波評価技術について
      3. 津波地震の発生メカニズムと付加体の役割
      4. 日本海溝軸の付加体の堆積状況について
      5. 長期評価についての感想
      6. 1611年慶長三陸沖地震について
      7. 長期評価の信頼性について
      8. 中央防災会議における検討について
      9. 茨城沿岸津波浸水想定検討委員会について
      10. 耐震バックチェックルールと長期評価
      11. 土木学会に検討を委ねた方法の相当性について
      第3 指定弁護士再主尋問(弁護人主尋問に対する反対尋問)
      1. 津波地震のメカニズムについて
      2. 推本の議事録は検討していない
      3. 中央防災会議は一般防災を担当する場
      4. 推本の長期評価についてどのように対応するべきだったのか
      第4 裁判官尋問
      第5 証拠申請

      (PDFで読む)