2018年9月29日土曜日

【緊急】9月30日 東電刑事裁判報告会は時間を変更します

大型の台風24号による悪天候、交通機関の乱れが予想されることから、集会の時間を1時間短縮し、閉会時間を繰り上げます。
開会時間は変わりません。
台風の進路により大きく天候が変わる場合があります。危険を感じるようであれば、無理にお出かけにならぬようお気を付けください。

予見できた!回避できた!東電刑事裁判報告会 in東京

【日時】9月30日( 14:00~15:30 (開場13:30)
【場所】専修大学 神田キャンパス7号館(大学院棟)3階 731教室
   (千代田区神田神保町3-8)
【交通】神保町駅出口A2より徒歩3分、九段下駅出口5より徒歩3分)



2018年9月27日木曜日

10月2日の公判の傍聴抽選は午後0時~0時30分です!

本日裁判所が、10月2日(火曜日)の第28回公判について、傍聴整理券配布時間を公表しました。
2日の公判は午後の開廷になりますので、お間違えの無いようお気を付けください。

10月2日(火曜日) 第28回公判期日(証人尋問)
東京地裁104号法廷
傍聴整理券配布時間 12:00~12:30
開廷 13:15

裁判終了後の報告会は、参議院議員会館102室です。
裁判終了後の開会となります。

2日以降の公判予定はこちらをご覧ください

2018年9月23日日曜日

法廷で読み上げられた山下和彦氏の検面調書

法廷で読み上げられた山下和彦氏の検察官面前調書の要旨

(2018年9月5日 第24回公判期日)

※敬称を略しています。
※「」の中の記載についても、聞き取れた範囲での内容であり、該当文書の記載そのものではありません。

    内容
  1. 甲B57(平成24年12月4日付検面調書)
  2. 甲B58(平成25年1月28日付検面調書)
  3. 甲B59(平成25年2月15日付検面調書)
  4. 甲B60(平成26年12月5日付検面調書)

(PDFで読む)

2018年9月20日木曜日

刑事裁判傍聴記:第27回公判(添田孝史)

事故からの避難が患者の命を奪った


 9月19日の第27回公判は、昨日に引き続いて被害の様子を詳しく解き明かしていった。福島第一原発の爆発現場の直近にいた東電関係者、亡くなった患者さんらを診断した医師、遺族らが、事故調報告書ではドライに描かれている情景を、一人一人の言葉で生々しく肉付けしていった。

「流れ込むがれき、よく誰も死ななかった」東電関係者

   3月12日午後3時36分、1号機水素爆発。現場にいた3人がけがをした。

「視界がもうもうと蜃気楼のようになって、青白い炎が見えた。すさまじい爆風が襲いかかってきて、がれきが宙に浮かんで、鉄筋が消防車のガラスを突き破り、前腕に直撃。疼痛を感じた」(消防隊所属の東電関係者。供述を検察官役の弁護士が読み上げ)

 3月14日午前11時1分、3号機水素爆発。けが10人。

「コンクリートのがれきが、煙のように多数流れ込んできた。周囲を見ることも出来なくなった。タンクローリーの影に隠れたが、タイヤの間から、がれきが飛んできた。破片は長い時間降り続けた。タンクローリーの爆発も怖かった。このまま死にたくないと思っていた。一刻も早く逃げないと被曝してしまうと、歩いて免震重要棟に向かった。よく誰も死ななかったと思います」(東電関係者、供述の読み上げ)
爆発した3号機(出典:東京電力ホールディングス)

「国や東電の責任ある人に、責任を取ってほしい」遺族

   事故直後の混乱期の避難で、双葉病院の患者32人、ドーヴィル双葉の入所者12人が亡くなった。

「とうちゃんは、2010年5月にドーヴィル双葉に入所。2週間に1回、土曜日に会っていた。顔を合わせるとにっこりしていた。3月17日に電話で遺体の確認をしてくださいと言われ、現実のように思えませんでした。『放射能がついているかも知れないので、棺は開けないで下さい』と県職員に言われた。東電や国の中で責任がある人がいれば、その人は責任を取ってほしい」(夫を亡くした女性、供述を読み上げ)

「原発事故さえなければ、もっと生きられたのに」(両親をなくした女性、供述を読み上げ)

「シーツにくるまれただけで遺体が置かれていた。家族や親戚に看取られ、ベッドで安らかに最期を迎えさせてやりたかった。避難している最中で亡くなったと思うとやりきれない」(遺族、供述を読み上げ)

「避難ストレス、栄養不良、脱水、ケア不良で死亡。極端な全身衰弱。これだけの避難がなければ、今回の死亡に至ることはなかった」(診断した医師が検察に回答した内容)

「避難が無ければ、すぐ亡くなる人はいなかった」医師

   事故当時、双葉病院に勤務していた医師の証言もあった。
検察官役の渋村晴子弁護士が「事故による避難がなければ、すぐに命を落とす状態ではなかったですね」と尋ねると、医師は「はい」と答えた。

 医師は、長時間の移動が死を引き起こす原因を、こう説明した。

「自力で痰を出せない人は、長時間の移動で水分の補給が十分でない中で、たんの粘着度が増してくるので、痰の吸引のようなケアを受けられないと呼吸不全を引き起こす。寝たきりの人も100人ぐらいいたが、病院では2時間ごとに体位交換をする。そんなケアができないと静脈血栓ができて、肺梗塞を起こして致命的な状況になる」

「避難する前には、普段の様子でバスに乗っていった」ケアマネ

   3月14日に、ドーヴィル双葉から98人の入所者をバスに載せて送り出したケアマネージャーの男性も証言した。このバスは受け入れ先が見つからず、いわき光洋高校に到着するまで11時間以上かかった。自力歩行できない人が40人から50人おり、寝たきりの人や経管栄養の人もいたが、医療ケアがないままの長時間移動になり、移動中や搬送先で12人が亡くなった。

「避難する時には、普段の状況でバスに乗っていかれたので、死亡することは予想できませんでした。移動すれば解放され、正直助かったと思いました。その後、次々亡くなる人が出てショックでした。原発事故が無ければ、そのまま施設で生活出来ていたと思います」

2227人、突出して多い福島県の震災関連死

   この日の公判では、被告人がこの裁判で責任を問われている44人の死について、それぞれの人が亡くなった状況や、遺族の思いが、鮮明にされた。

 刑事裁判では触れられていないが、原発事故がなければ死なずにすんだ人は、もっと多いと思われる。東日本大震災における震災関連死は、福島県2227人、宮城県927人、岩手県466人で、福島が突出して多い(*1)。その原因は、東電が引き起こした原発事故にあるだろう。この裁判で争われているのは、被告人の責任のうち、ほんの一部にすぎない。
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*1 東日本大震災における震災関連死の死者数 復興庁 2018年3月31日現在
http://www.reconstruction.go.jp/topics/main-cat2/sub-cat2-6/20180629_kanrenshi.pdf
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添田 孝史 (そえだ たかし)
サイエンスライター、元国会事故調協力調査員
著書に 『原発と大津波 警告を葬った人々』、『東電原発裁判―福島原発事故の責任を問う
(ともに岩波新書)
刑事裁判傍聴記:第26回公判 事故がなければ、患者は死なずに済んだ
刑事裁判傍聴記:第25回公判 「福島沖は確率ゼロ」とは言えなかった
刑事裁判傍聴記:第24回公判 津波対策、いったん経営陣も了承。その後一転先延ばし
刑事裁判傍聴記:第23回公判 「福島も止まったら、経営的にどうなのか、って話でね」
刑事裁判傍聴記:第22回公判 土木学会の津波評価部会は「第三者」なのか?
刑事裁判傍聴記:第21回公判 敷地超え津波、確率でも「危険信号」出ていた
刑事裁判傍聴記:第20回公判 防潮堤に数百億の概算、1年4か月で着工の工程表があった
刑事裁判傍聴記:第19回公判 「プロセスは間違っていなかった」?
刑事裁判傍聴記:第18回公判 「津波対策は不可避」の認識で動いていた
刑事裁判傍聴記:第17回公判 間違いの目立った岡本孝司・東大教授の証言
刑事裁判傍聴記:第16回公判 「事故は、やりようによっては防げた」
刑事裁判傍聴記:第15回公判 崩された「くし歯防潮堤」の主張
刑事裁判傍聴記:第14回公判 100%確実でなくとも価値はある
刑事裁判傍聴記:第13回公判 「歴史地震」のチカラ
刑事裁判傍聴記:第12回公判 「よくわからない」と「わからない」の違い
刑事裁判傍聴記:第11回公判 多くの命、救えたはずだった
刑事裁判傍聴記:第10回公判 「長期評価は信頼できない」って本当?
刑事裁判傍聴記:第 9回公判 「切迫感は無かった」の虚しさ
刑事裁判傍聴記:第 8回公判 「2年4か月、何も対策は進まなかった」
刑事裁判傍聴記:第 7回公判 「錦の御旗」土木学会で時間稼ぎ
刑事裁判傍聴記:第 6回公判 2008年8月以降の裏工作
刑事裁判傍聴記:第 5回公判 津波担当のキーパーソン登場
刑事裁判傍聴記:第 4回公判 事故3年後に作られた証拠
刑事裁判傍聴記:第 3回公判 決め手に欠けた弁護側の証拠
刑事裁判傍聴記:第 2回公判

2018年9月19日水曜日

刑事裁判傍聴記:第26回公判(添田孝史)

事故がなければ、患者は死なずに済んだ


   勝俣恒久・東電元会長ら被告人3人は、福島第一原発近くの病院などから長時間の避難を余儀なくされた患者ら44人を死亡させたとして、業務上過失致死罪で強制起訴されている。9月18日の第26回公判では、東電が引き起こした事故が、どんな形で患者らの死とつながっているのか、検察官側が解き明かしていった。

 病院の看護師は、寝たきり患者らの避難がとても難しかったと当時の状況を証言。救助に向かった自衛官や県職員、警察官らが検察官に供述した調書も読み上げられた。

 放射性物質で屋外活動がしにくくなり、通信手段も確保できない中で現地の情報が伝わらなくなっていた。そのため患者の搬送や受け入れの救護体制が十分に築けず、患者たちが衰弱して亡くなっていく様子が証言で浮かび上がった。

地震と津波だけなら助かった


   証人は、福島第一原発から4.5キロの場所にある大熊町の双葉病院で、事故当時、副看護部長を務めていた鴨川一恵さん。同病院で1988年から働いていたベテランだ。避難の途上で亡くなった患者について、検察官役の弁護士が「地震と津波だけなら助かったか」という質問に「そうですね、病院が壊れて大変な状況でも、助けられた」と述べた。

 事故当時、双葉病院には338人が入院、近くにある系列の介護老人保健施設「ドーヴィル双葉」に98人入所していた(*1)。鴨川さんは、3月12日に、比較的症状の軽い209人とバスで避難、受け入れ先のいわき市の病院で寝る間もなく看護にあたっていた。

 3月14日夜、後から避難した患者ら約130人が乗っていたバスを、いわき市の高校体育館で迎えた。このバスは、病院を出発したものの受け入れ先が見つからず、南相馬市、福島市などを経由して、いわき市で患者を下ろす作業が始まるまで11時間以上かかった。継続的な点滴やたんの吸引が必要な寝たきり患者が多く、せいぜい1時間程度の移送にしか耐えられないと医師が診断していた人たちだ。本当は、救急車などで寝かせたまま運ぶことが望まれていた。

 鴨川さんは、「バスの扉を開けた瞬間に異臭がして衝撃を受けた。座ったまま亡くなっている人もいた」と証言した。バスの中で3人が亡くなっていたが「今、息を引き取ったという顔ではなかった」。体育館に運ばれたあとも、11人が亡くなった。

高い線量、連絡や避難困難に


   福島第一3号機が爆発した3月14日に、双葉病院で患者の搬送にあたっていた自衛官の調書も読み上げられた。「どんと突き上げる爆発、原発から白煙が上がっていた」「バスが一台も戻ってくる気配がないので、衛星電話を使わせてもらおうと、(双葉病院から約700m離れた)オフサイトセンターに向かいました。被曝するからと、オフサイトセンターに入れてもらうことが出来ませんでした」。

 オフサイトセンター付近の放射線量は、高い時は1時間あたり1mSv、建物の中でも0.1mSvを超える状態で、放射性物質が建物に入るのを防ぐために、出入り口や窓がテープで目張りされていた。自衛官はオフサイトセンターに入ることが出来なかったため、持っていたノートをちぎって「患者90人、職員6人取り残されている」と書き、玄関ドアのガラスに貼り付けた。

 病院からの患者の搬送作業の最中、線量計は鳴りっぱなしですぐに積算3mSvに達し、「もうだめだ、逃げろ」と自衛隊の活動が中断された様子や、県職員らが「このままでは死んじゃう」と県内の医療機関に電話をかけ続けても受け入れ先が確保できず、バスが県庁前で立ち往生した状況についても、供述が紹介された。

 これまで、政府事故調の報告書などで、おおまかな事実関係は明らかにされていた。しかし、当事者たちの証言や供述で明らかになった詳細な内容は、驚きの連続だった。刑事裁判に役立つだけでなく、今後の原子力災害対応の教訓として、貴重な情報が多く含まれていたように思えた。
双葉病院の避難支援を担当した陸上自衛隊第12旅団の配置
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*1 福島県災害対策本部の救援班は、3月17日午後4時頃、双葉病院からの救出状況について「3月14日から16日にかけて救出したが、病院関係者は一人も残っていなかった」と発表し、報道された。このため、双葉病院の関係者は「患者を置き去りにした」と一時、非難された。しかし、実際は院長ら関係者が残って、患者のケアや搬送の手配に奔走しており、バスに同乗して移動した病院関係者も、ピストン輸送で病院にすぐ戻ることができると考えていた。政府事故調の最終報告書は、県の広報内容について「事実に反し、あたかも14日以降病院関係者が一切救出に立ち会わず、病院を放棄して立ち去っていたような印象を与える不正確又は不適切な内容と言わざるを得ないものであった」と評価している(政府事故調最終、p.241)
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添田 孝史 (そえだ たかし)
サイエンスライター、元国会事故調協力調査員
著書に 『原発と大津波 警告を葬った人々』、『東電原発裁判―福島原発事故の責任を問う
(ともに岩波新書)
刑事裁判傍聴記:第25回公判 「福島沖は確率ゼロ」とは言えなかった
刑事裁判傍聴記:第24回公判 津波対策、いったん経営陣も了承。その後一転先延ばし
刑事裁判傍聴記:第23回公判 「福島も止まったら、経営的にどうなのか、って話でね」
刑事裁判傍聴記:第22回公判 土木学会の津波評価部会は「第三者」なのか?
刑事裁判傍聴記:第21回公判 敷地超え津波、確率でも「危険信号」出ていた
刑事裁判傍聴記:第20回公判 防潮堤に数百億の概算、1年4か月で着工の工程表があった
刑事裁判傍聴記:第19回公判 「プロセスは間違っていなかった」?
刑事裁判傍聴記:第18回公判 「津波対策は不可避」の認識で動いていた
刑事裁判傍聴記:第17回公判 間違いの目立った岡本孝司・東大教授の証言
刑事裁判傍聴記:第16回公判 「事故は、やりようによっては防げた」
刑事裁判傍聴記:第15回公判 崩された「くし歯防潮堤」の主張
刑事裁判傍聴記:第14回公判 100%確実でなくとも価値はある
刑事裁判傍聴記:第13回公判 「歴史地震」のチカラ
刑事裁判傍聴記:第12回公判 「よくわからない」と「わからない」の違い
刑事裁判傍聴記:第11回公判 多くの命、救えたはずだった
刑事裁判傍聴記:第10回公判 「長期評価は信頼できない」って本当?
刑事裁判傍聴記:第 9回公判 「切迫感は無かった」の虚しさ
刑事裁判傍聴記:第 8回公判 「2年4か月、何も対策は進まなかった」
刑事裁判傍聴記:第 7回公判 「錦の御旗」土木学会で時間稼ぎ
刑事裁判傍聴記:第 6回公判 2008年8月以降の裏工作
刑事裁判傍聴記:第 5回公判 津波担当のキーパーソン登場
刑事裁判傍聴記:第 4回公判 事故3年後に作られた証拠
刑事裁判傍聴記:第 3回公判 決め手に欠けた弁護側の証拠
刑事裁判傍聴記:第 2回公判

2018年9月18日火曜日

【緊急】公判期日の取り消しがありました


本日、裁判所が、9月21日(金)に予定していた公判期日を取り消しました。
9月21日は裁判はありません。
ご注意ください。

2018年9月15日土曜日

10月の公判期日が決まりました!

東京地裁より、10月の公判期日が指定されました。
9月から10月にかけての公判予定は以下のとおりです。
裁判所は「秋頃までに被告人質問を行う」と言っており、
勝俣元会長ら3被告人を直接ただす場が近づいてきました。
どうぞご注目下さい!

9月公判予定

18日(火) 10時開廷(傍聴券抽選は9時締切)
 報告会…参議院議員会館102
19日(水) 10時開廷(傍聴券抽選は9時締切)
 公判併行院内集会… 11~16時、公判終了後に報告会 参議院議員会館101
   14時から、「福島 六ケ所 未来への伝言」上映と島田恵監督のスピーチ
*21日(金)の公判は取り消しになりました。裁判は開かれません

10月公判予定

2日(火)13時15分開廷(傍聴券抽選時刻未定。裁判所HPでご確認ください)
 報告会…参議院議員会館102
3日(水) 10時開廷
 報告会…参議院議員会館102
16日(火)10時開廷
 報告会…参議院議員会館102
17日(水) 10時開廷
 報告会…参議院議員会館102
19日(金)10時開廷
 公判併行集会… 11~16時、公判終了後に報告会 会場未定
   14時から、「逃げ遅れる人々」上映、鈴木匡さん(NPO法人ケアステーションゆうとぴあ(福島県田村市)理事、市民による健康を守るネットワーク代表理事)のお話
30日(火)10時開廷
 報告会…会場未定
31日(水) 10時開廷
 報告会…会場未定

*法廷は全て東京地裁104号法廷です。
*公判報告会は、裁判の終了時刻によって開始時間が変わります。報告会のみ参加される方は、12:30以降にお電話でご連絡ください。開始時間の予定をお伝えします。

2018年9月10日月曜日

刑事裁判傍聴記:第25回公判(添田孝史)

「福島沖は確率ゼロ」とは言えなかった

   9月7日の第25回公判の証人は、松澤暢(まつざわ・とおる)東北大学教授(地震学)だった。松澤教授は、政府の地震調査研究推進本部(地震本部)の長期評価とはどんなものか、そして2002年の長期評価が予測した日本海溝沿いの津波地震について説明した。

  ポイントは以下のとおりだ。

1)「長期評価、それ以外に方法ない」

松澤教授は、長期評価に不確実なところがあることは認めた。一方で「わからない=ゼロとして過小評価されるより、仮置きでも数値を出すとした地震本部の判断には賛同する」と述べた。

2)「福島沖の確率がゼロとは言えなかった」

長期評価が予測した津波地震が福島沖でも起きるかどうかについて、「日本海溝北部に比べて起こりにくいとは考えたが、絶対起こらないとは言い切れなかった」と話した。

3)長期評価の改訂時にも、異義は唱えなかった

松澤教授は、福島沖の津波地震を最初に予測した2002年の長期評価策定には関わっていないが、2009年や2011年(震災前、震災後)の改訂作業には参加していた。「そこで大きな問題点は指摘しなかった」と述べた。

 松澤教授は、東北大学大学院理学研究科の教授で、大学附属の地震・噴火予知研究観測センター長も務める。地震の波形を詳しく分析して、地震発生の過程を調べる専門家だ。地震予知連絡会の副会長でもある。公判では、最初に弁護側の宮村啓太弁護士、続いて検察官役の久保内浩嗣弁護士が質問した。少し詳しく見ていく。

「乱暴だが、それ以外に方法はない。地震本部の判断に賛同する」

   松澤教授は、長期評価に「不確実だ」という意見があることについて、こう説明した。
 「よくわかっていること、よくわかっていないところがあったが、仮置きでもいいから数値をおいていくべきだと判断した。理学屋が黙っていると、誰かが勝手にやってしまう。わからないとして放っておけば確率ゼロ、過小評価になる。全く知らない人に判断があずけられる。それは正しいのか。とりあえずおすすめの数値を、仮置きでも、仮置きと見える形で出すことが良いと判断した」と説明した。「非常に乱暴だけど、それ以外に方法がない。地震本部が仮置きの数字を置いた判断は賛同する」とも述べた。

「福島沖はおこりにくいが、確率はゼロとは言えなかった」

   松澤教授は、日本海溝沿いの津波地震について、2003年に論文を発表している(*1)。「津波地震」が引き起こされるためには、プレート境界に付加体とよばれる柔らかい堆積物が必要だとする仮説に基づいていた。松澤教授はこの論文で、以下のように書いていた。

 「福島県沖の海溝近傍では、三陸沖のような厚い堆積物は見つかっておらず、もし、大規模な低周波地震が起きても、海底の大規模な上下変動は生じにくく、結果として大きな津波は引き起こさないかもしれない」

 一方で、松澤教授は、津波地震について土木学会による2008年のアンケート(*2)に以下のように答えていた。

①    三陸沖と房総沖のみで発生するという見解 0.2
②    津波地震がどこでも発生するが、北部に比べ南部ではすべり量が小さい(津波が小さい)とする見解 0.6
③    津波地震がどこでも発生し、北部と南部では同程度のすべり量の津波地震が発生する 0.2

   松澤教授は「福島沖でも起きる」とする見解の方に重きを置いていたのだ。
 アンケートの際、松澤教授は「不確実性が大きく過去と同じ場所だけとは言い切れない」とコメントしており、法廷では「北部に比べて福島沖では津波地震はおこりにくいが、確率ゼロではないので、このように回答した」と説明した。

長期評価の改訂時にも、津波地震の評価に異議を唱えなかった

   地震本部が2002年に発表した津波地震についての長期評価は、2009年に一部改訂された。また2011年にも改訂作業が進められており、東日本大震災前にはほぼ出来上がっていた。東日本大震災の発生で、その改訂版は没となったが、2011年11月には、今回の地震を踏まえて第二版が公表された。

 松澤教授は、地震本部の委員として改訂作業にかかわり、「(福島沖をふくむ)日本海溝沿いのどこでも起きる」とした津波地震の評価に、異議は唱えなかった。そして「どこでも起きる」とする評価は、2009年、2011年の事故前、事故後、いずれの長期評価でも変更されなかった。「我々は(地震について)まだ完全に知っているわけではない。共通性を重視してそこに組み入れた」と理由を説明した。

「積極的に否定」も出来なかった

   こんなやりとりもあった。

宮村弁護士「津波地震が福島沖でも起きると積極的に根拠付ける研究成果はあったのでしょうか」
松澤教授「なかったと思います」

 福島沖ではプレートが沈み込んでいるから津波地震を起こす必要条件は満たしていた。しかし、海溝に柔らかい堆積物(付加体)が少ないため、津波地震を発生させるモデルの条件を十分には満たしていなかったからだ。

東北大学が津波を調べた場所。
2007年には福島第一原発から
5キロ地点(浪江町)でも大津波
の痕跡が見つかっていた。
   しかし松澤教授も認めたように、「津波地震の発生に付加体が必要」というのは仮説にすぎない。「付加体が無いから福島沖では津波地震は起きない」と断言できるほど「強い科学的根拠」とは言えなかった。付加体が福島沖と同じように少ない房総沖で、1677年に津波地震が発生したと考えられていた。それが付加体の仮説では十分説明できない弱みもあった。

 宮村弁護士は、「津波地震が福島沖で起きるという強い根拠は無かった」と強調したかったように見えた。しかし、逆に「極めてまれにも、福島沖で津波地震は起きない」と言える「強い根拠」もなかった。

 2006年に改訂された耐震設計審査指針では「施設の供用期間中に極めてまれであるが発生する可能性があると想定することが適切な津波によっても、施設の安全機能が重大な影響を受けるおそれがないこと」と定められていた。

 「極めてまれにも起きない」「だから対策はしない」と言い切る根拠を見つけることは、とても難しい。だからこそ、東電の津波想定担当者らは対策が必須と考え、いったんは常務会でも了承されていたのだ。

 2007年度には、東北大学が、福島第一原発から5キロの地点(浪江町請戸)で、東電の従来想定を大きく超える津波が、貞観津波(869年)など過去4千年間に5回あった痕跡を見つけていた(*3)。「大津波は福島沖では極めてまれにも起きない」として対策をとらないことは、とうてい無理になりつつあったのだ。
______________

*1 松澤暢、内田直希「地震観測から見た東北地方太平洋下における津波地震発生の可能性」 月刊地球 Vo.25.No.5 2003 368-373

*2 土木学会津波評価部会 ロジックツリーの重みのアンケート結果(平成20年度)
http://committees.jsce.or.jp/ceofnp/system/files/Questionare_RT_PTHA_20141009_0.pdf

*3 地震本部 宮城県沖地震における重点的調査観測 平成17−21年度統括成果報告書
https://www.jishin.go.jp/database/project_report/miyagi_juten-h17_21/
これの
3.研究報告
3.3津波堆積物調査にもとづく地震発生履歴に関する研究
https://jishin.go.jp/main/chousakenkyuu/miyagi_juten/h17_21/h17-21_3_3.pdf
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添田 孝史 (そえだ たかし)
サイエンスライター、元国会事故調協力調査員
著書に 『原発と大津波 警告を葬った人々』、『東電原発裁判―福島原発事故の責任を問う
(ともに岩波新書)

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