「福島沖は確率ゼロ」とは言えなかった
9月7日の第25回公判の証人は、松澤暢(まつざわ・とおる)東北大学教授(地震学)だった。松澤教授は、政府の地震調査研究推進本部(地震本部)の長期評価とはどんなものか、そして2002年の長期評価が予測した日本海溝沿いの津波地震について説明した。
ポイントは以下のとおりだ。
1)「長期評価、それ以外に方法ない」
松澤教授は、長期評価に不確実なところがあることは認めた。一方で
「わからない=ゼロとして過小評価されるより、仮置きでも数値を出すとした地震本部の判断には賛同する」と述べた。
2)「福島沖の確率がゼロとは言えなかった」
長期評価が予測した津波地震が福島沖でも起きるかどうかについて、
「日本海溝北部に比べて起こりにくいとは考えたが、絶対起こらないとは言い切れなかった」と話した。
3)長期評価の改訂時にも、異義は唱えなかった
松澤教授は、福島沖の津波地震を最初に予測した2002年の長期評価策定には関わっていないが、2009年や2011年(震災前、震災後)の改訂作業には参加していた。
「そこで大きな問題点は指摘しなかった」と述べた。
松澤教授は、東北大学大学院理学研究科の教授で、大学附属の地震・噴火予知研究観測センター長も務める。地震の波形を詳しく分析して、地震発生の過程を調べる専門家だ。地震予知連絡会の副会長でもある。公判では、最初に弁護側の宮村啓太弁護士、続いて検察官役の久保内浩嗣弁護士が質問した。少し詳しく見ていく。
「乱暴だが、それ以外に方法はない。地震本部の判断に賛同する」
松澤教授は、長期評価に「不確実だ」という意見があることについて、こう説明した。
「よくわかっていること、よくわかっていないところがあったが、仮置きでもいいから数値をおいていくべきだと判断した。理学屋が黙っていると、誰かが勝手にやってしまう。わからないとして放っておけば確率ゼロ、過小評価になる。全く知らない人に判断があずけられる。それは正しいのか。とりあえずおすすめの数値を、仮置きでも、仮置きと見える形で出すことが良いと判断した」と説明した。
「非常に乱暴だけど、それ以外に方法がない。地震本部が仮置きの数字を置いた判断は賛同する」とも述べた。
「福島沖はおこりにくいが、確率はゼロとは言えなかった」
松澤教授は、日本海溝沿いの津波地震について、2003年に論文を発表している
(*1)。「津波地震」が引き起こされるためには、プレート境界に付加体とよばれる柔らかい堆積物が必要だとする仮説に基づいていた。松澤教授はこの論文で、以下のように書いていた。
「福島県沖の海溝近傍では、三陸沖のような厚い堆積物は見つかっておらず、もし、大規模な低周波地震が起きても、海底の大規模な上下変動は生じにくく、結果として大きな津波は引き起こさないかもしれない」
一方で、松澤教授は、津波地震について土木学会による2008年のアンケート
(*2)に以下のように答えていた。
① 三陸沖と房総沖のみで発生するという見解 0.2
② 津波地震がどこでも発生するが、北部に比べ南部ではすべり量が小さい(津波が小さい)とする見解 0.6
③ 津波地震がどこでも発生し、北部と南部では同程度のすべり量の津波地震が発生する 0.2
松澤教授は「福島沖でも起きる」とする見解の方に重きを置いていたのだ。
アンケートの際、松澤教授は「不確実性が大きく過去と同じ場所だけとは言い切れない」とコメントしており、法廷では
「北部に比べて福島沖では津波地震はおこりにくいが、確率ゼロではないので、このように回答した」と説明した。
長期評価の改訂時にも、津波地震の評価に異議を唱えなかった
地震本部が2002年に発表した津波地震についての長期評価は、2009年に一部改訂された。また2011年にも改訂作業が進められており、東日本大震災前にはほぼ出来上がっていた。東日本大震災の発生で、その改訂版は没となったが、2011年11月には、今回の地震を踏まえて第二版が公表された。
松澤教授は、地震本部の委員として改訂作業にかかわり、「(福島沖をふくむ)日本海溝沿いのどこでも起きる」とした津波地震の評価に、異議は唱えなかった。そして「どこでも起きる」とする評価は、2009年、2011年の事故前、事故後、いずれの長期評価でも変更されなかった。
「我々は(地震について)まだ完全に知っているわけではない。共通性を重視してそこに組み入れた」と理由を説明した。
「積極的に否定」も出来なかった
こんなやりとりもあった。
宮村弁護士「津波地震が福島沖でも起きると積極的に根拠付ける研究成果はあったのでしょうか」
松澤教授「なかったと思います」
福島沖ではプレートが沈み込んでいるから津波地震を起こす必要条件は満たしていた。しかし、海溝に柔らかい堆積物(付加体)が少ないため、津波地震を発生させるモデルの条件を十分には満たしていなかったからだ。
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東北大学が津波を調べた場所。
2007年には福島第一原発から
5キロ地点(浪江町)でも大津波
の痕跡が見つかっていた。 |
しかし松澤教授も認めたように、「津波地震の発生に付加体が必要」というのは仮説にすぎない。「付加体が無いから福島沖では津波地震は起きない」と断言できるほど「強い科学的根拠」とは言えなかった。付加体が福島沖と同じように少ない房総沖で、1677年に津波地震が発生したと考えられていた。それが付加体の仮説では十分説明できない弱みもあった。
宮村弁護士は、「津波地震が福島沖で起きるという強い根拠は無かった」と強調したかったように見えた。しかし、逆に「極めてまれにも、福島沖で津波地震は起きない」と言える「強い根拠」もなかった。
2006年に改訂された耐震設計審査指針では「施設の供用期間中に極めてまれであるが発生する可能性があると想定することが適切な津波によっても、施設の安全機能が重大な影響を受けるおそれがないこと」と定められていた。
「極めてまれにも起きない」「だから対策はしない」と言い切る根拠を見つけることは、とても難しい。だからこそ、東電の津波想定担当者らは対策が必須と考え、いったんは常務会でも了承されていたのだ。
2007年度には、東北大学が、福島第一原発から5キロの地点(浪江町請戸)で、東電の従来想定を大きく超える津波が、貞観津波(869年)など過去4千年間に5回あった痕跡を見つけていた
(*3)。「大津波は福島沖では極めてまれにも起きない」として対策をとらないことは、とうてい無理になりつつあったのだ。
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*1 松澤暢、内田直希「地震観測から見た東北地方太平洋下における津波地震発生の可能性」 月刊地球 Vo.25.No.5 2003 368-373
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添田 孝史 (そえだ たかし)
サイエンスライター、元国会事故調協力調査員
著書に 『
原発と大津波 警告を葬った人々』、『
東電原発裁判―福島原発事故の責任を問う』
(ともに岩波新書)
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