2018年12月31日月曜日

刑事裁判傍聴記:第35回公判(添田孝史)

指定弁護士、禁錮5年を求刑

厚さ2センチ以上ある論告
   12月26日の第35回公判では、検察官役を務める指定弁護士が、勝俣恒久氏ら3人の被告人の罪について、これまでの公判での証言や集めてきた証拠をもとに論告(*1)を読み上げた。事故がもたらした結果の大きさ、被告人の地位・立場・権限の大きさ、やるべきことをやっていない程度などから、業務上過失致死傷罪の中でも責任は極めて重いとして、3人に禁錮5年を求刑した。

 論告・求刑は午前10時から休憩をはさんで午後5時すぎまで続いた。石田省三郎弁護士ら指定弁護士5人が交代しながら論告を読み、最後に「被告人らに有利に斟酌すべき事情は何ひとつない」「3名の責任の大きさに差をつける事情もない」として3人に同じ量刑を求めた。

 論告の中では、これまでの公判では触れていなかった東電社員や原子力安全・保安院職員の供述調書についても述べられており、新たな事実もわかった。

キーワードは「情報収集義務」

   10月に行われた被告人3人への本人尋問では、責任を転嫁する供述が目立った。

「特に津波についての問題意識はありませんでした」
「原子力部門のほうで自立的にやってくれるものだと思っていた」
「取扱を土木学会に検討依頼したい」
「まとまったところで報告があると思っていた」

 指定弁護士は、こんな被告人らの責任を問うキーワードは「情報収集義務」であるとして、以下のように述べた。

 「15.7mの津波計算結果などを契機に、被告人らが他者に物事を委ねることなく、自らその権限と責任において、積極的に情報を取得し、これらの情報に基づいて的確かつ具体的な対策を提起し、これを実行に移してさえいれば、本件のような世界に例をみない悲惨な重大事故を防ぐことができたのです」

担当社員は「対策必要」で一致していた

   指定弁護士が細かく調べたのは、東電で津波想定を担当する土木調査グループ(*2)の動きだ。酒井俊朗グループマネージャー(GM、第8、9回公判証人)、高尾誠課長(第5〜7回)、金戸俊道主任(第18、19回)と計7回の証人尋問を重ね、被告人らの責任を浮き彫りにしてきた。

 指定弁護士は、こう述べた。

「土木調査グループが一貫して、長期評価を取り込んで津波評価を行う必要があると考え、大規模な津波対策工事が必要であると認識していたことについて、酒井、高尾、金戸の3人の証言は一致しています。そして、東京電力におけるメール、議事録、資料等にも、土木調査グループのこうした認識と方針が明確に示されています」(*3)

「武藤被告人、2008年6月10日には対策の義務」

   武藤氏には、吉田昌郎・原子力設備管理部長ら部下から、津波想定の結果や対策工事について、2008年6月10日と同年7月31日の両日に、具体的な進言がされていた。

 論告では、武藤氏の過失責任について「これらの努力を全く無視してしまったのは、武藤被告人自身に他なりません。このような事情にありながら、担当者からの報告がなかったとして、弁解し、自らの責任を回避しようというのは、責任転嫁も甚だしいといわなくてはなりません」とされた。

 そして、2008年6月10日の時点で
  1. 原子力設備管理部の担当者らに対して、具体的な津波対策をすみやかに検討させ
  2. その結果を勝俣氏や武黒氏らに報告するとともに
  3. 常務会や取締役会を開いて、対策工事を実施することや、これが完了するまでは原発の運転を停止すべく決議するよう進言する
などの義務があったとした。

 指定弁護士は、「その義務を怠り、それ以降も漫然と原発の運転を続けた過失があり、本件事故を引き起こした」と述べた。

「武黒被告人、2009年4月か5月、対策の義務」

   武黒氏は、2009年4月か5月に、吉田・原子力設備管理部長から津波予測について報告を受けた。遅くともこの時点で、武藤氏が2008年6月10日時点で聞き知った内容と同じ事態を認識していた。当時、武黒氏は、原子力・立地本部長で、原発の安全について第一次的に責任を負う部署のトップだった。

 論告では、報告を受けた時点で、
  1. 担当者に具体的な津波対策を検討させ
  2. 勝俣氏ら最高経営層に報告するとともに
  3. 自ら、常務会や取締役会に対して、対策工事を実施することや、これが完了するまでは原発の運転を停止すべく決議するよう提案し
  4. これを実行する
義務があったし、「漫然と、部下からの報告を待つだけということなど許されないのです」と説明されている。

「勝俣被告人、疑問や不安を抱かなかったこと、おかしい」

   勝俣氏は、「福島県沖については、津波は、基本的に大きな津波は来ないということで聞いていましたので、特に津波についての問題意識はありませんでした」と供述していた(第33回公判)。

 一方、2009年2月11日の「御前会議」で、吉田部長から「もっと大きな14m程度の津波がくる可能性があるという人もいて、前提条件となる津波をどう考えるか、そこから整理する必要がある」という発言を聞いていた。

 指定弁護士は、「吉田部長の発言に、何の疑問を抱かず、不安をも抱かなかったことこそ、おかしいのです。もし疑問も不安も抱かなかったとすれば、原子力発電所の安全性についての意識が著しく欠如していたということになります。最高経営層としての資格をも問われるものといわなくてはなりません」と指摘。
 「御前会議のもっとも上位の者つまり『御前』として出席し、同じ場には武黒氏、武藤氏、原子力設備管理部長など担当者もいたのだから、正にその場を活用して、丹念に報告を求め、綿密に協議し、他の被告人らとともに津波対策を検討すべき義務があった」と説明した。

初めて明らかにされた事実も

   論告の中では、検察や指定弁護士が集めた関係者の供述や、電子メールや議事録も数多く示された。その中にはこれまで明らかにされていなかった内容もあった。
 たとえば「御前会議」について、被告人らは、この会議が意思決定の場ではなかったと強調していたが、清水正孝元社長は異なる供述をしていた。

「『中越沖地震対応打合せ』(御前会議)のように、会長から発電所の所長に至るまで、これほどの幅広に集まって方向性の議論を行い、共通の認識を持つ場というものは、私が知る限り、これまで例がなかったと思います」

「『中越沖地震対応打合せ』は、常務会等で意思決定する前段階として、経営層の耳にいれておくべき中越沖地震後の対応に関する重要案件につき、情報を共有し合い、方向性の議論を行って、その方向性につき共通の認識を持つ場でした。その後、原子力・立地本部等の担当部署が、さらに、その方向性に基づいて、具体策を煮詰めていき、最終的には、常務会等において意思決定がなされることになります」

 「御前会議」について、被告人らは「情報共有の会合であり、意思決定の場ではない」と繰り返し否定し続けていたが、実際には「方向性の議論と、その共通の認識を持つ場だった」と元社長が供述していたのだ。

東電の民事訴訟における主張、嘘とばれる

   被害者らが東電を訴えている民事訴訟で、東電は「水密化や高所配置等の対策(*4)は、本件事故を知っている今だからこそいえること」と主張している(*5)。事故前には発想がなかった、後知恵だと言うわけだ。しかし、論告の中で、そのような対策を東電が事故前から検討、認識していたことが明確にされ、東電が嘘を言っていたことがわかった。

 東電・機器耐震技術グループの長澤和幸氏は、第1回溢水勉強会(*6)後の2006年2月15日に、「想定外津波に対する機器影響評価の計画について(案)」を作成。影響融和のための対策(例)として、進入経路の防水化、海水ポンプの水密化、電源の空冷化、さらなる外部電源の確保という具体的な対策を挙げていた(*7)。事故の5年前に、すでに社員が作成した水密化等の報告書があったのだ。

 また、2006年11月10日に開催された電事連既設影響WGで、各電力会社の津波対策が報告されていたこともわかった(*8)。たとえば中部電力は、「原子炉建屋等の出入り口には腰部防水構造の防護扉等が設置されている」としていた。水密化対策に他社が取り組んでいることも、東電は知っていたことになる。

 これらの事実は、政府や国会の事故調では報告されておらず、今回の公判で初めて明らかにされた。東京地検が収集した証拠や、指定弁護士が新たな捜査で得た証拠を集大成した論告を読み込むと、まだまだ同じような発見が期待できそうだ。刑事裁判が明らかにした事実は、東電や国の嘘や隠蔽を暴くことに役立ち、各地の民事訴訟にも大きく影響を与えそうである。
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*1 論告は、以下の構成で全194ページ。年表つき。
「はじめに」
第1「本件事故の経過と原因」
第2「被害の状況」
第3「被告人らの立場と『情報収集義務』の契機となる事実」
第4「地震対策センター土木調査グループの活動」
第5「長期評価の信頼性」
第6「結果回避義務の内容と結果回避可能性」
第7「被告人らの『情報収集義務』の懈怠と過失責任」
第8「情状」
http://kokuso-fukusimagenpatu.blogspot.com/2018/12/blog-post.html

*2 本店原子力・立地本部原子力設備管理部新潟県中越沖地震対策センター土木調査グループ(2008年7月1日までは土木グループ)

*3 論告p.26

*4 敷地が水につかることを前提とした、ドライサイトにこだわらない対策

*5 たとえば、生業訴訟の被告東京電力最終準備書面(2)(責任論及び過失論について)2017年3月10日 p.86

*6 原子力安全・保安院と原子力安全基盤機構(JNES)が開催していた、原発の津波に対するアクシデントマネジメントを検討する会合。

*7 論告p.123

*8 論告p.125
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添田 孝史 (そえだ たかし)
サイエンスライター、元国会事故調協力調査員
著書に 『原発と大津波 警告を葬った人々』、『東電原発裁判―福島原発事故の責任を問う
(ともに岩波新書)
前回の公判傍聴記

添田さんの公判傍聴記一覧

2018年12月29日土曜日

被害者参加人意見陳述

12月27日の第36回公判では、被害者参加人である事故被害者遺族の代理人として、告訴団の弁護団が意見陳述をしました。
「原発事故を引き起こした者の責任が明らかにされなければ、命を奪われた被害者の無念は晴れない」
この思いを裁判所はしっかりと受けとめて、厳正な判決をされるよう望みます。

被害者意見要旨(PDF)

2018年12月27日木曜日

求刑禁固5年! (論告リンクあり)

12月26日の第35回公判で、指定弁護士が論告を行い、東京電力勝俣恒久元会長、武黒一郎元副社長、武藤栄元副社長に、禁固5年の求刑を行いました。
指定弁護士は、同種事件の例として、45名死亡22名負傷の川治プリンスホテル事件が禁固2年6月の実刑、32名死亡24名負傷のホテル・ニュージャパン事件が禁固3年の実刑だったことを挙げつつ、この東電刑事訴訟では被告人らに有利に斟酌する事情は何ひとつないとして、業務上過失致死傷罪の禁固刑としては法定刑の上限となる5年を求めました。
27日の第36回公判では、被害者参加人の意見陳述として、海渡弁護士ら代理人からの意見陳述を行います。こちらもぜひご注目ください!

論告本文1(PDF・7MB)
論告本文2(PDF・5MB)
論告年表(PDF・2MB)

2018年12月13日木曜日

論告・求刑は12月26日・27日!

東電刑事裁判は、証拠調べが終了し、今月の26日から27日にかけて、論告(検察側が事件のあらましを述べる)・求刑が行われます。また、被害者参加代理人からも意見陳述があります。
年の瀬も迫る慌ただしい頃ですが、どうぞご注目下さい!
また、26日は、参議院議員会館にて公判併行集会を開催します。午後の部の講師には、おしどりマコ・ケンさんをお呼びして、東電取材の経験から見えてきたものについてお話しいただく予定です。こちらへのご参加もお待ちしております!


12月26日(水) 第35回公判期日 東京地裁104号法廷 開廷10:00(傍聴抽選締め切り9:00)
公判併行集会予定
時間…11:00~16:00頃 公判終了後に同じ場所で報告会を開催予定。
場所…参議院議員会館 講堂
   14:00~ 講演:おしどりマコさん、ケンさん
*併行集会後、同じ会場で裁判報告会を行います。


12月27日(木)第36回公判期日
第36回公判期日
 東京地裁104号法廷 開廷13:30 (傍聴抽選は裁判所HP参照
裁判終了後報告会
時間…未定。裁判終了後に行います
場所…参議院議員会館 講堂


東電刑事裁判・ふくしま連続報告会を開催します!
ブログ「お知らせ」タブよりご覧ください

2018年11月25日日曜日

札幌市 刑事裁判報告会!

札幌市で開催される東電刑事裁判報告会のお知らせです!

東電福島原発刑事訴訟は、昨年6月30日に初公判を迎えて以降、この間の法廷で、津波の想定、根拠となる長期評価の信ぴょう性、被告らによる「ちゃぶ台返し」など、原発事故に至る経緯が明らかになりました。
多くの原発訴訟の代理人も務める海渡雄一弁護士から、裁判の争点とポイントをわかりやすくお話しいただきます。

日時 12月11日(火) 18:00~20:00
場所 北海道クリスチャンセンター(札幌市北区北7条西6丁目)
内容 講演 海渡雄一弁護士
   発言 大間原発建設差し止め訴訟・泊原発廃炉訴訟
資料代500円
 

2018年11月17日土曜日

新潟県3市連続 刑事裁判報告会!

「責任はどこに!? 東電福島原発事故刑事裁判報告会」
新潟県の新潟市、柏崎市、上越市の3会場で、東電刑事裁判の報告会を開催します。講師は福島原発刑事訴訟支援団の佐藤和良団長です。裁判を通して明らかになった真実とは何か。同じ東京電力の原発が所在する新潟県での説明会です。ぜひご参加ください!

新潟市 11月24日(土)13:30~15:30 新潟県勤労福祉会館2階
柏崎市 11月24日(土)18:30~20:30 柏崎市市民プラザ波のホール
上越市 11月25日(日)13:30~15:30 上越市市民プラザ第2会議室

参加費:500円(3会場とも)

主催:東電・福島原発刑事裁判報告会実行委員会
共催:柏崎刈羽原発差止め市民の会、柏崎刈羽原発差止め新潟県弁護団、福島原発被害救済新潟県弁護団




2018年11月16日金曜日

刑事裁判傍聴記:第34回公判(添田孝史)

「母は東電に殺された」被害者遺族の陳述


 11月14日の第34回公判では、大熊町の病院や介護施設から避難する時に亡くなった被害者の遺族が意見陳述した。2人が法廷で被告人に対して直に意見を述べ、さらに3人分の意見は弁護士によって代読された。

 自衛隊さえあわてて撤収する高い放射線量のもと、中心静脈栄養の点滴を引き抜かれ、バスに押し込められて10時間近くも身動きできないまま運ばれ息絶える。あるいは、病院に置き去りにされたまま、骨と皮のミイラのようになって死ぬ。

 原発事故が起きると、21世紀の先進国とは思えない異常な死に方を強いられる状況が、あらためて示された。そして、穏やかに看取ってあげられなかった遺族の無念の思いが法廷で述べられた。

 そのような悲惨な事態を誰が引き起こしたのか。

   「現場に任せていた」という被告人らの説明では、遺族たちは納得していないことも、「東電に殺された」という強い言葉とともに訴えられた。

 以下に、意見陳述の概要を紹介する。

「想定外で片付けられると悔しい」

介護老人保健施設「ドーヴィル双葉」に入所していた両親を亡くした女性=法廷で意見陳述
「想定外で片付けられると悔しくてなりません。太平洋岸には他にも原発があるのに、なぜ福島第一原発だけが爆発したのか。何かしらの対策を取っていれば、女川や東海第二のように事故は防げたのではないかと思うと許せません。わかっていて対策をせず、みすみす爆発させたのなら未必の故意ではないのか。誰一人責任者が責任を取っていないのは悔しい」

「責任者を明らかにするのが大切」

ドーヴィル双葉に入所していた祖父母を亡くした男性=法廷で意見陳述
「(2002年の)東電のトラブル隠しのあとに起きているのがとても残念です。高度な注意義務を負う経営者に、刑事責任をとってもらわないと今後の教訓にならない。もう二度と同じ思いをする人が出ないように」

原発を不安に思っていた父

双葉病院に入院していた父(97歳)を亡くした女性=弁護士が代読
「父は寝たきりで2時間ごとの体位交換が必要でした。経口摂取も困難で中心静脈カテーテルで栄養や薬剤の投与を受けていましたが、避難の際に抜かれ、水分や栄養分を摂取できなくなりました。このような酷い状況に10時間近くも置かれ、父は亡くなったそうです。父は寒がりでしたし、水分や栄養を摂取できず、身動きもできない状況で、どれほど辛く、苦しかったことでしょう。
私が結婚するにあたって、夫が実家に挨拶に訪れた際に、父は「ここは原発があるからな」と不安を口にしました。原発のことを不安に思っていた父が、原発事故で亡くなるとは全く想像もしていませんでした」

「慢心があったとしかいいようがありません」

双葉病院に入院していた兄を亡くした人=弁護士が代読
「(事故の)直前の数年間、大きな災害が続いた。国会でも原発の津波対策について質疑があった。東電の経営者は、あくまで他人事のように見ていたのではないか。もし切迫した緊張感を持って経営していれば事故は避けられただろう。東電は自らが安全神話にとりつかれ、慢心があったとしかいいようがありません」

「トップの責任を認めて欲しい」

双葉病院に入院していた母を亡くした女性=弁護士が代読
「遺体を確認したとき、骨と皮のミイラのようだった。被告人の方、この時の気持ちが分かりますか。この裁判であなた方は「部下にまかせていた。私の知り得ることではない」と言い続けている。経営破たんした別の会社の社長は「すべて私の責任。社員を責めないで」と言っていた。あなた方もトップの責任として、なぜこのくらいのことを言えないのですか。母の死因は急性心不全だが、東電に殺されたと思っている」

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添田 孝史 (そえだ たかし)
サイエンスライター、元国会事故調協力調査員
著書に 『原発と大津波 警告を葬った人々』、『東電原発裁判―福島原発事故の責任を問う
(ともに岩波新書)

前回の公判傍聴記

添田さんの公判傍聴記一覧

2018年11月14日水曜日

16日の公判は取り消しです。次回公判は12月26日です。

16日の公判が取り消しとなりました!

14日の公判で、裁判長から16日の公判が取り消しになると通知されました。
16日は裁判がありません。

次回の公判は12月26日になります。

今後の予定は、ブログ上部の「お知らせ」タブからご覧ください。

2018年11月12日月曜日

13日は「東電福島原発刑事訴訟報告会@三多摩」!

福島原発事故の責任はどうなる?!
~東電福島原発刑事訴訟報告会@三多摩~

福島原発事故の責任を問う刑事訴訟は、被告人質問が始まり、30回を超える公判が続いています。これまでの審理で丁寧に積み重ねてきた東電社員の詳細な証言を、ことごとく否定する東電幹部の発言に、私たちの怒りは収まりません。

現時点での公判の状況、刑事訴訟で明らかになった福島原発事故の事実、現在の福島の状況も合わせて、刑事訴訟支援団団長の佐藤和良さん(いわき市議)に報告いただき、私たちがこれから何をすべきかともに考えましょう!

日時:11月13日(火)19:00~
場所:武蔵野スイング 10階 スカイルーム(JR武蔵境駅北口すぐ)
  (東京都武蔵野市境2丁目14番1号)
報告:佐藤和良 刑事訴訟支援団団長 いわき市議会議員
参加費:500円
主催・問い合わせ:東電福島原発刑事訴訟報告会@三多摩実行委員会 090-2460-9303(片山)


2018年11月10日土曜日

12月と来年3月の公判が指定されました!

裁判所より、12月と来年3月の公判期日が指定されました。
報道によると、12月の26日・27日は論告求刑と被害者参加人の意見陳述、3月12日・13日は、最終弁論ということで、いよいよ結審までのスケジュールが見えてきました。

次回公判は今月の14日(水)です。報道によると、双葉病院患者の遺族による意見陳述があるとのことです。
報告会はいつもとは異なり、全日通霞が関ビルで行います。時間は公判が終わり次第で、未定ですので、お出かけの前に電話にて沖地震とのお問合せください。

次回公判
11月14日(水
第34回公判期日 東京地裁104号法廷 開廷10:00 傍聴抽選8:20~9:00
裁判終了後報告会
 時間…未定。裁判終了後に行います
 場所…全日通ビル  8階大会議室C(千代田区霞が関3丁目3-3)

2018年11月4日日曜日

刑事裁判傍聴記:第33回公判(添田孝史)

「責任は現場にある」は本当なのか


 10月30日の第33回公判では、勝俣恒久・東電元会長の被告人質問が行われた。勝俣氏は2002年10月から代表取締役社長、2008年6月からは代表取締役会長を務めていた。

敷地を超える最大15.7mの津波計算結果は原子力・立地本部長の武黒一郎氏まであがっていたが、それについて勝俣氏は「知りませんでした」と述べた。

「原子力安全を担うのは原子力・立地本部。責任も一義的にそこにある」と、自らの無罪を主張した。一方で、福島第一原発の津波のバックチェックが遅れていたことは認識していたと述べた。

 勝俣氏への質問に先立ち、公判の最初の約1時間は、武黒氏の被告人質問が10月19日に引き続いて行われた。

 また公判の最後で、永渕健一裁判長は、検察官役の指定弁護士が請求した事故現場周辺の検証を「必要性がない」と却下した。

「責任は原子力・立地本部にある」

   勝俣氏は、現場に任せていたから自分に責任は無いと一貫した姿勢で繰り返した。

「社長の権限は本部に付与していた。全部私が見るのは不可能に近い」
「そういう説明が無かったんじゃないかと思います」
「私まで上げるような問題ではないと原子力本部で考えていたのではないか」
「いやあ、そこまで思いが至らなかったですねえ」

 勝俣氏の説明によれば、東電の社員は38000人、本店だけで3000人いる。原発を担当する原子力・立地本部を含めて本部が4つ、部が30程度ある。

 勝俣氏の弁護人の説明では、福島第一の耐震バックチェックについて議論された月1回の「御前会議」に出されてくる資料は、多いときは60ページ以上あり、それぞれのページにパワーポイントが4画面印刷されていた。大量の情報が詰め込まれていて、細かく見ることは出来なかったという。

 勝俣氏は「1枚1枚説明されてはいませんでした」と、技術的な詳細については理解していなかったと述べた。

「津波は少し遅れてもやむを得ない」

   津波対策のため防潮堤建設に着手すれば、数年間の運転停止を地元から迫られる経営上のリスクがあった(*1)。原発を止めれば、その間に代替火力の燃料代が数千億円オーダーで余計にかかる(*2)。津波対策工事に数年かかるならば、津波対策費用は兆円オーダーに達する可能性もあった。

 その重大なテーマに、勝俣氏が関心を持っていなかったとはとても考えにくい。御前会議の議事録によると、一つの変電所の活断層の対応について勝俣氏が細かな指示をしていた。そのくらい、細かなことも見ていたのだ。

 しかし、御前会議の配布資料にあった津波高さなど細部については、勝俣氏は「聞いていない」と繰り返した。一方で東電の津波対応が遅れているという認識はあったことを認め、以下のように述べていた。

 「東電は日本最大の17基の原発を持つ。バックチェックで津波は少し遅れても、やむを得ないと考えていた」
 「よくわかりませんけれど、(バックチェックのスケジュールが)後ろに延びていった気がします」

 福島第一は安全なのか、最新の科学的知見に照らし合わせて点検する作業がバックチェックだ。それを完了しないまま、漫然と運転していることを知っていたのだ。

 東電には原発が17基ある。だから、数基しかない他の電力会社より安全確認が遅れても「やむを得ない」という勝俣氏。トラックをたくさん持っている運送業者は、数台しか保有しない業者より車検が遅れても「やむを得ない」と言っているのと同じだろう。なぜ「やむを得ない」のか、理解できない。

 もし、コストカットに関わる問題で、部下が他の電力より作業を何年も遅らせたら、勝俣氏は烈火のごとく怒鳴りつけていたのではないだろうか。一方、安全に関しては当初期限より7年も遅れ、他社よりも数年遅れとなっても「やむを得ない」と許していたのだ。

「他電力より2年程度の遅れ」と書かれた御前会議資料

「長期評価で企業活動をとることはありえません」

   この公判の勝俣氏の発言でもっとも驚いたのは、政府の地震本部がまとめた津波予測について「そういうものをベースに企業行動を取ることはありえません」と強い口調で切り捨てたことだ(*3)

 「長期評価に絶対的なものとして証言したのは島崎(邦彦)先生だけ。信頼性のおけるものではないと思う」とも述べた。

 日本海溝沿いで津波地震が起きる確率は、地震本部によれば30年で20%程度。福島沖に限定すれば6%程度と考えられていた。

 今後30年で6%の発生確率、しかも確実さについては研究者間で意見が必ずしも一致していない災害。それに備えようとすれば兆円単位の損失が生じる可能性がある。そんなものに企業が備えられるわけがない、というのが経営者としての勝俣氏の考えなのだろう。

経営リスクは減らし、住民のリスクを残す

  もし東電が沿岸部に持っているのが火力発電所だけなら、勝俣氏の判断はありえるだろう。被害は限定的なものに収まるからだ。

 しかし原発が大津波に襲来されると、その被害が甚大なものになるのは、2006年の溢水勉強会の報告、2008年の15.7m予測、そしてチェルノブイリ原発事故の被害様相などから見当はついていた。東日本壊滅の事態さえありえたことは、原子力委員会委員長だった近藤駿介氏のレポート(*4)で明らかになっている。

津波によるリスク=発生確率✕引き起こす被害の大きさ


というリスクの考え方によれば、たとえ発生確率が低くても、引き起こす被害が甚大ならば、そのリスクはとてつもなく大きいことになる。

 東電経営陣は、発生確率は低いだろうという憶測のもと、リスクの大きさには目をつぶり、津波対応を先延ばししていたと見られている(*5)

 「先延ばし」は、会社の短期的な経営的視点にもとづけば、もっとも選びやすい選択肢だったのだろう。しかし、社会に及ぼすリスクという観点からは、とても危険な選択だった。

 東電は、2002年には原子力安全・保安院から長期評価の津波を検討するよう要請されていた。その対応を事故時点まで何も対策をしないまま、先送りした。それによって運転停止という経営リスクが現実化するのを先延ばしすることは出来たが、一方で住民への津波リスクは9年の間、まったく軽減できず(*6)、結局大事故を起こしたことになる。

吉田部長「保安院に明確に指示してもらおう」

   「最大15.7m」の津波予測を事故の4日前まで東電は保安院にさえ明かさず、対策に生かされなかった経緯について被害者の代理人である海渡雄一弁護士が「(計算結果を)隠し持っていた」と追及すると、勝俣氏は「隠し持ってたわけじゃなくて、試算値ですよ。試算値で騒ぐのはおかしいんじゃないですか。15.7mに、どの程度の信頼性があるのかに尽きる」と強い口調で反論した。

 原発における津波リスクのような低頻度巨大災害リスクを、予測が確実となる前に公表して、公開の場で議論し、必要な対策を取る。そんな手続きはあり得ないというのが勝俣氏の考えなのだろう。いくら時間をかけても、予測が確実になることは永遠にあり得ないのだが。

 また、勝俣氏は、副社長当時の2001年4月、電力自由化を巡る記事(*7)でこうコメントしている。

 「これまでの発電所建設では効率化より信頼度に比重が多少よっていたことは確かだが、信頼度が多少危うくなっても値下げを追及するよう発想を変えた」

 勝俣氏は、2007年9月の社内報(*8)では以下のように述べていた。

 「グループの総力を挙げ、これまでとは次元の異なるコストカットに取り組むことが不可欠です。設備安全・社会安全上どうしても必要な工事などは行いつつも、それ以外は厳選し、場合によっては中止するなど、修繕費をはじめ費用全般にわたる削減について、それぞれの職場で非常時の対応をお願いします」

 この公判で海渡弁護士が読み上げたメールの中に、興味深い記述があった。津波想定を担当する土木グループの酒井俊郎氏が2008年3月20日に関係者に送ったメール「御前会議の状況」(*9)の最後の部分だ。

 「吉田部長アイデアでは、中間報告からNISAから推本モデルを考慮するよう明確な指示、電力で対応というのもありました」

 現場担当者は、地震本部の長期評価(推本モデル)にもとづく15.7mの津波対策が必要と考えていた。しかし、運転停止で兆円オーダーの費用がかかる経営上のリスクがあり、経営陣を説得できそうにない。そこで、NISA(保安院)から推本モデルを考慮するよう明確に指示してもらうことで、勝俣氏ら経営陣を動かそうと考えていたのではないだろうか。

もっと賢い、金のかからない代替案もあったのに

   防潮堤を作る以外に、もっと賢い方法もあった。原発がたとえ水に浸っても電源さえ確保出来れば炉心損傷しないことはわかっていた(*10)。中央制御室で原子炉の状態をモニターしたり、非常用冷却設備の制御をしたりするための最低限の直流電源と、外部から炉心に注水する消防車の運用方法などを準備しておけば、周辺環境に放射性物質を撒き散らすような事故は防げたのだ。

 日本原電の東海第二原発は、2007年の中越沖地震の後、高い場所に空冷の非常用発電機を増設し、原子炉につないでいた。海岸沿いの非常用海水ポンプが津波にやられてしまっても、電源を確保するためだったと見られる。

 「数百億円ぐらいの安全投資ではたじろぐものではない」と被告人の一人、武藤栄・元副社長は公判で述べたが、こんな対策ならば、それほどもかからなかっただろう。

 本当に賢い経営者は、経営と住民の両得となる、そんな案を選ぶ人なのだと私は思う。勝俣氏は「カミソリ」と呼ばれていたらしいが、単に目先の経営リスクを削って、津波のリスクを住民に押し付けただけだったように見える。

繰り返される「東電が考えた安全」の失敗

   2002年12月11日、当時社長だった勝俣氏は「社会の皆様にご迷惑をおかけし深くおわびしたい」と記者会見で頭を下げていた。

 福島第一原発の定期検査不正問題に関しての会見だったが、その時、東電はこんな文書をまとめていた(*11)

 「『(自分たちが考える)安全性さえ確保していればいい』といった意識が存在し、これが不正行為を実行する際の心理的な言い訳になったものと考えられます。「安全」というものは、自分たちだけで決めるものではなく、広く社会に受け入れられるものでなくてはならないということを、改めて全社に徹底する必要があると考えております」

 「長期評価を取り入れるかどうか、土木学会に審議してもらう。そのために数年かかっても、やむを得ない。現状でも土木学会手法で確認しているから、先延ばししても安全だ」というのは、東電が考えた安全でしかなかった。

 実際は、土木学会手法で福島第一原発は安全なのか、規制当局が確かめたことはなかった(*12)。土木学会手法を取りまとめた首藤伸夫・東北大名誉教授も、福島第一に土木学会手法を超える津波が襲来したことについて「まったく驚かなかった」と述べているぐらいだ(*13)

 福島第一が津波に対して安全なのか確かめるバックチェックは、2009年6月までに終える約束だった。東電はそれをずるずると延ばした。遅れは勝俣氏も認識していた。他社より何年も遅れることは、広く社会に受け入れられる「安全」とは相容れないものだった。

 結局、2002年と同じ失敗を繰り返したのである。その自覚のない東電は、また繰り返すことだろう。

中間報告の津波外し、残ったナゾ

   この公判でスクリーンに映し出された2009年2月の御前会議に提出された資料「福島サイト耐震安全性評価に関する状況」には、よくわからない記述があった。

御前会議の資料「「中間報告」に係る福島県からの要望」

「「中間報告」にかかる福島県からの要望」として、「最終報告が遅れる理由(床の柔性)の影響を受けない事項は、出来る限り提示してほしい」と書かれていた。その福島県の要望に対し、最大報告可能範囲が列挙され、津波は「全評価対象(土木学会手法による津波など)」とされていた。報告しようと思えば、報告できる段階にあったと見られる。

 一方、次のページには「地震随伴事象(津波)」の横に、手書きで「問題あり」「出せない」「(注目されている)」と書かれていた。

津波について「問題あり」「出せない」「(注目されている)」と書かれた資料

 東電は2009年6月に、福島第一1号機から4号機及び6号機の耐震バックチェック中間報告書を提出している。これには津波の報告は含まれていなかった。

 2009年2月の段階で、福島県は東電に対し、バックチェック中間報告の項目について、どんなふうに要望していたのだろうか。東電はそれに対し、津波についても報告可能範囲としながら、実際の中間報告には記載しなかった。それを誰が決めたのか。「問題あり」「出せない」「(注目されている)」と書かれた議論は、どのようなものだったのか。

 そして福島県は、「出来る限り提示してほしい」と要望していながら、なぜ津波抜きの中間報告で了承してしまったのか。

 わからないことが数多く残されている。
______________

*1 「10m盤を超える対策は沖に防潮堤を造ることだが、平成21年6月までに工事を完了することは到底不可能であった。工事期間は4年かかる。最悪、バックチェック最終報告書の提出期限を守れなかったとして、「工事が終わるまで原発を止めろ」と言われる」
山下和彦・中越沖地震対策センター所長の検察官面前調書による。

*2 勝俣氏の説明によると、柏崎刈羽の7基約800万kWが止まると、火力で代替するために、ざっと年5000億円、燃料費が増えるという。津波対策で福島第一(6基、470万kW)、福島第二(4基、440万kW)が止まると、費用は同程度と見られる。ただし使用済み燃料の後始末などを正確には反映していない電力会社の短期的視点にもとづく費用だ。

*3 勝俣氏は、長期評価については事故前は知らなかったと述べていたので、これは裁判で長期評価について聞いて考えた結果という意味なのだろう。


*5 「福島沖海溝沿いでは過去に起きていないから従来の3倍や2倍(10m)など来ないと思っていた。根拠は特にない」
山下和彦・中越沖地震対策センター所長の検察官面前調書による。


*7 AERA 2001年4月9日号 p.28「電力業界脅かす異端児」

*8 とうでん 2007年9月 p.5

*9 甲A184号証のうちの一つ。これまで要旨告知はされていたが、さらに詳しく海渡弁護士が法廷で読み上げた。内容は以下の通り。

3月20日の御前会議の状況
関係者が多い福島バックチェックから記載し、その後に中越関係を書きます。
福島バックチェック関係要対応津波関係 機微の情報を含むため転送不可

大出所長から推本モデルは福島県の防災モデルにも取り込まれており8m程度の数字はすでに公開されている。最終報告で示しますでは至近の対応ができないとのコメントあり。今回Ssで評価するプレート沿いの推本断層モデルを評価することとなったことについて
①土木学会では評価不要としていたこと
②推本評価を踏まえて今回評価せざるを得なくなったこと
の事実関係をまず整理。
ここで吉田部長から推本の当該モデルの取り扱いについては現在も土木学会で議論が継続している、土木学会で結論は出ていないとのニュアンスで聞いているとあったので、小生からは土木学会の結論は平成14年断面それ以降、推本の扱いを学会で議論きているわけではない。旨回答し、事実関係を整理するとなりました。
その上で、大出所長懸念を踏まえたQAの充実、たとえば福島県の津波防災では推本のモデルを評価しているがこれについて検討はするのかしていないのか。②平成14年の津波評価では当該のモデルを評価しているのか。していないのは検討が不十分だったのか、などを含めた関連QAを明日中程度に作成したいと思います。
津波に関しては推本モデルの適用ということで、当社福島地点のみの問題ではないため、太平洋岸各社で連携してアクションプラン(改造表明がバラバラにならないよう)などを明確にしていつのタイミングでどう打ち出すかを確定する。結果がわかった段階で改造に取り組むが、結果のアナウンスなしに改造を表明できない。
吉田部長アイデアでは、中間報告からNISAから推本モデルを考慮するよう明確な指示、電力で対応というのもありました。

*10 溢水勉強会や、JNESの報告書などによる


*12 2002年に土木学会手法が発表されたとき、保安院の担当者は以下のように述べていた。
 「本件は民間規準であり指針ではないため、バックチェック指示は国からは出さない。耐震指針改訂時、津波も含まれると思われ、その段階で正式なバックチェックとなるだろう」
東電・酒井氏が2002年2月4日に他の電力会社に送ったメールから

*13 『原発と大津波』p.43
______________
添田 孝史 (そえだ たかし)
サイエンスライター、元国会事故調協力調査員
著書に 『原発と大津波 警告を葬った人々』、『東電原発裁判―福島原発事故の責任を問う
(ともに岩波新書)

前回の公判傍聴記

添田さんの公判傍聴記一覧

2018年10月30日火曜日

【緊急】10月31日と11月2日の公判は取り消しです!

10月31日と11月2日の公判は取り消しになりました!
本日の公判で、裁判所から、明日10月31日と、11月2日の公判を取り消すと通知されました。
明日31日は裁判が開かれません。11月2日も裁判はありません。

次回公判は、11月14日となります。
ご注意ください。

2018年10月28日日曜日

次回公判は10月30日です!

10月30日火曜日は、第33回公判期日です。
武黒被告人へ、被害者代理人からの質問と、いよいよ勝俣恒久元会長への被告人質問が予定されています。

また、裁判所が11月の公判期日を指定しました。
一部報道では、被害者遺族の意見陳述があると報じていますが、現時点で予定は不明です。
指定された公判期日が取り消しになる場合もあります。予定が判明次第、当ブログにも掲載いたします。傍聴にお出かけになる前に、一度ご確認ください。

*公判報告会は、裁判の終了時刻によって開始時間が変わります。報告会のみ参加される方は、12:30以降にお電話でご連絡ください。開始時間の予定をお伝えします。
*傍聴整理券配布時間は8:20~9:00予定です。裁判所HPの傍聴券交付情報でご確認ください。

10月30日(
第33回公判期日 東京地裁104号法廷 開廷10:00
裁判終了後報告会
 時間…未定。裁判終了後に行います
 場所…参議院議員会館 101室

10月31日(水) 第34回公判期日 東京地裁104号法廷 開廷10:00
裁判終了後報告会
 時間…未定。裁判終了後に行います
 場所…参議院議員会館 11:00~14:30は102室、15:30以降は101室

11月2日(金) 第35回公判期日 東京地裁104号法廷 開廷10:00
裁判終了後報告会
 時間…未定。裁判終了後に行います
 場所…衆議院第一議員会館  第6会議室

11月14日(水第36回公判期日 東京地裁104号法廷 開廷10:00
裁判終了後報告会
 時間…未定。裁判終了後に行います
 場所…全日通ビル  8階大会議室C(千代田区霞が関3丁目3-3)

11月16日(金) 第37回公判期日 東京地裁104号法廷 開廷10:00
裁判終了後報告会
 時間…未定。裁判終了後に行います
 場所…衆議院第一議員会館  第6会議室

2018年10月27日土曜日

刑事裁判傍聴記:第32回公判(添田孝史)

「福島第一は津波に弱い」2度の警告、生かさず


武黒一郎・東電元副社長
(2012年3月、木野龍逸氏撮影)
   10月19日の第32回公判では、武黒一郎・東電元副社長の被告人質問が行われた。
 武黒氏は2007年6月から2010年6月まで取締役副社長原子力・立地本部本部長であり、津波対策が検討された当時、原発の安全対策の責任者だった。

 2008年2月の「御前会議」、同3月の常務会で、政府の地震本部が予測した津波に基づく対策を、被告人らがいったん了承したのではないかと問われ、武黒氏は「意思決定の場ではありませんでした」「常務会の報告内容と直接かかわらない補足的な内容だ」などと否定。2009年4月か5月に、初めて15.7mの津波予測を聞いたと説明した。

 一方、この公判で初めてわかったこともあった。武黒氏は、事故前に二度にわたって「福島第一は津波に弱い」という情報を受け取っていたらしいことだ。

 武黒氏は、敷地を超える津波が全電源喪失を引き起こすこと、政府予測では津波は敷地を超えること、両方の報告を遅くとも2009年春までには受けていた。それにもかかわらず、福島第一原発の安全確認である耐震バックチェックを当初予定より7年も先送りしていた。

「来てもおかしくない最大の津波を想定すべき」

   武黒氏が福島第一の津波に対する脆弱性を知ることが出来た最初の機会は、1997年から2000年ごろにかけてのことだ。

 このころ、東電の原子力管理部長だった武黒氏は、電事連の原子力開発対策会議総合部会(以下、総合部会)のメンバーにも入っていた。ここではたびたび、津波問題が話し合われていた(*1)

 1997年6月の総合部会議事録によると、当時建設省などがとりまとめていた「7省庁手引き」(*2)について、以下のように報告されている。

「この報告書(7省庁手引き)では原子力の安全審査における津波以上の想定し得る最大規模の地震津波も加えることになっており、さらに津波の数値解析は不確定な部分が多いと指摘しており、これらの考えを原子力に適用すると多くの原子力発電所で津波高さが敷地高さ更には屋外ポンプ高さを超えるとの報告があった」

 同年9月の第289回総合部会でも、以下のように報告されている。

 ◯  従来の知識だけでは考えられない地震が発生しており、自然現象に対して謙虚になるべきだというのが地震専門家の間の共通認識となっている。

 ◯  最近の自然防災では活断層調査も含めて「いつ起きるか」よりも「起きるとしたらどのような規模のものか」を知ることが大切であるとの基本的な考え方となってきており、津波の評価においても来てもおかしくない最大のものを想定すべきである。

 ◯  現状の学問レベルでは自然現象の推定誤差は大きく、予測しえないことが起きることがあるので、特に原子力では最終的な安全判断に際しては理詰めで考えられる水位を超える津波がくる可能性もあることを考慮して、さらに余裕を確保すべきである。

 1998年7月の第298回総合部会でも、「津波に対する検討の今後の方向性について」として、以下のような報告がされている。

(前略)
(2)余裕について
    原子力では数値シミュレーションの精度は良いとの判断から、評価に用いる津波高には余裕を考慮せず計算結果をそのまま用いてきた。
    MITI顧問(*3)は、ともに4省庁の調査委員会にも参加されていたが、両顧問は、数値シミュレーションを用いた津波の予測精度は倍半分程度とも発信されている。
    さらに顧問は、原子力の津波評価には余裕がないため、評価にあたっては適切な余裕を考慮すべきであると再三指摘している(ただし、具体的な数値に関する発言はない)。

「全国で最も脆弱」と判明していた福島第一

   2000年2月24日に電事連役員会議室で開かれた第316回総合部会で、重要な報告があった。検察官役の指定弁護士、石田省三郎弁護士が、電気事業連合会の議事録をもとに明らかにした。

 津波予測の精度は倍半分(2倍の誤差がありうる)と専門家が指摘していたのを受けて、通商産業省は、シミュレーション結果の2倍の津波が原発に到達したとき、原発がどんな被害を受けるか、その対策として何が考えられるかを提示するよう電力会社に要請していた。電事連がとりまとめたその結果が示されたのだ。

 福島第一は、1.2倍(5.9〜6.2m)の水位で、「×(影響あり)」「海水ポンプモーター浸水」と書かれていた。1.2倍で「×」になるのは、福島第一と島根しかないことも報告された(表)。福島第一は、全国で最も津波に余裕がない原発だとこの時点でわかっていたのだ。約半分の28基は、想定の倍の津波高さでも影響がないほど安全余裕があることも示されていた。

第316回電事連総合部会で示された津波影響評価。
福島第一と島根がもっとも脆弱なことがわかる。
(国会事故調参考資料p.41から)
   石田弁護士は解析結果を示して、「当時より、福島第一に津波が襲来したとき裕度が少ないことは議論されていたのではないか」と武黒氏に質問。武黒氏は「欠席しております。津波評価に関わることですので、担当部署に伝えられたと思う」と答えた。

 議事録によると、確かにこの回は武黒氏は欠席していた。しかし前述したように、1997年以降、電事連の総合部会では何回も津波問題が話し合われていた。それを武黒氏が知らなかったとは考えにくい。

 この回の総合部会では、土木学会手法のとりまとめをしていた土木学会津波評価部会の審議状況についても報告されていた。議事録にはこう書かれている。

津波評価に関する電力共通研究成果をオーソライズする場として、土木学会原子力土木委員会内に津波評価部会を設置し、審議を行っている。

 電力関係者が過半数を占め、電力会社が研究費を負担して津波想定を策定する土木学会の実態(第22回傍聴記参照)についても、武黒氏は知っていた可能性がある。

「可能であれば対応した方が良いと理解していた」

   「福島第一が津波に弱い」と聞いた2回目は、2006年9月の第385回総合部会の時だ。このころ、武黒氏は常務取締役原子力・立地本部長で、総合部会長を務めていた。この回では、原子力安全・保安院と原子力安全基盤機構(JNES)が設置した溢水勉強会の調査結果について紹介されている。

 同年5月、福島第一に敷地より1m高い津波が襲来したらどんな影響が出るか、東電は溢水勉強会に報告していた。非常用電源設備や各種非常用冷却設備が水没して機能喪失し、全電源喪失に至る危険性があることが報告されていた。それが総合部会で取り上げられたのだ。

 「国の反応は、土木学会手法による津波の想定に対して、数十センチは誤差との認識。余裕の少ないプラントについては「ハザード確率≒炉心損傷確率」との認識のもと、リスクの高いプラントについては念のため個別の対応が望まれるとの認識」と議事録にはある。

 また、同年10月6日に、耐震バックチェックについて保安院が全電力会社に一括ヒアリングを開いたときの、電力会社への要請も武黒氏に伝わっていたと証言した。
 保安院の担当者は以下のように述べていた(*4)

 「自然現象は想定を超えないとは言い難いのは、女川の地震の例からもわかること。地震の場合は裕度の中で安全であったが、津波はあるレベルを越えると即、冷却に必要なポンプの停止につながり、不確定性に対して裕度がない」

 「土木学会の手法を用いた検討結果(溢水勉強会 )は、余裕が少ないと見受けられる。自然現象に対する予測においては、不確実性がつきものであり、海水による冷却性能を担保する電動機が水で死んだら終わりである」

「どのくらいの裕度が必要かも含め検討をお願いしたい」

「バックチェックでは結果のみならず、保安院はその対応策についても確認する。今回は、保安院としての要望であり、この場を借りて、各社にしっかり周知したものとして受け止め、各社上層部に伝えること」

 武黒氏は、保安院の要請について「必ずしもという認識ではなかった。可能であれば対応した方が良いと理解していた」と述べた。

「武黒・吉田会談」もう一つの運命の日

   武黒氏は、2009年の4月か5月に、津波想定を担当する原子力設備管理部長だった吉田昌郎氏から、15.7mの津波予測を初めて聞いたと証言した。この場面で武黒氏が何を考えたのか、石田弁護士は何度も質問して迫った。

石田  「現実に津波が襲来したらどんな事態になるか考えられましたか」
「もし来るとなれば、福島第一の状況はどのようになるんでしょうか」

 水に浸かったとしても、原発の機能が保たれるなら問題はない。しかし、武黒氏は、津波が敷地に浸水すれば全電源喪失に至る危険性を知っていた。吉田氏から示された浸水予測が、どんな事故につながるのか、イメージできたのだ。武藤氏より明確に見えていたのではないだろうか。

 武黒氏は「溢水勉強会は、無限の時間を仮定している。ダイナミックな津波の動きは仮定していない」「そういう議論はありませんでした」などと答えたが、原発の技術者として、その日、何を直感したか、大事な返答をしなかった、ためらったように見えた。

 吉田部長から津波想定を土木学会で検討してもらうのに「年オーダーでかかる」と聞いたとも述べた。

 石田弁護士は、武黒氏が検察官の聴取に「少し時間がかかりすぎるとは思いました」と述べていたのではないか確認すると、「時間がかかるなとは申しました」と答えた。

 この日、福島第一の津波に対する脆弱性と、政府の津波予測、二つの情報が重なりあった。事故リスクははっきり見えたはずだ。武黒氏は、この日、指示を出すことができた。日本原電東海第二のように、こっそり長期評価への対策を進めることや、中部電力浜岡原発のように、ドライサイトにこだわらない浸水対策を実施することも出来た。実際、武黒氏は「女川や東海はどうなっているのか」と、他社の動向を気にしていた(2009年2月の御前会議)。

 しかし、福島第一では何も対策を進めなかった。「土木学会で3年ぐらいかけて議論してもらう」という方針を認めたのだ。それは他の電力会社は選ばなかった方法だった。

 2008年7月31日「ちゃぶ台返し」の日と並んで、2009年の4月か5月、日付が特定されていないこの日も、福島第一の運命にとって重要な日だったように思われる。

責任者が隠された「大きな流れ」

   武黒氏は、勝俣元会長らが出席することから「御前会議」と呼ばれていた「中越沖地震対応会議」について、「情報共有の会合であり、意思決定の場ではない」と何度も強調した。これは武藤氏と同様だった。

 しかし、注目される発言もあった。御前会議の位置づけについて、「大きな流れが、結果として出来上がってくることもあります」と説明したのだ。
 2008年2月の御前会議で、津波想定を担当する部門は、地震本部の長期評価を取り入れて津波対応をすると書いた資料を提出した。それに対し、幹部らから特に異議が無かった。報告者はそれを「承認された」ととらえていたのではないだろうか。

 津波想定に限らず、これが東電の原子力における意思決定の実態だったのではないかと推測される。異議がなければ承認されたものとして、前に進められる。東電として「大きな流れ」が作られる。しかし、いざ問題が生じた時、会議の場にいた責任者は、「報告を受けただけで、承認したわけではない」と責任回避の言い逃れが出来る仕組みだ。

バックチェック7年先延ばし、誰が意思決定?

   武黒氏、武藤氏の本人質問を傍聴した後でも、二点、良くわからないことが残った。

 一つは、耐震バックチェック中間報告を福島県に報告する際(2008年3月)の想定QA集(*5)はどのように作られて、誰が承認したのかという点だ。

 このQA集には、「過去に三陸沖や房総半島沖の日本海溝沿いで発生したような津波(マグニチュード8以上のもの)は、福島県沖では発生していないが、地震調査研究推進本部は、同様の津波が福島県沖や茨城県沖でも発生するというもの。この知見を今回の安全性評価において、「不確かさの考慮」という位置づけで考慮する計画」(SA7-1-7)と書かれていた。

 対外的なQAは、会社の方針を明らかにする文書であることから、多くの会社では、かなりの上層部の決裁が必要となる。東電では、この手続が無かったのだろうか。武黒氏はQA集に書かれているような長期評価の取り扱いについて東電として決定したことは「ありません」と述べた。それでは一体誰が、このQA集の記述を認めたのだろう。

 もう一つは、耐震バックチェックを先延ばしすることについて、経営幹部はどう判断していたのかわからないことだ。福島第一原発の耐震バックチェック最終報告は、当初は2009年6月だった。ところが2009年2月の御前会議資料では「2012年11月」とされ、「他電力最終報告時期(2010年11月)より2年程度の遅れ」とも書かれていた。

 武黒氏は「当時(2009年2月ごろ)の認識として、あと3年で終えられるかどうか自信を持って見通せる時期ではなかった」と述べた。

 さらに、2011年2月6日の御前会議に提出された資料では「2016年3月となる見通し」と書かれている。

 現在運転中の原発について、安全確認の期限を先延ばしする。そんな重大な事項について、いったい誰がどのように承認したのか、武黒氏、武藤氏の本人質問からはわからなかった。

 もしかするとバックチェック先送りも、現場からの報告が、なんとなく「大きな流れ」となって、特段の承認もなく、既成事実化されていたとでも言うのだろうか。

 「安全確認を当初より7年も遅らせる」ことを、誰が責任を持って認めたのか、最高責任者が説明出来ない。それは原発を運転する会社としては信じられない。

公害企業の決まり文句「不確実なことに対応するのは難しい」

「わからないこと、あいまいなこと、不確実な事柄への対応は難しい」
「その当時わかっていたこと、当時わからなかったことの間に乖離(かいり)があった」

 津波の予測に不確実性があったから対応が難しかったと武黒氏は主張した。これは、過去の公害企業が責任逃れに科学的な不確実さを持ち出す構図とそっくりだ。

 水俣病を引き起こしたチッソは、裁判でこう主張していた。

「本件水俣病発生当時においては、アセトアルデヒド製造工程中に水俣病の原因となるメチル水銀化合物が生成することは、被告はもとより化学工業の業界・学界においても到底これを認識することがなかった」

 これについて、宮本憲一氏は『戦後日本公害史論』で、以下のように述べている。

「(研究者間で)内部の意見の対立があったかなどを例にして、チッソ自らの予見不可能性や対策の失敗をあたかも科学的解明の困難にあったかのように責任を転嫁している。(中略)科学論争に巻き込もうとしているのだ」(*6)

 地震学はまだ発展の途上にあるため、津波の予測にともなう科学的不確実さは、いつまで先送りしても無くなることはない。原発を安全に運転するためには、不確実さを適切に考慮して余裕を持って対処する必要がある。

 武黒氏は1990年代後半から、電事連総合部会で、不確実さを巡る議論を聞いていたと思われる。他の電力会社は、建屋の水密化を進めるなど対策を進めていた。何もしなかったのは東電だけだった。耐震バックチェックを大幅に先延ばししようとしていたのも、東電だけだった。

 武黒氏は「私としては懸命に任務を果たしてきた」と述べたが、他の電力会社と比べると、東電の津波対策は明らかに劣っていたのである。
______________
*1 国会事故調 参考資料 p.41〜46
http://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3856371/naiic.go.jp/pdf/naiic_sankou.pdf

*2 「太平洋沿岸部地震津波防災計画手法調査報告書」及び「地域防災計画における津波対策の手引き」国土庁・農林水産省構造改善局・農林水産省水産庁・運輸省・気象庁・建設省・消防庁 1998年3月

*3 故・阿部勝征・東大名誉教授と首藤伸夫・東北大名誉教授

*4 2006年10月6日に、耐震バックチェックについて保安院が全電力会社に一括ヒアリングを開いたときの記録(電事連作成)

*5 福島第一/第二原子力発電所「発電用原子炉施設に関する耐震設計審査指針」の改訂に伴う耐震安全性評価(中間報告)QA集 東電株主代表訴訟 丙88号証

*6 宮本憲一『戦後日本公害史論』岩波書店(2014) p.301
______________
添田 孝史 (そえだ たかし)
サイエンスライター、元国会事故調協力調査員
著書に 『原発と大津波 警告を葬った人々』、『東電原発裁判―福島原発事故の責任を問う
(ともに岩波新書)
添田さんの公判傍聴記一覧

2018年10月21日日曜日

刑事裁判傍聴記:第31回公判(添田孝史)

「Integrity(真摯さ)」を大切にしていた?

証言する武藤栄氏(絵:吉田千亜さん)

   10月17日の第31回公判は、前日に引き続き武藤栄・元副社長の被告人質問だった。(今回の傍聴記では、30回、31回の2回の中で出てきた話が混在していることをお断りしておく)。
 武藤氏は「ISQO」(アイ・エス・キュー・オー)という言葉をたびたび持ち出して、自分の判断が正しかったと説明していた。

 武藤氏によると、

Integrity(誠実さ、正直さ)
Safety(安全)
Quality(品質)
Output(成果)

の頭文字をつなげたのが「ISQO」。それを仕事では心がけていたのだそうだ。そして「Integrityに最も重きを置いていた、Outputは最後についてくるもので優先させてはいけない」と何度も強調した。

 具体例として、発電所から「稼働率の明確な目標を示して欲しい」と声が上がったときに、数値目標をかかげることを自分の判断で却下した事例を武藤氏は法廷で紹介した。「Outputを目指すとどこかで勘違いする人がいるので認めませんでした」のだという。

 経営の分野において有名なピーター・ドラッカーの『現代の経営』で、上田惇生氏はintegrityを「真摯(しんし)さ」と訳している。

 人格や真摯さに欠ける者は、いかに知識があり才気があり仕事ができようとも、組織を腐敗させる。(『現代の経営』から)
事故後、記者会見する武藤栄氏(右から2番目)=2011年3月、東電本社で。木野龍逸氏撮影

「原発止めると大変な影響」

   武藤氏は、原発を止めるのが、いかに「大ごと」なのか、以下のように説明した。

     原発は東電の電力の4割近くを生み出す大きな電源なので、止めるとなれば代替を探してこなければならない。

 火力しかない。その燃料を確保しなければならない。燃料を輸送する手当も必要だ。燃料費も一年に何千億円もかかる。火力は原子力より1kWhあたり10円ぐらい高くつくから、柏崎刈羽原発のように500億kWh生み出す原発を止めると、年に5000億円燃料代が余計にかかる。

 そのお金を借りるなど、手当しなければならない。収支を企画や経理にも検討してもらう必要がある。顧客に負担してもらうことになれば、料金部門にも考えてもらうことになる。

 送電線の中を電気が流れる「潮流」も大きく変わるので、電力系統の運用をやっている部門にも、系統の信頼性や安定性にどういう影響があるか見てもらわないといけない。

 火力発電所を増やすと、二酸化炭素の排出が増えるので、その排出権の手当をする必要がある。

 日本全体の3分の1が東電。東電の原発から電気を送っている東北電力など他の電力会社でも検討してもらわないといけない。また、東電が原発を止めるとなると、他社の原発は止めなくても大丈夫なのかともなる。それへの対応も検討してもらうことになる。

 地元の自治体、資源エネルギー庁、原子力安全・保安院や原子力安全委員会にも説明して理解を得る必要がある。

だから「大変多くの部門に協力してもらわないといけない」とし、「止めることの根拠、必要性を説明することが必要です」と強調した。

 この説明からは、Outputへの影響が多大だから、津波のリスクが確実でないと原発は止められないと武藤氏は考えていたように聞こえた。稼働率という数字を確保すること(Output)を、IntegrityやSafetyより上位に置いていたのではないだろうか。

 本当のISQOに従えば、原発が事故を起こしたときの被害の大きさを考えると、津波予測に不確実な部分が残っていたとしても、その不確実さを潰すのに何年も費やすより、早めに予防的に対処するのが、真摯で安全な経営判断だったのではないだろうか。

最も安全意識の低かった東電

   武藤氏は「地震本部の長期評価に、土木学会手法を覆して否定する知見は無かった」とも述べた。しかし反対に、土木学会手法に、長期評価を完全に否定できる根拠も無かった。

 「土木学会手法は、そこ(福島沖)に波源を置かなくても安全なんだという民間規格になっていた。それと違う評価があったからと言って、それをとりこむことはできません」

 武藤氏のこの陳述は、事実と異なる。他の電力会社は、土木学会手法が定めている波源以外も、津波想定に取り込んでいた。

 東北電力は、土木学会手法にない貞観地震の波源を取り入れて津波高さを検討し、バックチェックの報告を作成していた。
 中部電力は、南海トラフで土木学会手法を超える津波が起きる可能性を保安院から示され、敷地に侵入した津波への対策も進めていた。
 日本原電は、東電が先送りした長期評価の波源にもとづく津波対策を進めていた。原電は「土木学会に検討してもらってからでないと対策に着手出来ない」と考えていなかったのだ。

 「津波がこれまで起きていないところで発生すると考えるのは難しい」と武藤氏は述べた。これも間違っている。

 2007年度には、福島第一原発から5キロの地点(浪江町請戸)で、土木学会手法による東電の想定を大きく超える津波の痕跡を、東北大学が見つけていた。土木学会手法の波源設定(2002)では説明できない大津波が、貞観津波(869年)など過去4千年間に5回も起きていた確実な証拠が、すでにあったのである。

 土木学会が完全なものとは考えていなかった他社は、どんどん研究成果を取り入れて新しい波源を設定し、津波想定を更新していた。東電だけがそれをしなかった。Safetyのレベルは、電力会社の中で、東電が最も低かったことがわかる。

時間をかけて議論しても「安全」なのか

   「知見と言ってもいろいろある。簡単に取り入れられるかどうかわからない」「現在でも社会通念上安全で、安全の積み増し、良いことをするのだから」

武藤氏はこのように、バックチェックに時間をかけても良いとも主張した。

 確かに、新たな知見にもとづく津波を原発でも想定すべきかどうか確かめるのに、ある程度の時間は必要かもしれない。しかし、長期評価の津波予測については、東電は2002年8月に検討を要請されていた。それを事故が起きる2011年3月まで9年近く、ほぼ対策を取らないままの状態で、運転を続けていた。

 原発が最新知見に照らし合わせても安全かどうか、運転しながらの確認作業について、規制当局は2006年当時、「2年から2年半以内で」と念押ししていた。なぜなら、安全を確認している期間中は、原発の安全性が保たれているという保証がないからだ。

 しかし東電は、土木学会手法を超える津波の予測が次々と報告されていたにもかかわらず

「確率論的な方法で検討する」(2002年)
「土木学会で検討してもらう」(2008年)
「津波堆積物を自分たちで掘って確認する」(2009年)

など、いろいろな言い訳を持ち出して、想定見直し・対策着手を先延ばしし続けていた。

「記憶に無い」「読んでない」「説明を受けてない」の真摯さ

   そういうことを考えながら傍聴していたので、「記憶にない」「説明を受けてない」「読んでない」と、自分の主張と矛盾する証拠類を否定し続ける武藤氏がIntegrityという単語を持ち出すたびに、「またか」と苦笑せざるをえなかった。

(第30回、31回公判の武藤被告人の傍聴記は、『AERA』2018年10月29日号[22日発売]にも2ページの記事を書いています。そちらもあわせてご覧ください)
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添田 孝史 (そえだ たかし)
サイエンスライター、元国会事故調協力調査員
著書に 『原発と大津波 警告を葬った人々』、『東電原発裁判―福島原発事故の責任を問う
(ともに岩波新書)

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2018年10月20日土曜日

刑事裁判傍聴記:第30回公判(添田孝史)

武藤氏、「ちゃぶ台返し」を強く否定


「だから、この話は私は聞いていません」
「私のところに来るようなことではないです」
「それはありません」

 被告人の武藤栄氏は、強い口調で質問を否定し続けた。

 10月16日の第30回公判から、被告人質問が始まった。トップバッターは、津波対策のカギを握っていたとされる武藤・東電元副社長だ。

 2008年2月から3月にかけて、勝俣恒久・元会長ら被告人が出席した会合で津波対策はいったん了承されていたのに、同年7月に武藤氏が先送りした(いわゆる「ちゃぶ台返し」)と検察官側は主張。それを裏付ける東電社員らの証言や、会合の議事録、電子メールなどが、これまでの29回の公判で繰り返し示されてきた。ところが武藤氏は「先送りと言われるのは大変に心外」と、それらを全面的に否定したのだ。

「山下さんがなぜそんなことを言ったか、わからない」

   第24回公判(9月5日)では、耐震バックチェックを統括していた東電・新潟県中越沖地震対策センターの山下和彦氏が検察に供述していた内容が明らかにされた。

 それによると、勝俣氏ら経営陣は、地震本部が「福島沖でも起きうる」と2002年に予測した津波地震への対策を進めることを、2008年2月の「御前会議」(中越沖地震対応打ち合わせ)、同年3月の常務会で、了承していた。

 ところが、これらの会合の内容、決定事項について、山下氏の供述を武藤氏は認めなかった。

 「山下さんがどうしてそういう供述をしたのかわからない」
 「山下さんの調書は他にも違うところがある」

と、山下調書を否定する発言を繰り返した。

 公判後の記者会見で、被害者参加代理人の甫守一樹弁護士は「山下センター長には嘘をつくメリットは何もない」と説明した。一方で武藤氏は、山下氏の証言を否定しないと、先送りの責任を問われることになる。そして、武藤氏は山下調書を否定できる客観的な証拠を挙げることは出来なかったように見えた。

「土木学会手法で安全は保たれていた」のウソ

   私が傍聴していて気になったのは、武藤氏が土木学会のまとめた津波想定方法(土木学会手法、2002)を

「我が国のベストな手法」
「土木学会の方法で安全性を確認してきた」
「現状(土木学会手法による想定)でも安全性は社会通念上保たれていた」

などと評価していたことだ。

 これは、事実と異なる。土木学会の津波想定方法で、原発の安全が保たれているのか規制当局が確認したことは一度も無い。武藤氏が言うように「社会通念上安全が保たれている」とする根拠は何も無かった。たまたま、2011年3月11日まで津波による事故が起きなかっただけのことだ。

 2002年に土木学会手法が発表されたとき、保安院の担当者は以下のように述べていた。

 本件は民間規準であり指針ではないため、バックチェック指示は国からは出さない。耐震指針改訂時、津波も含まれると思われ、その段階で正式なバックチェックとなるだろう。(東電・酒井俊朗氏が2002年2月4日に他の電力会社に送った電子メールから)(*1)

 当時、すでに耐震指針の改訂作業が始まっており、それがまとまり次第、土木学会の津波想定方法が妥当かどうか調べると保安院は言っていたのだ。保安院の担当者は、まさかバックチェックが9年後の2011年になっても終わっていないとは想像していなかったに違いない。

 土木学会手法と地震本部の長期評価は同じ2002年に発表された。同じころの科学的知見をもとに、土木学会手法は福島沖では津波地震は起きないと想定し、一方で地震本部は福島沖でも発生しうると考えた。

土木学会手法(2002)が
想定した津波の波源域
両者の想定の違いについて、武藤氏は「地震本部の長期評価に信頼性はない」と断じた。しかし、その根拠は無かった。土木学会がアンケートしたら、地震本部の考え方を支持する専門家の方が多かったこともそれを裏付けていた。

 第29回公判(10月5日)で明らかにされたように、保安院は土木学会手法による津波想定に余裕がないことにも気づいていた。土木学会の想定を1.5倍程度に引き上げ、電源など最低限の設備を守る対策を進める計画もあった。土木学会手法で原発の安全性が保たれているとは、保安院も考えていなかったのだ。
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*1  H14年当時の対応 電事連原子力部が保安院に送ったメールの添付文書 原子力規制委員会の開示文書
https://www.dropbox.com/s/im1azl4eouh3e94/H14%E5%B9%B4%E5%BD%93%E6%99%82%E3%81%AE%E5%AF%BE%E5%BF%9C.pdf?dl=0
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添田 孝史 (そえだ たかし)
サイエンスライター、元国会事故調協力調査員
著書に 『原発と大津波 警告を葬った人々』、『東電原発裁判―福島原発事故の責任を問う
(ともに岩波新書)

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